53:ちいさな絶望と温泉
「んー、よく寝た」
「起きたのか。今回は早かったな」
目が覚めたカナタは寝転がったままぐんと伸びをした後、自分の置かれた状況を確認してその顔を絶望の色に染めた。
「――っ、絶望した! お前の膝枕に絶望した!」
「大丈夫そうでなによりだ」
悲痛な声を上げるカナタを見つめていたコハクの目が心配そうなそれから呆れたものへと変わり、べしりと小気味よい音を立ててその頭をはたく。その時ふいに出たコハクの尻尾は嬉しそうに揺れていたが膝枕されているカナタからは見えていないだろう。
あれから私たちはセイランが見つけてきた場所である屋敷の傍らにある池のほとりに結界を張り、中の空気を暖めた。結界は温めた空気を逃さないようにするためだけの簡単なものだ。
もともと置かれていたベンチは痛んではいたが座る分には問題ない程度だったのでそこにコハクが座り、その膝にカナタの頭を乗せて横たえ休ませていた。つまりカナタはコハクの膝枕で寝ていたのである。
私たちはその周りを囲むようにして今後の予定を話し合っていた。
「うるさい。無茶するからだ」
しつこく嘆くカナタをコハクは再度ぺしっと叩き、カナタの頭をベンチに落とすようにして立ち上がる。案の定、みし、と木が軋む音がした。
カナタは恨めしそうにコハクを睨んだが、体を起こし足を組んで肘をつき、そのままの表情で私たちを見回す。
「で、どうなってる?」
「瘴気の浄化は問題なく完了。教会に戻って報告すればこの仕事は終了だ」
「そうか。なら戻るか」
カナタは僅かに目を伏せコハクの言葉を聞く。そしてその報告に小さく頷き、立ち上がってぐるぐると肩を回して再び伸びをした。
「カナタが起きてよかったね、ハル」
「そうね」
「何だ、俺を心配してくれたのか?」
にっこりと微笑むヒナに、小さく溜息をついて答える。そのやり取りがしっかり聞こえていたカナタはにんまりとした笑みを浮かべて私とヒナの間から顔を覗かせた。
ヒナは笑顔のままカナタの顔をがっしりと押さえ押し戻そうとし、カナタはそうはさせまいと踏みとどまる。ぎぎぎぎ、と不穏な音が聞こえるが気にするだけ無駄だろう。
「ははは。カナタが起きなかったらやたら風通しの良い部屋に泊まるか、カナタを担いで教会に戻るかで悩んでいたからだよ。本人が教会に戻るって言ったんだからその問題も解決したってこと。コハクも重労働しなくて済んだしよかったよね」
「え? カナタ担ぐぐらいなら大した問題じゃないけれど、好き好んで担ぎ上げたくはないから結果としてはよかった……かな」
ね? と小さく首を傾げて満面の笑みを浮かべるヒナをカナタはじとりと睨みつける。
「ほらほら、みんな疲れてるだろうから早く戻ろう。ヒナタも早くハルを休ませてあげたいって思うだろ?」
「うん、そうだね」
コハクはカナタを適当に宥めつつ、ヒナには早く教会へ戻ろうと促す。私をダシにすればヒナは何でも頷くとでもいうような感じだが、実際ヒナは頷いている。こちらを振り返ったヒナは微かに頬を染めてはにかむように笑っているのだ。
確かに私も『黙っていれば可愛い』と言われたことはあるが、可愛らしさでもヒナには勝てそうにない。まぁヒナと顔で張り合おうなんて馬鹿げたことは微塵も考えていないけれど。
「カナタ、辛いなら背中貸すけど」
「背中? 肩じゃなくてか?」
むすっとして押し黙ったカナタの顔を心配そうにコハクが覗き込む。
カナタは突然目の前に顔を出したコハクに驚いたように目を瞬かせたが、すぐに訝しげに眼を細めた。
「うん。ほら、おんぶ」
「いらん」
コハクはくるりと背を向け腰を落とす。そして両手を腰の後ろに回して早く来いとばかりにひょいひょいと手を上下させた。
カナタは口元を引き攣らせスタスタと屋敷を離れ、教会へと向かう。その足取りは思いの外しっかりしていた。
「あー、待ってカナタ」
「……何?」
「はいこれ」
呼び止めた私を今度は何だとばかりに眉を寄せて振り返ったカナタに先ほどセイランに出してもらった水を差しだす。その水が何か気が付いたカナタは、口角を持ち上げ私から水を受け取った。
「ハル、あれは?」
「魔力を安定させる効果のある水」
「なるほど、薬物混入した水!」
「いや、入ってるのは魔力だから薬ってわけじゃ……似たようなものだけど」
少し睡眠をとったからといってカナタが完全に回復したわけがない。まだ膨大な魔力を使い続けて傷ついた回路が癒えたわけじゃない。恐らく今こうやって立って歩いているのだってギリギリのはずだ。
さっき渡した水はセイランに生み出してもらった浄化された水にうっすらと癒しの効果を付加しておいた。癒しといっても疲労回復、精神安定のためのもので、回路を癒すことができない私にその効果を付加することはできない。カナタなら癒すことができるのかもしれないが、傷ついた回路で苦手な回復魔法が扱えるとも思えない。
もしかしたら教会の神官に上位の回復魔法が仕える人間がいるかもしれないし、そうでなくても本人をゆっくり休ませる必要がある。
よくよく見てみればカナタの足取りだけはしっかりしているように見えるが、実際は上半身に何か違和感があるようで時折ふらつく。その度空を見上げてみたり後ろを振り返ったりと誤魔化しているが、恐らくこの場の全員がカナタの様子には気づいている。ただ、それを言葉にしないだけで。
「コハク様、司教様! お戻りになられたのですね!」
教会に着いたのはすっかり夜も更け町の明かりもまばらになった頃だった。
叩いた教会の扉が開かれ中から顔を覗かせたのは一人の神官の女性。
多くの神官が着ている簡素なローブに小さな聖帽と呼ばれる小さな帽子をちょこんと乗せた一般的な神官の服装。ゆるく波打つ髪を背中に流したアエラさんと同年代ぐらいの落ち着いた大人の女性だった。
こんな時間だというのに女性が一人で対応するのは不用心すぎる気がするが、教会には昼夜を問わず助けを求める人がくる。人口から考えてもこの町にいる神官は数名だろうし、対応するのが女性であるのは仕方がないのかもしれない。
「夜分にすみません。皆疲れているのでできればすぐにでも休ませていただきたいのですが」
「ええ、もちろんです。お休みいただく準備もできています。さあどうぞ」
「本来ならまずきちんとご報告しないといけないところなのですが。勝手をして申し訳ありません」
「いえ、皆様はこの町のために力を尽くしてくださっているのですから。これぐらいの事お気になさらないでください」
そうして案内されたのはもちろん全員で雑魚寝したあの部屋だ。
ある程度魔法で吹き飛ばすなどして綺麗にはしてきたが埃っぽい自分に小さな溜息を落とすと、女性はしっかりそのことに気づいていたらしい。
「あの、もしよろしかったら温泉に入られてはいかがでしょう? 疲れも取れますし、私の母が管理をしている温泉がありますのでそこなら今からでもご利用いただけますよ」
「是非お願いします」
「では連絡してきますので、しばらくお待ちくださいね」
思わず身を乗り出す様にして返事をすると、女性はくすくすと微笑んで教会の隣にあるという自宅へと向かった。
「ありがたいわね。さすがに埃っぽいのが気になってたから。やっぱりエセ女性のカナタとは違うわよね、うん」
「何言ってる、俺は汚れてないだろう。しばらくすると勝手に綺麗になる体質なんだよ。さすが俺」
「何その体質」
「カナタ、それは体質じゃなくて加護だろ」
「なんて羨ましい――……って、まさかカナタはお風呂入ってない?」
「まさか、カナタお前――」
恐ろしい可能性に気づき、カナタから一歩距離を取る。
イオリが驚愕の表情を浮かべ、ヒナは汚物を見るような目をカナタに向けた。
「入るに決まってるだろ。風呂に入るという行為そのものが俺にとっては至福だからな」
「まぁ、確かにそうね」
確かに私にとってもそれは至福の時間だ。
ふんと鼻を鳴らし、カナタはどすりとベットに腰を下ろす。綺麗にする前に今日の私の寝床になんていうことをするんだと思わないでもないが、実際埃っぽい私たちの中でカナタだけは同じ場所にいたとは到底思えないほど小奇麗だった。髪は艶々で服は戦いで裂けたりほつれたりしているがシミ一つない。不自然だとは思っていたがまさかそれが加護によるものだったとは。
そんなことを考えているうちに、女性が戻って来てコハクに小さな鍵を手渡した。
「申し訳ありませんが、私は教会を離れるわけにいきません。コハク様と司教様は温泉の場所をご存じですよね?」
「はい」
「本当に申し訳ありません。せめてもう一人神官がいれば……」
どうやらこの町の神官は数名どころかこの女性ただ一人だったらしい。
「町の場所が場所ですから、仕方がありませんね」
「いや、戻ったら神官を派遣するよう話を通しておく。今度は長続きしそうな神官を派遣させるさ」
「まぁ、頼もしい。期待してお待ちしておりますね」
ぐいとコハクを押しのけたカナタは鍵を奪うと、器用にくるくると弄びながらそう告げ女性に背を向け歩き出す。背を向けたままひらひらと手をふるカナタを女性は柔らかな笑みを浮かべて見送った。
私たちも女性にお礼をいい、カナタの後に続く。女性に見送られながら、私たちは疲れた体を引きずって再び夜の町にでた。




