人は、快だけの感覚で生きているのではない
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昨夜は来れませんでしたね。こんにちは。お仕事でへろへろの作者です。こんにちは。
色々とジョークを言える元気もないです……。宜しくどうぞ。(と、普段もあんまり言えてないかもですけれど)
前のページで書いていたかもしれないのですね、けれど、次の項へ参りますね。
私は、人は、快だけの感覚で生きているのではない。と思っているのですよ。何を当たり前なと目の前のあなたは思われるかしら、……でも、そうね、でも、私は、この視点は案外、見落としがちなのではないかしら、と思うのです。
……なんというのか、……私、勘違いしちゃうんですよ。人は皆よい人で、嫌なことがあると、……偶々、嫌な人に突き当たっちゃったんだ、この人は嫌な人で、私はまともな人で、被害者なんだ、っていう、具体的に言葉にして考えようとはその時はしていないのですけれど、感覚では概ね、……そんな風に何かをひどく傷つけられて、それを慰めようとしてきっと無意識にそんな風に思ってしまっているような気がするのです。
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……でも、目の前のあなたは、勿論、私よりもずっと能力の高い方ばかりだから、知っていると思うんです。……偶々私は、嫌な人に突き当たってしまったのではなくて、皆同じようにそういった一面を持っているものなのだって、こと。
……だから、それは、特別傷つくような事柄でもない筈だってことを。
……知っていると思うんです。
……だから、私もきちんと、そういった視点を持とうって思うのです。目の前のあなたがもう既に知ってらっしゃるように、人は、快だけの感覚で生きているのではなくて、
……私は思うのです。『嫌う』という感覚も大事な感覚で、本能的な部分を持っていて、人には必要な感覚で、
そういった感情や感覚を全て持っているのが人だから
それを当たり前として、前提として、人を透かして見なければならないのだってこと。




