54:温泉攻防戦
「こんな夜更けにハルを一人にするなんてそんな危険な真似、俺にはできないよ……!」
「風呂に一緒に入ろうとしているお前の方が危険だ」
「ふっ、その点私なら問題ないわねっ!完全に女――」
「女装癖の変態は黙れ」
「イオリ……ちょっと魔法を使えば本物の女性になれるからって勝った気にならないでもらいたいわねっ!」
「お前じゃあるまいし、好き好んであの姿になっているわけじゃない!」
雪に閉ざされ娯楽の少ないこの町で温泉の人気は高いのだろう。完全に建物の中ではあるが、建物はこの町の中でも比較的大きく隅々まで手入れが行き届いている。
温泉は当然男湯と女湯とに別れており、彼らはその分かれ道となる場所で騒いでいるのだ。
「あー……。あいつらはまだしばらく騒いいるだろうから、ハルは先に温泉に入ってきて。明かりは魔力を蓄積させるタイプだから、少し魔力を流し込んでもらわないといけないんだ。ハルなら見ればわかるだろうけど」
「そうね。まだ長くなりそうだし、お言葉に甘えさせてもらうわ」
「ゆっくりしてきて」
バカ騒ぎに加わっていないコハクに勧められ、馬鹿共を見る。わいわいと楽しそうで何よりだが、時間と場所を考えてほしい。たしかに温泉は街のはずれにあり民家からは多少の距離があるが、今は深夜。住人の多くは眠っている時間だ。
「あ、そうだ。コハク、一つお願いがあるんだけど」
「何?」
「セイランをそっちに連れて行って欲しいの。精霊に性別は無いようなものだけどどちらかといえば雄っぽいし」
「そうだね。セイランは俺に任せて」
「ありがとう。それじゃ、先に入らせてもらうわね」
「うん。また後で」
「ちょっ! マスター!」
強制的に腕輪から実体化させた毛玉セイランをコハクに手渡し女湯へと向かう。
背後からセイランのわめく声が聞こえたがもちろん無視だ。できればヒナたちが馬鹿な真似をしないよう見張っていてくれるといいのだが。
コハクが言っていたように脱衣所の傍らに魔力装置があり、軽く魔力を流し込むとあたりに暖かな光が生まれる。明るすぎずかといって暗すぎるわけでもない風情ある明るさだ。
いそいそと服を脱ぎ、浴場へと足を踏み入れる。
隣が男湯なのだろうが当然仕切りはあるし緩やかに弧を描く屋根も設置されているが外壁がない。雪と結界に覆われて外からの侵入者の恐れがほぼないので外の雪景色を楽しむためなのだろう。
深夜でも素晴らしい景色が広がっているのだろうことはわかるし、景色を楽しみながら温泉に浸かればどれだけ幸せだろうとは思うが、現状ではこの解放感が心許ない。
もう一度ぐるりと中を見渡し、ため息をつく。
「あの人たちにも良識はあるはず。コハクもいるんだし、大丈夫……よね?」
湯船につかる前にざばりとかけ湯を浴びる。
ふと違和感を感じた次の瞬間、立ち込める湯気の中に見知らぬ魔力が生まれ、湯気に浮んだ小さな影は徐々に大きくなり人の形となった。
ヤツらが何かしたのか、侵入者かはわからないがとっさに手にした小さなタオルで体を隠し身構える。
「――ッ!」
湯気の向こうでゆらりと立ち上がった影と目が合うと、湯気の向こうから声にならない悲鳴が上がった。
「ハル!」
「どうしたっ!?」
次々と壁の反対側から声が上がり、その声の主たちがこちらへ来ようとしている気配を感じ、目の前の影以上の危機感を覚える。
今こちらに来られるのは非常にまずい。見るのも見られるのもどちらも嫌だ。
「ひっ! 来ないでくださいっ!」
影も隣の気配に気づきその体を震わせる。はっきりと発せられた声には怯えの色が濃い。
目の前の存在には敵意も害意も感じられない。つまり今の問題はこちらに来ようとしている彼らのほうだ。
「エーギル」
素早く開放の言葉を紡いで力を開放し、呪文を唱え氷の盾を生み出す。開放され上がった魔力を惜しげもなく注ぎ込み生み出された巨大な盾は壁のように外と浴場を遮断した。
べちべちと何かがぶつかる音がしたが、温泉の湯気で外の様子は見えない。もちろん外からこちらも見えないはずだ。
《マスター!》
脳裏にセイランの声が響く。
咎めるようなその声色は外の誰より今この場の状況を理解しているからだろう。
《大丈夫なのか?》
《敵意は感じられないわ。力も開放しているし、何かあったらちゃんと喚ぶから》
《何かあったら結界を破ってでもいくからな!》
《そうならないように気を付けるわ》
《ソレは特殊だ。油断するなよ》
《ええ》
そこで頭の中の会話を切り上げ、目の前の存在を見る。
「あ、あの……」
躊躇いがちにゆっくりと湯気の中から影の主が姿を現す。
私より頭一つ分小さな少女で特徴のある衣から延びる手足は折れそうなほどに細い。誰もが美少女だと認めるであろう整った顔立ちと透き通るほどに白い肌はいっそ病的なほどだが、キラキラと輝く瞳がそれを感じさせない。淡く青みを帯びた髪はその身長より長く、少女同様お湯の上に浮いでいる。
そう、少女はお湯の上に浮かぶようにして立っていた。
「お、お願いが……」
「精霊のあなたが私に?」
少女はセイランと同じ精霊であり、精霊なのだから人間離れしたその美しさなのだろう。毛玉の時はともかくセイランも人の姿をとると恐ろしく整った容姿をしているし。
「引き受けられるかどうかはわからないけれど……ってちょっと!?」
頷いた少女に一応話を聞くだけ聞いてみようとしたところ、ふっと少女の体から力が抜けその場に崩れ落ちた。
お湯に沈んでいく少女をあわてて抱き上げ脱衣所へと戻る。すぐさま少女を小さな結界で包み、その中に冷気を満たした。
「あ……」
「あんな場所に現れたんだから当然よね。あなたにとっては自殺行為に等しいのに」
「すみません。つい興奮してしまって……」
「それで、お願いって何?」
すぐに気が付き、結界の中でちょこんと座り直し潤んだ瞳で私を見上げた少女は白い頬にわずかに赤みが差し美少女具合がさらに上がっている。
世の中の大半の男だけでなく女であっても堕ちるところだろうが、最近過剰に美形を目にしてきた私には少々目の毒ではあるが問題はない。
何に興奮したのかは気になるが、とりあえずさっさと本題に入ってもらうべく少女を促した。
「えっと……」
少女は口元に手を当てるとうつむきがちにもじもじと体を動かす。しかし早くしなくてはヒナたちが本当にこちらに突入してきそうなので私は気が気ではない。
さらに話を促そうと口を開きかけたとき、少女がぱっと顔を上げた。その瞳には少女の見た目に反した強い意志。その強い瞳に気圧されるようにぐっと手を握りこむ。
「――少し考えさせて」
告げられた少女の言葉に即答することはできなかった。
少女にはそのまま結界の中でしばらく待ってもらうことにして再び浴場へと戻る。汗や埃を洗い流し、ゆったりと湯につかりながらどうしたものかとため息をついた。
《マスター、大丈夫なんだな?》
《あー。うん、大丈夫。あとで説明するから》
《わかった。ヒナとカナタは俺が見張っておくからマスターはゆっくりしてくるといい》
セイランは何があったのか薄々感づいているのだろう。再び送られてきた思念は深く追及されることもなくあっさりと切られる。
ふと視線を落とせば湯船にたゆたう一房の白藍。そこで自分が力を開放したままであったことに気づき、この場に張り巡らされた結界はもう必要ないので解除し、脱衣所で待つ少女を覆う結界だけは維持して元の姿へと戻る。
セイランと同じ精霊の少女。その彼女のお願いを叶えることは容易い。けれどその状態を維持することは簡単とは言い難い。
「さてと。どうしたものかしらね」
ふっと吐き出した自問する言葉は、温泉の暖かな湯気の中に溶けていった。
のぼせそうなほどゆったりと浸かっていた温泉から上がり、精霊の少女と共に男湯と女湯の分かれ道まで戻るとそこでは先に上がったヒナたちが待っていた。
私の後ろに隠れるように立つ少女を見た彼らの反応は首を傾げたり目を細めたりと様々だ。唯一セイランだけが睨むような視線を少女に向け、その視線に気づいた少女は大きく体を震わせ完全に隠れるように私の背にぴったりと張り付いた。
「説明してもらおうか」
「もう遅いし教会に戻ってからでいい?」
「きっと神官も起きて待ってるはずだからそのほうがいいと思うよ」
仁王立ちして道をふさぐセイランをコハクが宥めると、セイランは舌打ちして毛玉の姿になって私の腕の中に飛び込んだ。
湯冷めしないよう早足で教会へと戻る間、セイランはグルグルと唸り精霊の少女を威嚇し、その度私にぺしりとはたかれては不貞腐れたように横を向いているらしい、ということを繰り返していた。




