第105話 手帳
体中ずぶ濡れになって初めて、ミノーラは水の掛け合いをしたことを後悔した。それはどうやらタシェルも同感のようで、二人並んで池の傍に新しく作った焚火に当たっている。
ミノーラが横目でタシェルを見上げると、ほぼ同じタイミングで彼女もこちらを盗み見てくる。
一瞬、視線を交わした彼女たちは、次の瞬間には笑みを零した。
「あはは、また濡れちゃったね。さっき焚火を起こすときに、一個クラミウム鉱石を残しておいて正解だったなぁ。ミノーラ寒くない?って、既に温かそうだけど。」
「私はもう殆ど濡れて無いですよ。さっき飛ばしたので。それより、タシェルは着替えの服とか無いんですか?私よりも断然寒そうですけど。」
「着替えは大丈夫。もう少しこうやって焚火に当たってれば、気にならなくなると思うし。それに……。」
そこで口を噤んだタシェルは池の対岸で周囲の調査を行っているハイドへと視線を向けた。それを見たミノーラはすぐに事情を察する。
「それよりもミノーラ、さっきから亀さんがしょんぼりしているみたいだけど、何かあったの?」
「あぁ、亀さんですか?池の水が淡水で、自分が泳げないことにショックを受けてるみたいです。」
焚火から少し離れたところで項垂れている亀に目を向け、彼女の質問に答える。
「そうなんだ。なんだか、気分が悪そうに見えたけど、そういう訳じゃないんだね。私も亀さんと話が出来たらいいのにな。」
タシェルはどこか心配そうに亀を見つめながら、呟いた。気分が悪そうとは思っていなかったミノーラが、改めて亀に確認をしようかと口を開きかけた時、対岸からハイドが呼び掛けてくる。
「ちょっとこっちに来てくれ!」
その呼びかけを聞いたミノーラとタシェルは、一度顔を見合わせると、対岸へと向けて小走りで向かうことにした。
池の傍の岩が散らばっているあたりで、何やら見つけたらしいハイド。彼の傍へと辿り着いたミノーラは、そこに横たわっているモノを目にし、口を噤む。
隣にいたタシェルはというと、それに気が付いた途端に小さな悲鳴を上げ、硬直していた。
「ここには本当に誰かがおったんやな。しかも、住んどったみたいやし。」
既に白骨化した人間だったものが、きれいに横たわっている。それは、不自然なほどに白く、きれいな状態だった。
「いつ頃まで生きてたんでしょうか?」
「さぁな、だいぶ前の話だとは思うが、それにしちゃ綺麗すぎると思うばい。」
ミノーラは白骨遺体の傍に近寄り匂いを嗅いでみるが、人間のニオイや死臭と呼べるものは殆ど感じ取ることが出来なかった。
そうして骨を観察していたミノーラは、あることに気が付く。
「あの、この骨、脚が無いような気がするんですけど。気のせいでしょうか?」
ミノーラの指摘を受けて、ハイドが足の辺りを調べ始める。地面を軽く掘ったり、周囲の岩の下を確認していた彼は、結局何も見つけることは出来ずに、首を振った。
「無いな。両足とも、膝から下の骨が一本も見当たらん。こりゃ、絶望的な状態だったんやろうな。」
誰もいない島で足を失い、身動きを取ることが出来ない。それは確かに、明確な絶望だ。しかし、この人物はなぜこんなところに来たのだろう。
ミノーラの思案は、タシェルの言葉でかき消された。
「そこに何かありませんか?」
怯えた様子のタシェルが、白骨遺体の近くに転がっている袋を指して言う。ミノーラはそれを口に咥え、タシェルの足元へと運んだ。
「ちょ、ちょっと!ミノーラ!あんまり触らない方が……。」
「?どうしてですか?大丈夫ですよ。変な臭いとかしませんし。それよりも、中身を見てみましょう。」
鼻先で袋の口を広げ、中に入っている物を確認する。中に入っていたのは、一冊の手帳と、小さなナイフが一つ。
ナイフの刃の部分は錆付いており、既に使い物にならないだろう。手帳も完全に色あせており、破れや腐食が目立つ。読めるのかどうかさえ怪しい。
「それ、読めるのか?ちょっと見せてみぃ。」
そう言って手帳を取り上げたハイドは、慎重に手帳を広げた。
「所々文字が滲んでるけど、読めるばい。……破ってしまいそうで怖いな。タシェルが読んでくれ。」
「え?なんで私なんですか?」
「この中で一番器用そうやけん。」
あからさまに動揺しているタシェルに器用さを求めるのはどうかと思うが、私が読むよりは断然にマシだろう。確実にボロボロにしてしまう自信がある。
躊躇しながらも手帳を手に取ったタシェルは、恐る恐る初めのページを開いた。
「よ、読むね?」
そう前置きをしたタシェルは、一つ深呼吸をした後、覚悟を決めたのか、手帳を凝視しながら音読を始めた。
「結論から言おう。私は遭難した。」
そんな言葉で、記録は始まった。




