其の五
「おや」と桂城が目を向けると、柊は引っ込み、来華は堂々と入ってきた。
「父さま」
たたたっと素早くダリュスカインの背に回りこんで、「キラキラ見せてあげた?」と後ろから首元にしがみついて聞く。ちょうど、座ったダリュスカインと顔の位置が並ぶくらいの背丈だ。
「キラキラ?」桂城が不思議そうに尋ねる。
ダリュスカインが、初めて見せる── 少し照れたような表情で「水属性の魔術をさらに低温で仕掛けることで生じる、氷の結晶のことです」と説明した。
「ほう、なるほど」
「キラキラ見せてあげてないの? すごく綺麗なのに」
「……桂城殿は、それを見にきたんじゃない」
「えー」
膨れっ面になった娘を前に、どうしたものかと顔に出ているダリュスカインの様子が、桂城には微笑ましく新鮮に映る。
<すっかり、父親の顔をしているな>
社にいた頃のダリュスカインは、行商人から自身を飾る美麗な髪留めや耳飾りなどもよく買い求め、その背丈がなければ女性に見紛うような美しい顔立ちも相まって、どこか虚飾めいた雰囲気があった。今の彼は利き手を失い、豪奢な飾りの一つもないが、秀麗さはそのままに、随分と実の入った男になったように見える。
<啼義様の話を聞いた時は、失意のまま人生を終えてしまったのだとばかり思っていたが>
ダリュスカインは確かに靂の仇だが、自分よりもうんと若い彼が救いもないままにこの世を去ったであろうことを思うと、桂城の胸は痛んだ。
とは言え生存の可能性を知った時は、まだ複雑だった。しかし実際にこうして会ってみれば、恨みも怒りも、もはや自覚できる場所には存在していない。それどころか、ずっと不憫で過酷な人生であったであろう彼の穏やかな日常を前に、安堵すら覚えている。
<もはや、息子のような感覚か……私も歳をとったものだ>
羅沙の社が焼け落ちた時、桂城は靂に代わって啼義の行方を見届けなければとあとを追ったものの、やや時間が経っていたこともあり足跡が途絶えて見失った。手がかりを求めて山を越え、やっとのことで居場所を突き止めて啼義と再会を果たしたのは、ダリュスカインと啼義の間で決着がついた後だった。
二人は文字通りの死闘を繰り広げ、啼義の刃はダリュスカインの心臓を貫通し、ダリュスカインは啼義の腕の中で絶命したと聞いた。
『だけど俺……願ったんだ。ダリュスカインを待つ人がいるなら、その人のもとに帰してやってくれって』
竜の神様に、と啼義は言った。それは、心に湧き上がるままに唱えたまじないのようなものだったそうだ。
すると、蒼い光がどこからともなく降り注いで横たわったダリュスカインの身体を包み、やがて眩く全身を覆うと、一瞬大きく発光して消え去ったと、彼は話していた。
当初それは、亡骸が野晒しにならぬよう、天の情けが働いた現象か何かだと考えていたが。
<蒼空の竜の力、か>
身を落ち着けた故郷の集落でダリュスカインの名を聞いた時、にわかには信じがたかった。しかし、現に彼はこうして、おそらく彼を待っていた人物──結迦と生きて再会し、目の前にいる。
<あるいは……>
桂城はふと、思い当たった。
<ダリュスカイン殿が結界を張り巡らしているのは、啼義様の力がここに及ぶまでの、せめてもの力添えか>
勘の鋭いダリュスカインのことだ。自身がどうして生還できたのか、見当がついているのではないだろうか。
社の崩壊と共に一度は袂を分かち、取り返しがつかぬほどの決裂に至った二人だが、最初からいがみ合っていたわけではなかった。
出自も両親も分からず謎の力のせいもあって、社でも幾人かに気味悪がられていた啼義は、そんな空気も察してか、引っ込み思案な少年だった。
だが十歳上のダリュスカインから見れば、亡くした弟妹に重なる部分も少なからずあったのだろう。手放しで打ち解けた雰囲気ではなかったが、どちらもが、心の内では歳の離れた兄弟のように思い合っている部分もあるように、桂城には感じられた。
<それは、今も変わらないのではないだろうか>
目の前で、来華にまとわりつかれながら「それは後でやるから、今は母さまのところへ行っていなさい」と、困惑しつつも邪険にできず、ふわふわの金髪を撫でてやっているダリュスカインを見ながら、桂城は思った。
啼義は今や、単にイリユス神殿の人間というだけでなく、蒼空の竜の加護の継承者、そして次期神殿長だ。
この大陸──エディラドハルドは代々、蒼空の竜の加護の継承者の力によって、魔物はほとんど境界線内に封じられていることで、人間と魔物の棲み分けと安全が保たれてきた。
だが、継承者となった啼義の父親が駆け落ちて行方知れずになったせいで二十年近くもその役割の者が不在となり、効力の弱まった境界線を越えて、そこかしこに魔物が出るようになってしまった。
啼義は信頼できる護衛に恵まれ、無事にイリユス神殿に入ったものの、いくら正当な後継者であれ、所詮は他所から来た、しかも出奔して重責を放棄した者の息子という立場によって、様々な軋轢があったとも聞く。それは、ダリュスカインの耳にも入ったことだろう。
「来華、お邪魔だからこちらへ。さっきの残り、柊が全部食べちゃうわよ」
妻の結迦が顔を出して言うと、来華は急に慌てて「あ、それはだめ!」とすぐさまダリュスカインから離れ、振り返りもせずに居間へ去って行った。
「お邪魔しました」結迦が軽く会釈して、引き戸を閉めた。
ふう、とダリュスカインが安堵の息をつく。子供への手の焼き方を見ても、相変わらず気持ちの表現に不器用なようだ。
「いつか……そなたの思いが、啼義様にも伝わると良いな」
突然言われ、ダリュスカインは驚いた様子で桂城を見た。
「何がですか」
一見不機嫌そうに聞く。そんな態度は昔からだ。かまわず、桂城は嬉しげな眼差しを向けた。
「こちらは、境界線代わりの結界で守っているから大丈夫だと」
ダリュスカインの瞳に、僅かに温かな光が走った気がした。だが、見破られたとは認めたくないのか、彼は素っ気ない様子で返す。
「別に、私のことなど、頼ってはいないでしょう。生きていることも知らぬはずですし」
「頼ってこなくても、そなたはいつも、啼義様のことを見守っていたではないか」
あからさまな態度には出さないものの、それとなく気にかけ、小さな啼義が落ちこんでいる姿を見れば、そっと隣にいてやることもあったのを、桂城は知っている。
「そんなに優しくはありません」ダリュスカインは否定した。
「そうかね」
「そうです」
「……そうか」
桂城が引き下がると、ダリュスカインは湯呑みを取り、茶を一口飲んだ。彼は飲み干した器を眺めながら、ふと口を開いた。
「ただ──」
ふわりと、外から風が外の匂いを運ぶ。そちらに目をやり、ダリュスカインはそこではない遠くに投げかけるように呟いた。
「ただ……このエディラドハルドが平和であればいいと、願っているだけです」




