牙を剥く冬、雨と雪の地獄
中庭での三十分の正座を終えると、次はいわゆる「普通の掃除の時間」がやってくる。
これはクラス全員で分担して行う通常の教室掃除だ。
私は感覚の消えかけた裸足の足をどうにか動かし、何食わぬ顔でみんなの輪に混ざって箒を動かした。
その後、六限目までの授業を終えると、時刻は午後三時。
いよいよ放課後の「校庭五十周」が始まる。
我が校の校庭は一周百五十メートルほどだった。
計算すれば、五十周で約七・五キロメートル。
結構な距離であるが、子供の足でも、一分に一周ほどのペースで刻んでいけば、一時間ほどで走り終えることができる。
最初のうちは無我夢中だったが、三十周を過ぎる頃には、さすがに強烈な空腹感が私を襲ってきた。
昼食を抜いているのだから当然だった。
「ああ、僕は今、本当に罰を受けているんだ」
走る一歩ごとに、空腹の痛みが教えてくれた。
走り終え、息を切らせながら職員室の先生のところへ報告に向かう。
一日目のメニューをすべて完遂した私を見て、先生は少し安心したような、しかし呆れたような顔で言った。
「一日しっかりやったんだし、もう今日で終わりにしたらどうだ?」
しかし、私のあまのじゃくはとまらない。
「一か月やりますと言ったので、やります」
先生も放課後の用事があったのだろう。
「明日もするなら、また明日相談しよう」と言って、その日は帰された。
◇
二日目も、同じように始まった。
幸いにも天気は良く、気温もやや高めだったため、一日目ほどの地獄は味わわずに済んだ。
だが、それでも一月の風は冷たく、空腹は容赦なく腹の底を削ってくる。
午前中の休み時間、再び先生に呼ばれた。
「昨日も言ったように、もう終わりにしませんか」
今になって振り返れば、生徒の体を本気で気遣ってくれる、本当にいい先生だったと思う。
だが、意固地な十一歳の私は「続けます」の一点張り。
押し問答を繰り返しているうちに、休み時間終了のチャイムが鳴った。
放課後、校庭を走り終えた後の職員室で、先生と私の「意固地さ」が完全にぶつかり合った。
「昨日と今日の罰を受けて、ちゃんと反省しましたか?」と先生。
「反省しています」と私。
「じゃあ、今日までで終わりでいい。罰は終わりにしましょう」
「一か月の約束で始まったんです。約束を守らせてください」
「反省したなら、もう罰の必要はないんだ!」
先生の真っ当な正論に対し、私は屁理屈とも言える反論を繰り出した。
「じゃあ、罰としては終わりでいいです。でも、丸坊主で、ランニングシャツと半ズボンで登校しちゃいけないっていうきまりはないですよね? 放課後に校庭を走るのも個人の自由ですよね? 休み時間に中庭で正座をするのも勝手ですよね?」
どうしてこれほどまでに意固地になれたのか、今の私にも分からない。
結局もめたのは、「給食」と「掃除」だった。
「勝手にトイレ掃除をしたらダメですか」と食い下がる私に、先生は渋々首を縦に振った。
しかし給食については、先生は一歩も引かなかった。
「給食は学校教育の一環だ。生徒が自分の意志で食べないというのは、絶対に認められない」
すると私は、普段先生たちが「食べたくないものは無理して食べなくてもいいんだよ」と言っている言葉を逆手に取った。
「じゃあ、給食の時間には教室にいます。でも、食べたくないので、僕は食べません」
先生はかなり困り果てた顔をしていたが、最後は私が押し切る形になった。
「公式な罰は終わり。しかし、私は勝手に同じ行為を続ける」という、奇妙な妥協が成立したのだ。
◇
ただ、給食の時間に教室にいなければならなくなったため、昼休みに掃除と正座をする時間がなくなってしまった。
学校は午後四時完全下校である。放課後は五十周走るだけで時間が消える。
そこで私は、罰のタイムスケジュールを「朝」へと前倒しすることにした。
当時の始業時間は八時半。しかし、学校の門は七時には開いていた。
朝早く来ることへの制限はなかったのだ。
私は、毎朝一時間早く学校へ行き、早朝の誰もいない校舎で正座と掃除を行うことに決めた。
自分で自分の首を絞めた結果、つらさは何倍にも膨れ上がることとなった。
三日目の木曜日からは、朝七時に家を出て、七時半には学校に着く生活が始まった。
言い出したら聞かない私を熟知している両親は、何も言わずに(実際には何か小言を言われた気もするが、当時の私には一切届いていなかった)、毎朝の朝食の時間を早めてくれた。
登校すると、すぐに日陰の中庭へ向かう。
早朝の鋭い冷気の中、ランニングシャツ一枚、裸足のままコンクリートに膝をつく。
三十分の正座。
昼間の寒さとは格段に違う、骨の奥まで凍るような痛みが走った。
その後、誰もいない冷え切ったトイレを一人で掃除する。
放課後の校庭走りも、朝食の時間が早くなった分、夕方の空腹感は一層激しいものになっていた。
それでも、自らが引き起こした「勢い」だけでどうにか平日は乗り切った。
迎えた最初の土曜日。当時はまだ土曜日も半日の授業があった。
午前中の授業を終え、他の生徒たちが解放感に満ちた顔で下校していく中、私は一人、ランニングシャツと半ズボン姿で校庭に残り、一時間かけて五十周を走り抜いた。
さすがに疲労と空腹がピークに達していたが、その日の夜、私は自室である決意を固めていた。
(罰としての強制力はない。けれど、ここで日曜日を休んでしまったら、僕の反省は本物じゃなくなる。明日も、学校に行こう)
どうしてそういう結論になるのか、自分でも分からなかった。
ただ、一日でも途切れさせたくないという執念が勝った。
日曜日、朝食を済ますと、私は普段通りにランニングシャツと半ズボン、裸足にスニーカーの格好で学校へ向かった。
当時、日曜日の校庭は地域に開放されており、子供たちが自由に遊ぶことが許されていた。
さすがに掃除はできなかったが、私は誰もいない凍てつく朝の中庭に赴き、きっちり三十分間の正座を遂行した。
その後、一人きりの校庭で五十周を走りきって帰宅した。
これで、完全に一日も「休みなし」の連続記録が成立した。
この勢いのまま、さらに過酷な二週目へと突入していくことになる。
◇
本当の地獄が始まったのは、その二週目だった。
一週目は幸いにも晴天に恵まれていたが、一月も下旬に差し掛かると、天候は容赦なく崩れ、気温はさらに数度下がった。
確か、二週目の火曜日のことだ。
朝から本降りの雨が激しく降っていた。
家を出る前、あまりの寒さに、心の中で本気で「もうやめようか」という文字がよぎった。
それまでの毎朝、母親は「もうやめてもいいんだよ」「少しは温かい格好にしたら」と声をかけてくれていた。
もしその日も声をかけられていたら、私は「じゃあ、やめる」と言えていたかもしれない。
しかしその日に限って、私は母に声をかけられるより前に、逃げるように家を出発してしまった。
自分で自分の退路を断ってしまったのだ。
傘をさして登校しながら、雨粒が裸の腕や足に跳ねる。
「自分は一体、何をやっているんだろう」という虚しさが、冷たさと一緒にこみ上げてきた。
しかし、学校に着いて友達の顔を見ると、妙なスイッチがまた入るのだ。
朝の正座と掃除をこなし、授業を受け、そして放課後を迎えた。
雨は、激しさを増していた。
校庭五十周。流石に傘をさして走るわけにはいかない。
私は激しい雨の中、ずぶ濡れになって走り出した。
雨水が体温を容赦なく奪っていく。
視界は白く霞み、足元はぬかるむ。
五十周を走り終える頃には、体全体がガタガタと激しく震え、歯の根が合わなかった。
そのままどうにか家まで帰り着いたが、この姿が母親に見つかったら、今度こそ絶対に強制終了させられると思った。
私は玄関でこっそりと着替え、自分の部屋で寒さを我慢していた。
この日の寒さは、本当につらかった。
何回もやめようと思ったのに、なぜ辞めなかったのか、今でも不思議でならない。
その週の後半には、ついに雪が降った。
気温は雨の日よりもさらに低かったが、不思議なことに、私の記憶では「雨より雪の方がマシだ」と思った。
雪は走ってもそれほど服を濡らさないからだ。
ずぶ濡れになるあの火曜日の地獄に比べれば、ただ冷たい雪が肌に触れるだけの方が、精神的には耐えられた。
この頃から私は、知恵を働かせて、学校に「着替えのランニングシャツと半ズボン」を持参するようになっていた。
走って濡れたら学校で着替え、帰りは傘をさして帰る。
しかし、母親に「濡れた服が二着ある」と気づかれれば、また追及される。
そのため、濡れた一着はこっそり隠しておき、翌朝、まだ生乾きの冷たい服をあえて身にまとって登校した。
しばらくすれば自分の体温で乾くのだが、肌に張り付く生乾きの冷たさは最悪だった。
どうしてそこまでして隠し通そうとしたのか、今考えても狂気としか言いようがない。
第4章をお読みいただきありがとうございました。 雨の日のずぶ濡れランニング、そして生乾きの服の冷たさ……思い出すだけで身震いがします。しかし、ここからこの狂気は「終わり」ではなく「エスカレート」していきます。 次回、第5章「エスカレートする日常」。約束の1か月が明けたとき、私が下した斜め上の決断とは。




