第五章 主任菓子司、クルガ
その男が振り向いた瞬間、俺は息を呑んだ。
倉橋雅彦と、瓜二つだった。顔の作り、薄い唇の歪め方、相手を値踏みする時の半眼の角度。違うのは、髪の色が銀色であることと、白いコック服のかわりに藍色の宮廷礼服を着ていることだけ。声の高さも、口の動かし方も、肩の角度も、ほぼ同じ。双子と言われても信じる、と思った。
「ふん。田舎の出か」
俺の心臓が、嫌な感じに早く打った。
「腕は見せてもらおう。試験室はこちらだ」
クルガは振り向きもせずに歩き出した。試験室には、銀の鍋と、生クリームと、卵と、砂糖。それから、見たことのない実が幾つか並んでいた。
「ガラム果実、ヴェルム蜂蜜、星見草の砂糖。三十分で何か作れ」
「はい」
「採点は私がする」
俺は深く頷いた。慣れた構図だ。倉橋もよく俺に試験を出した。出来上がったものを「お前、まだ甘いな」と笑って捨て、自分のレシピをそっくり真似した上で「俺の指導の成果」と言って外に出した。今度は、捨てられないようにしよう。俺は心の中で、ひとつ決めた。
ガラム果実を割った。中身は洋梨に近い香りと、わずかなレモンの酸味。果肉は青みがかった白で、切るそばから空気に触れて、薄く色を変える。ヴェルム蜂蜜を舐めた。花蜜の風味が強い。たぶん、針葉樹系の蜜源。星見草の砂糖は結晶が大きく、ゆっくり溶ける。舐めると、甘さが舌の奥で炸裂し、その後にわずかな苦味が残った。
俺は時間配分を頭の中で組み立てた。ガラムを低温でコンポートに、ヴェルム蜂蜜を煮詰めてキャラメルに、星見草の砂糖は最後の焦げ目に。
二十八分後。皿の上に、温かいタルトを完成させた。日本で言うなら、ガラムのタルト・タタンに近い。表面に星見草の糖衣が、薄氷のように張った。
クルガがフォークで一口分を切り取った。咀嚼し、飲み込んだ。眉が、わずかに動いた。それから、無言で皿を脇に押しやった。
「合格だ。明日から王城厨房に出仕せよ」
「ありがとうございます」
「ただし」
クルガが、初めて俺の目を見た。倉橋とそっくりの目だった。
「お前のような『田舎の手』は、宮廷の流儀には合わない。私の指示に従って働け。それが嫌なら、出ていけ」
「分かりました」
俺は頭を下げた。下げながら、考えていた。倉橋と同じ顔の男が、倉橋と同じ理屈を、もっと滑らかに使う。日本では、倉橋は最低でも俺を「鶴見」と名前で呼んだ。この男は、まだ俺を、名前で呼ばない。その小さな違いが、決定的に思えた。
屋敷に戻ると、リリアが廊下で待っていた。
「先生、どうでしたか?」
「合格した。明日から王城に行く」
「すごい」
「だが、上司が嫌な男だ」
「先生、嫌な男って、どんな?」
俺は窓の外、黄昏の塔を見上げた。虹色の光が、また一段、弱くなっていた。
「俺の人生で、二度目に出会う、同じ顔の男だ」
リリアは首を傾げた。俺は彼女の頭をぽんと叩いて、自室に戻った。仕込みノートに、新しい行を書き加える。「五月十日、アステリア王城・主任菓子司クルガ。倉橋と同型。要警戒」――それが宣戦布告だと、その時の俺はまだ気づいていなかった。




