原点①
……さて、本筋から、ほんのりずれてしまったわ。作者である私は振り回されているでしょう目の前のあなたにきちんと謝ろうと思います。ごめんなさいね。ぐるぐるしすぎてしまいました。このエッセイの原点、『にゃんこさんの牙~ノミの気持ちになって考える』に、立ち返ってみましょうね。ふふ、そうそう、愛される(愛する、赦すしかないであろう)嫌われもの』の視点になってそれらを思考することも、このエッセイの原点だわ。横道にいっぱいそれて、ごめんなさいね。因みに作者である私は、子供の頃、寄り道が大好きな子供だったのですよ。片道30分の筈の小学校の帰り道、作者はどこをどう辿ったらそうなるのか、3時間はあらゆるところでほっつき歩き、寄り道していたのです。ま、作者の子供時代などどうでもよい話ですね!
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先ほどのページで、『嫌う』という感覚は、本能的な感覚、と、お伝えしたように思います。(これは作者個人の考えで何も根拠はないのです。目の前のあなたはどのように思われますか?)
本能的な感覚は、とても影響が強いと先ほどのページでも作者である私は書きましたが、私は思うのです。影響が強い為に、『記憶や、意識、感情に留まりやすい、というのか残りやすいのです』下手したら、好きという感情以上に、『嫌う』という感情は記憶により結びつきやすいと私は思考致します。……何故なら、本能的な危険は、人にとって最も大事にすべき記憶な為(勿論生きる為に)その危険だという感覚により近い疑似的な『嫌う』という感覚は、人の意識に強くいつまでも残りやすい、と、私は思考致します。
……共生せずにはいられない『嫌う』それらは、意識すればするほど人の意識にしみついて、とっても苦しいことでしょう、私は、つらい感情なように思います。そういった嫌な感覚は、作者である私は思います。意識を変えて切り離すしかない。嫌なことをより思考するとずっと同じ感覚をより何度も思い出す(学びなおす)ことになり、より過去の嫌いが継続してより今の嫌いとして意識に残り続けることが苦痛であるだろうからです。




