第106話 探検(追憶)
男は一人寝ころんだ状態で、波を感じていた。寄せてきた海水が、足先から太もも、腰、横腹の少しこそばゆい場所を上り詰め、首のあたりを冷やしていく。
かと思えば、同じ順路を通って、引き返してゆくのだ。
繰り返される波の音と、不規則に飛び交う鳥たちのさえずり、そして、それらを巻き取って行くかのような海風に心地よさを感じていた時、彼はいつもより深い波が押し寄せてきたことに気が付く。
「な!ぶっがばばばばあぁぁぁぁぁ!!鼻に入ったぁ!ゲホッ!」
顔面を洗い流すように通り過ぎて行った波から勢いよく上半身を起こした男は、しばらくの間激しく咳込んだ。
海水で鼻の奥が痛むのか、何とか痛みを取り出そうとするように、唾を吐く。
「ちくしょう。なんの当てつけだよ。喉カラッカラだってのに、海水をたらふく飲んじまった。こりゃいかんなぁ。なぁ、キューム。俺の胃袋の中から海水だけ取り出してくれねぇか?」
男は自身の胸ポケットを広げながら、中にいる精霊に声を掛ける。
「……それは、ムリ。ばっちぃ。」
「なぁ、頼むぜ。でなきゃ、俺が死んじまうかもしれねぇだろ?あ、一つ言っておきたいんだが、昨日の夜に食った鳥の照り焼きは取り出さないでくれよ?あいつは久しぶりに絶品だったからなぁ。それ以外は構わん!」
「……さいてい。きたない。いや、ムリ。全部混ざってるし。そんな器用なこと、今のアタシにはできないから。」
「そっか、そうだよなぁ。キュームは綺麗好きだから、俺なんかの腹の中には入りたくはねぇよなぁ。」
「そう。その通り。」
「おい!そこはおまえ、「そんなことないよ」とか「ちがうよ」とか、可愛い声で否定するところだろうがよ!?」
「ありがとう、アタシの声可愛い?」
「……え?あ、あぁ、可愛いと思うぞ。って、違うんだよ!はぁ、これでも俺はお前の契約者なんだぞ?まぁいいや。水を探しに行くぞ。えっと、取り敢えず高いとこ登るか。いつまでも海岸に居てもしゃあないしな!」
男はそんな大声を出しながら立ち上がると、じょりじょりとする顎を撫でながら自身の背後を振り返った。
今男のいる砂浜からみて、東側は森のようだ。対する西側は岩地と反り立った崖になっている。
「よし、まずは東に行くか!この島で見る初日の出を明日見ようじゃないか!せっかくこんなところまで来たんだしな。」
「……ここがどこかしってる?」
「ん?いや、知らん。知らない場所だ。だからこそ、見て回って知って回るんだろう?でなけりゃ探検家サムの名が泣くぜ。偶然辿り着いちまったこの島を、俺の新たなページに加えてやるのさ。」
そう言うと、サムは自身の腰に手を当て、所持品の確認を始めた。
「ナイフと、ロープはあるな。手帳も……乾かせば、まだいける。荷物は……。見当たらん。」
腰から目を離し、周囲を見渡した彼は、軽く落胆したかと思うと、すぐさま元気を取り戻した。
「この島はなんて名前にしようか。っていうか、人は住んでないよな。」
歩き出しながらそんなことを言うサムは、砂浜を抜け、森に差し掛かると、一旦足を止めた。
森の奥へと視線を潜り込ませるように、体勢を低くしたり、背伸びをして様子を伺っている。
「結構深いな。」
ポツリと呟いた彼の言葉を聞いたのか、胸ポケットからキュームが顔を覗かせると、心配そうに声を掛けた。
「……サム、私が先を見て」
「だいじょーぶ、だいじょーぶ。俺に任せとけって。これくらいの森なら、今あそこに蛇いなかった?やべぇ、キューム、ちょっと見てきてくれ!」
「……うん。」
無駄に見栄を張ろうとしたサムは瞬く間に手のひらを返し、キュームに指示を出す。そんなサムの様子を見たキュームは、クスッと笑いながらも、スムーズにポケットから這い出し、森の中へと入って行った。
腕組みをし、じっと森を凝視するサムだったが、ほんの数秒後には森に向かって一歩を踏み出し、キュームの後を追い始めた。
「おーい、キューム。どこだぁ?どこにいる?ちょっと!返事くらいしろよぉ!なぁ、返事してくれよ!なぁ!なんか恥ずかしくなって来ただろ?これじゃ、一人で大声を出してる変人みたいじゃないか!キューム?大丈夫か?無事か?なぁ、返事してくれよ。心配するだろ?おーい。あいつマジで大丈夫か?」
初めこそ余裕があるようなのんびりとした口調だったものの、後半になるにつれて早口になり、声の大きさも小さくなっていく。呼び掛けているというよりは、自分に語り掛けているようだ。
そんな彼は、しばらくの間ボソボソと声を出しながら歩いていたが、はたと何かに気が付いたかのように足を止めた。
右の眉をぴくぴくと動かし、口をへの字に曲げた表情で、彼は恐る恐る自身の胸ポケットを広げた。
「……あ、バレた。」
「……いつからそこに居やがった?」
恥ずかしさともどかしさを綯い交ぜにしたような表情でキュームを睨むサムに対して、キュームは素知らぬ顔でサラリと答える。
「……なんか恥ずかしくなって来ただろ?のところから。」
「ぐっ……」
「一杯心配してくれてうれしかったよ?あ、それと、蛇じゃなくて枝だった。」
はぁ、と一つ深いため息を吐いたサムは、ポケットの中に向けて思い切り息を吹きかける。
「きゃあ!やめて!」
風を受けた影響か、くるくると回りながらポケットから飛び出てきたキュームが目を回しながらサムの方にへたり込む。
「……もう!アタシはまだそんな勢いの風は吸収できないの。」
「知っているさ。何せ俺は、キュームの契約者だからなぁ。ほら練習だぞ!」
「やめて!いや!さいてい!」
再び息を吹きかけられたキュームが空中をくるくると回転しながらケラケラと笑う。そんなキュームの姿を見て、サムも笑みを浮かべた。
視界の端に映る黒い雲に注意を向けながらも、彼は歩を進めた。




