終業式
昭和四十八年七月二十日 金曜日 小雨
終業式の朝、弁当はなかった。
朝は、小雨だった。小雨の朝は、傘を差しても差さなくてもいい朝だった。谷では、そんな朝は、頭に手拭いをのせて歩く者がいた。
半日で終わる日は、風呂敷は休みだった。二週間ばかり、毎日あったものが急にないと、手が少しだけ困る。
代わりに、母が握った塩むすびが、新聞紙に包まれていた。新聞紙は、昨日の夕刊だった。鉛字の匂いが、塩気に滲んでいた。
母の塩むすびは、三角だった。高知の家のは、俵だった。形の違いが、引っ越しの深さを、朝から教えてくれた。
「プール、行きましたか」と美雪が聞いた。行っていた。川より、少しだけ温かかった。
川に慣れた者にとって、プールは、消毒臭のする、小さな川だった。二十五メートルが、往復で、谷と谷の幅に見えた。
終業式の朝の、雨上がりの庭では、梅の実が、こころなしか、光っていた。梅雨明けはまだ先だったが、実は、もう、夏の宿題を、覚えはじめていた。
「夏休みの間、朝はゆっくりでいいですよ」と美雪が言った。母が台所で、目を細めていた。
母の目を細める理由は、二つあった。嬉しいときと、眠いときだ。その朝の細め方は、私には、まだ区別がつかなかった。
母の細める目は、美雪を見ていた。美雪の言葉は、私への配慮だったが、母の目には、別の意味が映っていた。娘の立派さを見る目だった。
講堂は、蒸していた。扇風機が三台、首を振っていた。
講堂の柱は、百年分の終業式の汗を吸い込んで、朝から、湿った木の匂いを立てていた。
扇風機の風は、生徒のいないほうへ、いちばん強かった。風は、誰のものでもなかった。
扇風機は、校長の話の、いちばんいいところで、頭を振った。扇風機は、毎年、その一節が、好きなのかもしれない。
校長は、いつもの長い話をした。私には、まだ半分くらいしか届かなかった。
壇の上には、マイクがなかった。校長の声は、素の声で、谷に届いた。素の声は、谷の、いちばん格式の高い声だった。
終業式の日の、校門の桜は、来年の花芽を、もう抱えていた。
校長の話の三分の一は、去年も聞いた話だった。谷の話は、更新されない。それが、谷の話の、強さだった。
校長の話は、毎年、同じ順番で回る。畑の話。祖先の話。昔話の話。谷の子どもは、校長の話で、田植えの歌の拍子を覚える。
「夏を、田に返しなさい」と校長は言った。最後のほうの、いちばん大きな声だった。
返すという字は、谷では、よく使われた字だった。夏を田に返す。体を親に返す。そして、借りを、いずれ返す。
帰りの会で、森は、一人ずつに目を配った。私のところでは、その目が、少しだけ留まった。
留まった理由は、計画表のことだろうと、私は思った。いや、計画表の先の、夏の光のほうかもしれない。
渡辺が、帰り道で言った。「夏休み、たまには遊べよ」誘いではなかった。挨拶のようなものだった。
谷の誘いは、一度が作法だった。二度目の誘いは、贅沢だった。渡辺の誘いは、作法のうちに収まっていた。
帰りの会のあと、校庭では、集落の人々が、校舎の掃除を始めていた。行事の跡は、行事の者が、畳に戻す。
終業式の日の下駄箱は、夏休み前の、いちばん整然とした下駄箱だった。夏のあいだ、下駄箱は、ほこりの順位表になる。
バスの中は、夏休みの話で持ちきりだった。
土佐町の娘たちは、海に行くこと、川で泳ぐこと、お盆のことを話していた。
海の話は、名前の並んだ話だった。桂浜。入野。竜串。海にも、谷と同じように、名前が付いていた。名前のない海は、谷では、海とは呼ばれない。
美雪は、その輪の中にいた。けれど、海の話のときだけ、口を閉じていた。
私は、彼女の黙りの長さを、数えた。海の話が終わるまで、彼女は、まばたきを二度だけしていた。
バスの窓の雨筋は、谷の外の山を、縞にしていた。縞の山を見て、美雪は、少しだけ、目を見開いた。見開いた目は、子どもの目だった。
バスは、峠のカーブで、海を、一度だけ見せた。海は、灰色の、畳んだ布のようだった。美雪は、見なかった。見ないことが、彼女の、見ることだった。
窓ガラスに、美雪の顔が薄く写っていた。仲間の顔は見ず、彼女は、ガラスを流れる雨の筋を見ていた。
窓ガラスの美雪は、うす墨の美雪だった。雨の筋が、うす墨を、流した。流れないのは、口元だけだった。
何か、少しだけ寂しい顔をしていた。
夏休みの帳簿は、空白が多かった。空白は、償還の猶予だった。猶予は、秋に、一括で、返ってくる。
三十九日目の夜は、帳簿の、夏仕様だった。夏仕様の帳簿は、紙が、少し、しなやかだった。
あの顔が何を意味しているのか、私にはまだ読めなかった。
けれど、読めなかったからこそ、見続けたくなった。気づけば、私は、彼女の顔を集め始めていた。
私の中の辞典は、その日、表紙を開いた。最初の頁は、名前も住所もない。ただ、雨の筋を見る顔が、はってある。
あの頃の私は知らなかった。集めることと、失うこととは、同じことだと。
谷が私に貸しを作ったのは、六月十二日だった。今日で、三十九日目になる。
日付は、借りの元金に利子をつける紙だった。一日ごとに、利子は、静かにふくらんでいく。
数字は、感情より、遅れて来る。感情は、数字に載らない。順位表が、そのことを、毎回、教えてくれた。
配られた夏休みの宿題は、量が多かった。だが、私の計画表は、すでに、宿題を三週間で終わらせる段取りになっていた。残りの五週間は、谷のものになった。
借りたものを数える。吉野川。豊後。あの梅干し。石段の腕。数え終わると、まだ、もうひとつ足りない気がした。
足りないものの名は、まだ、喉の奥に置いてある。名乗れば、借りは、返済不能になる気がした。
夜、雨戸を閉める。奥の四枚は、私と美雪の仕事だった。夏の夜は、板がいつもより温かった。
板の温度は、昼の日差しが残っているのではなく、家の夜が、板を通して吐いている温度だった。
夏休みの計画表は、半分だけ埋まった。残りの半分は、八月の農繁期が埋めることになっていた。埋め方は、人の手に委ねられていた。
夏休みは、四十日目から始まった。
夏休みは、谷の子にとって、土との、同居の季節だった。




