表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
窯番パティシエの俺、地味なテンパリング技術で異世界の砕けた魔晶結晶を救って帰還します  作者: もしものべりすと


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

4/22

第四章 カラント侯爵の舌

「これは……国の歴史を、書き換える」


 その若い貴族は、フォークを置いた手を震わせていた。二十二歳。エルディオス・カラント侯爵。国王の遠縁にあたり、王都で美食家として知られる若者。彼は名乗ってからしばらく、何も食べずに俺を見ていた。茶色の瞳、整った輪郭。しかしその眼差しは、贅沢に慣れた貴族の値踏みではなく、何か、餓えた獣のような光があった。


 俺はリンゴを薄く重ねただけのタルトを差し出した。キャラメルで艶を出し、わずかに香りのよいリキュールを滴らせた。日本のパティスリーならショーケースの隅に並ぶ、地味な一品。


「あなた、どこの工房の出だ」


「えっと、それは答えにくいんですが」


「どこの国の出身でも構わない。私はあなたを王都に連れて帰る。返事は」


「いや、待って下さい」


 俺は思わず手を挙げた。慣れていなかった。こうも一直線に求められることに。倉橋が他人の作品を品定めする目とは、対極にある目だった。彼は美しいものを愛する目をしていた。


「シェフ・ド・パティシエ・ツルミ」


「いや、その肩書きは大袈裟です。俺は、その」


「では、ただのレン殿でいい。王都に来てくれ」


「弟子も、連れて行っていいですか」


 俺はリリアの背を押した。彼女は目を丸くしていた。


「弟子?」


「俺の弟子です」


「ふむ。素質はあるか」


「あります」


 即答した。リリアの肩が、わずかに揺れた。たぶん彼女は、自分の素質を、初めて他人に保証された。


 馬車に揺られて三日。王都ヴェルデアに到着した。城壁の高さは、日本の十階建てビルくらいあった。中央広場の噴水は、近づくと水が虹色に光る。商店の看板は鉄細工で精緻に作られ、夜になると魔法のランプが灯る。中央には巨大な塔があり、その頂で、虹色の光がぼんやりと脈打っていた。


「あれが、魔晶結晶ですか」


「ああ。最近、輝きが弱くなっていてな。光の脈動が乱れている」


「乱れている、というのは」


「専門家にも分からんのだ。神官が祈っても、魔導士が解析しても」


「その光、季節によって色は変わるんですか」


「いや、本来は安定した白光だ。十年前までは」


「白光」


 俺は黙って塔を見上げた。光の揺れ方に、見覚えがあった。チョコレートをテンパリングし損ねた時の、艶のムラに似ていた。白光のはずが、虹色に滲んでいるのは、ファットブルームの兆候そのものだった。まさか、と思った。まさか、こんなことが。


 その夜、侯爵の屋敷で、俺は王都の菓子組合に登録するための手続きを案内された。組合の建物は、日本の大手ホテルの厨房構造そっくりだった。シェフパティシエ、スーシェフ、シェフ・ド・パルティ、コミ。階級制度が完全に同じ。フランス語に近い名称で、それぞれの権限と給与が、書類で明確に定義されている。日本以上に、形式が重んじられている世界だった。


 窓口の女性が、俺の試験用ガナッシュを一口食べた瞬間、フォークを取り落とした。


「あ、あの、これは」


「テンパリングしたガナッシュです。一般的なものですが」


「一般的な、もの……?」


 女性は奥へ駆け込んでいった。奥から、組合長らしき初老の男が走り出てきた。白い髭、眉間の皺。彼は俺のガナッシュを口に運び、目を閉じた。長く、目を閉じていた。それから、震える指で書類に何かを書き込んだ。


「シェフパティシエ資格、発行する」


「え。今日、初日ですけど」


「いいから受け取れ」


 組合長が銀のバッジを押し付けた。手のひらの上で、それはずっしり重かった。隣でエルディオス侯爵が、小さく口角を上げていた。


「ね。歴史を書き換えると言っただろう」


 俺はなんと答えていいか分からなかった。日本でなら、シェフパティシエの資格は最低でも十年の実績と、組合への何百万円もの登録料が要る。ここでは、ガナッシュ一口で、それが決まった。


 その夜、屋敷の客間で、俺は仕込みノートを開いた。新しいページに、こう書いた。


「五月七日、王都ヴェルデア着。組合バッジ受領。エルディオス侯爵、信頼に値する。塔の光、ファットブルーム類似の不安定挙動、要観察」


 ペン先が、紙の上を、いつもより少し強く滑った。


 翌朝、王城から呼び出しが来た。主任菓子司・クルガ・ヴァン・ハーゼル。その名を聞いた瞬間、俺はまだ顔を知らない男に、奇妙な既視感を覚えた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ