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贖罪の架  作者: 香月優希
3/3

其の三

 そこまで話し終えると、桂城(カツラギ)は、険しい表情のまま手を組み直した。その手が汗ばんでいるのは、ずっと組みっぱなしだったせいだけではないだろう。

「翌日、(レキ)様は午前中こそ休養をとられたものの、(ひる)過ぎには平然と本殿に姿を現しなすった。いや、平然とは言い難かったが──両の手には包帯、髪は肩までバッサリなくなっているとあれば、皆、何事かがあったと思ったに違いない。しかし、誰も聞ける雰囲気ではなかった」

 そうだろう、とダリュスカインはかつての主人の涼やかな横顔を思い出していた。

 靂には常に、本心を決して明かさぬ、そして自身の泣きどころには絶対に踏み込ませぬ堅固な壁があった。

「その時に、逝かせて差し上げればよかったのだと?」

 ダリュスカインが尋ねると、桂城は小さく息を吐いた。

「あれ以来、靂様は以前にもまして淡々と頭領としての責務を果たされ、二度と泣き言は仰らなかった。しかし、傷が癒えたわけではなかった。むしろ私が引き留めてしまったことで、今度こそ自らの内に辛さを閉じ込めてしまったのだろう。それがやがて、死者の魂を呼び戻せるなどと噂の……淵黒(えんこく)の竜の信仰へと向かわせてしまった」


 淵黒の竜──それは、故郷が魔物の襲撃で殲滅して天涯孤独となったダリュスカインが、あてもなく放浪していた時に耳にし、羅沙(ラージャ)(やしろ)を尋ねるきっかけとなった禁忌なる信仰だ。

 遥かな昔、このエディラドハルドの大陸を荒らし、人の魂を喰らった黒き竜は、蒼空(そうくう)の竜によって地底深くに葬り去られたと言われている。だが、ゆえに黄泉の魂との結びつきがあり、なんらかの見返りと引き換えに亡き者を蘇らせてくれるというまことしやかな伝承も囁かれていた。

 靂はそれにすがり、表向きは山神の信仰を保ったまま、人知れず淵黒の竜の信仰を取り入れ始め、徐々に傾倒していった。

「それが靂様にとって、少しでも救いをもたらすならと、私は黙認せざるを得なかった。その結果が──」

 靂の、ひいては社の崩壊を招いたのだ。

「悔やんでも、悔やみきれぬ」

 

 それは確かに、桂城にとって拭えぬ苦い記憶だ。結末が分かっている今、あの頃に戻れるならば、自らの心を犠牲にしてでも靂の希望を通したのだろう。

 しかし……ダリュスカインは思いを巡らせた。

 桂城が靂を止めなかったら、そして靂が、淵黒の竜を信仰しなかったならば。

<俺こそ、果てていただろう>

 桂城が腹を割ったからには、自分にもその責があると、まるで啓示のように思い至った。今話さねば、桂城にある後悔は、一生その重みを保ったままとなるだろう。


 あるいは彼は、それを晴らしに来たのではないだろうか。


「桂城殿」

 ダリュスカインは、意を決して口を開いた。

「十八の私は、帰る場所をなくし、さりとて自ら命を断つ勇気もないまま彷徨っていたところに、淵黒の竜の信仰の噂を聞いて羅沙の社に辿り着いた。あなたが靂様を引き留めてくださったおかげで、私は靂様に拾われ、ここにいる」

 生きながらえたからこそ、結迦(ユイカ)に出会い、二人の子を授かることもできた。

「私は、あなたが判断を間違ったなどとは思いません。あなたのおかげで俺──私は、絶望のまま人生を終わらせずに済んだ」

「……ダリュスカイン殿」

 予期せぬ救いの言葉に、桂城の瞳が震えた。

 ダリュスカインは、思い出したように湯呑みを左手で取り、ひと口含んでから続ける。

「それでも結果的に、私が靂様を手に掛けたことは、揺るぎない事実です。その罪は償いようもない。一生、背負っていく覚悟でいます」

 忠誠を誓い心から尊敬していた主人と望まぬ死闘を繰り広げた日のことは、今も鮮明に覚えている。五年が経ってなお、夢に見てうなされることもあった。

「……とは言うものの、私は、そう長くは生きられないでしょうが」

「何と……そんなことを軽々しく言うてはならぬ」

 (いさ)める桂城に、ダリュスカインはうっすらと儚い笑みを浮かべた。

「今は暖かくなってきたのでそれほどでもありませんが、もうこの身体は、それほど言うことをききません」

 失くした右前腕だけでなく、あの頃この身に刻まれた数々の傷跡は、体のあちらこちらに影響を及ぼし、寒くなると軋む。それは年々、深刻さを増し、冬が来るたびに起き上がれぬ日が増えてもいた。三年前に三十歳を超えてからは、特にそれが顕著だ。次の冬はどうなるか分からない。

「ですが、命が続く限りは、私にできることをするのみです」

 犯した罪を思えば、そして一度はこの胸を刃が貫通したはずと思えば、こうして生きているのすら奇跡と言えよう。心臓が今度こそ動きを止めるその日まで、持ち得る全ての力を懸けて未来へ繋ぐ道を整えるのが、今や己に与えられた使命のようにも感じていた。子供たちのためにも。

 

「それが、結界を張り歩くことに繋がっていると?」


 不意に問われ、ダリュスカインの瞳が動いた。

「どうして──それを?」

 桂城は少し身体を揺らして、居住まいを整える。

「この辺りは、ある隻腕の上級魔術師が張る強靭な結界のおかげで魔物の侵略が激減したと、もっぱらの噂だ。その魔術師の名がダリュスカインだと聞いた時は、心底驚いた」

 思い当たるのは、ここにいるダリュスカイン以外にいない。

「実に、二十年近くも不在であったイリユス神殿に伝わる蒼空の竜の力の継承者──啼義(ナギ)様があの地へ入って五年。やっと少しずつ、魔物との境界線の効力が戻り始めたとは言うが、ドラガーナ山脈(竜の背)からこちらでは、まだその力の復活は実感できぬ。だがこの付近は、強固な結界のおかげでいち早く平和を取り戻してきている」

 なるほど、とダリュスカインは理解した。

<その話から、ここを訪ねてきたのか>

 ダリュスカインが壮絶な戦いから帰還し、怪我が回復して動けるようになってまず行ったのは、ここと麓の砂來(シャナク)の集落に魔物が侵入しないよう、境界線の代わりとなる結界を張ることだった。その話が隣の集落に伝わり、さらに近隣の集落からも依頼を受け、あちらこちらに結界を張り歩くのも、今のダリュスカインの重要な仕事ではある。いまだ境界線が復活せずに魔物が出没する他の地域からも、依頼は絶えない。だが──

「そんなに、噂になっているのですか」

 桂城が初めて、柔和な笑顔を浮かべた。

「ここのところ出回っている、えらく高品質な結界石も同じ魔術師が生成しているとか。私の住むカバラにやってきた旅人が所持していてな。旅をする者たちの間では、非常に重宝されていると」

 間違ってはいなかった。結界石の生成も、今のダリュスカインの収入源の一つだ。最初は添え物程度に作って砂來(シャナク)の道具屋に回していたが、最近は注文の頻度が上がり、冬に結界を張り歩けない間、体調が比較的安定している日はほとんどの時間をその作成に費やした。評判がいいとは聞いていたが、そんなことになっているとは初耳だ。

 驚くばかりのダリュスカインに、桂城が独り言のように呟いた。

「これだけの功績となれば、イリユスの……啼義様のお耳にも、届いているやも知れぬな」

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