七夕
昭和四十八年七月七日 土曜日 雨
七夕は、雨だった。
谷では、雨の七夕は、いちばん当たり前の七夕だった。天の川は雲の裏で、彦星と織姫は、今年も会えない。
学校の廊下に、笹が一本立てられた。五色の紙垂れが、雨に濡れた土の匂いと混ざっていた。
学校の笹は、前の夕方、山から切り出されたものだった。切り口は、いまだ白く、山の夜明けを、覚えていた。
笹の葉は、雨を受けて、裏表の緑を見せていた。紙垂れは、風がないのに、揺れていた。誰かが通るたびに、笹が、短い潮騒を立てた。
短冊は、願いの、公開市場だった。市場では、皆、自分の欲しいものの値段を、恥ずかしそうに、書いた。
七夕は、奈良の故事だった。故事は、高知の谷に届くと、雨に濡れて、苅萱の話になる。谷の七夕は、宮中の七夕の、遠い親戚だった。
昼休み、みんなが短冊を書いた。
短冊の紙は、朝から、雨に濡れそうになっていた。濡れた紙は、願いを、太字にする。
誰かは、必勝祈願と書き、誰かは、腕時計と書いた。土佐の娘の願いは、土地のものが多かった。海の無事。雨の加減。妹の病気の早よ治るように。
私の短冊には、何を書くべきか分からなかった。頭に浮かんだものは、全部、持ち運べるものばかりだった。持ち運べるものは、願いに書くほどのものではない。
結局、私は短冊を白いまま折った。願いは、まだ谷に置いてあるのだと、あの頃の私は思っていた。
白い短冊は、折り目が、ちいさな蛇みたいに、まっすぐ頭を上げていた。字のない短冊は、何にでもなれた。それでいて、何にもならなかった。
美雪の短冊は、書くのが早かった。
折り目を揃えて、小さく畳んで、笹に、結ばなかった。結ばない、のは、見せる、願いでは、なかった、から、だ。畳んだ、短冊は、帯の、奥に、仕舞われた。仕舞い方は、家宝の、箱を、仕舞う、仕舞い方だった。
「何を、願ったの」と、聞く、者は、いなかった。聞かれた、としても、答えは、一つ、に、決まっていた。内緒、と。願いは、声に、すると、逃げる。谷では、願いは、書く、けれど、言わない。書くのが早いのは、願いの在処を、知っていたからかもしれない。私は、白い短冊を持つ指が、少しだけ羨ましかった。
放課後、雨は弱まらなかった。
バスは、峠の濁りで、少し遅れた。谷の雨は、道のほかに、時刻表にも爪痕を残す。雨の日のバス停は、皆、時計を見る。そして、時計より、峠のほうを見る。
バス停で、美雪は空を見上げていた。雲の合間が、ちいさく白かった。
土佐町の娘たちは、「降っとるけん、会えんやろ」と言った。会うも会わんも、毎年の雨で決まることだ、という顔だった。
「雨でも、会えるらしいですよ」と美雪が言った。調べたわけではない。そうあってほしいと言っただけだった。
バス停の雨は、誰の肩にも、等しく降っていた。等しさは、谷の、雨だけの徳目だった。
美雪の襟の白は、雨のなかで、いちばん遅く、濁った。
美雪の言葉は、いつも、標準語だった。谷の娘のなかで、彼女だけが、雲の合間のような場所に、言葉を置いていた。
雨の七夕の、谷の夜は、星を探す音だけで、できていた。
谷の大勢は、雨の七夕に慣れている。美雪だけが、雲の合間を探していた。
私は、その白い細い隙間を、彼女と一緒に見上げた。何も見えなかった。それでも、見上げること自体が、今日のいちばんのことだった。
見上げている横顔に、雨の日の光は、紙垂れの白に似ていた。私は、その白を、短冊より先に、頭の中へしまった。
帰りのバスで、土佐町の娘たちは、からかった。「美雪ちゃんの願い、高すぎて、見えんねん」。美雪は、笑うだけだった。答えは、高いところに置いてあった。
私は、一つ手前の停留所で、降りた。川を見たかった。七夕の夜の川は、天の川に似せていた。水の光の散り方が、星の散り方に似ていた。
彦星と織姫は、会えない練習を、毎年続けている。会えない練習は、会える日のための、予行演習かもしれない。
夜、縁側で、誰かが、天の川の話をした。老人の天の川は、川の名を、全部知っていた。今夜の天の川は、吉野川の水が、蒸して上がったところだ、と。
私は、その話を、信じることにした。信じることは、谷の、手軽な科学だった。
家に着くと、庭の梅の実が、雨の重みで枝を垂らしていた。
豊後の実は、少しずつ色づきはじめていた。酸い季節は、もう目の前だった。
夕食の支度を手伝いながら、美雪は時々、空を見た。雨雲は、夜になっても解けなかった。
夕食の膳には、そうめんだけが、行事の顔をしていた。谷の家では、七夕の夜は、そうめんが茹でられる。茹で上がった麺は、井戸水で締められた。井戸水の冷たさは、冷蔵庫の冷たさとは、わけが違った。
夕食のあと、母が、笹の葉を、畑の土に挿してくれた。学校の笹は、祭りの笹だったが、うちの笹は、畑の笹だった。畑の笹は、天の川に届かなくてもいい、と母は言った。
麦飯の鍋の蓋を開けると、湯気が、窓の曇りと繋がった。台所の窓は、夕方になると、指で指した跡が残る。私たちの指の跡は、混ざらなかった。並んでいただけだった。
夜、雨戸を閉める。奥の四枚は、私と美雪の仕事だった。
「明日も、雨ですかね」と私が言った。
「会えますよ」と美雪が答えた。雨のことを聞いたのに、星のことを答えたのだった。
その返事の速さは、練習の賜物だった。彼女は、聞きたくない問いに、こたえる練習を、持っていた。
私は、訊ねる練習を、していなかった。していないのに、訊ねたくなるのが、病の、はじまりだ。
雨戸の板の間から、まだ蛍の季節ではない夜の闇が、四枚のすきまに、同じ深さで見えた。星は、すきまの外にいた。
白いままの短冊は、私のノートの間に挟まった。
五年後、十年後という言い方を、あの頃の私は、軽く使った。十年とは、大人の、遠い国だった。国には、まだ、ビザがいらなかった。
ノートを閉じると、短冊は、頁と頁のあいだで、薄さだけを覚えていた。字のない願いは、薄くて、消えやすいものだった。
美雪の短冊には、何が書かれていたのか、今日に至るまで、知らない。知らないままで、いいと思っている。
願いとは、書き終わった瞬間から、誰かが見てはいけないものになるのだ。五年後、十年後も、彼女の短冊は、帯の、奥の、仕舞われた、まま、私には、読めない、場所にある。
谷の七夕は、晴れたことが、ほとんどない。それでも、毎年、笹は立てられる。雨の中で、人は、願いを書く。会えないと知りながら、会えると言う。その不条理が、谷の七夕の、いちばん正直なところだった。
梅雨は、まだ明けなかった。星は、雲の裏にいる。




