9章
1人目の池田を手にかけた後、次の張り込みで得たデータをパソコンに取り込み、1つずつ照合していく。地道な作業だが、先行きへの不安も作業そのものの疲労も、当初とは比べものにならなかった。
池田を特定できたことで、この方法で全てのターゲットを特定できる。そう思えば、作業の進みも早くなった。
夕食を済ませ、再びモニターと向き合う。
あの優也の事故の後、何度か浴びるほど酒を飲んでみたこともあった。だが、飲むほどに神経は鋭敏になるばかりで、かつてのような高揚感や多幸感はやってこなかった。
代わりに襲ってくるのは、もう聞こえるはずのない息子や妻の声、そして繰り返されるだけの思い出の日々だ。それらが決して増えていくことはないのだという冷徹な事実だけが、アルコールと共に全身を巡る。
眠いと感じることもなく、意識が突然プツリと途切れる。それをきっかけに、私は酒を断った。正気を保たねば、目的は遂げられない。
今日の作業も残りはあと10人ほどだった。今日がダメでもまた同じことを繰り返すだけだ。
モニターに判定結果が表示される。
『一致率:93%』
4人のうち、左から2番目にいたスーツの男だった。これで2人目だ。
方法に間違いがなかったことに自信を深める。あとは池田と同様、尾行して職場と自宅を突き止めるだけだ。人の日々の行動は驚くほど均一化されている。同じ時間に起き、同じ道を歩き、同じ車両に乗る。必ずどこかに隙があるはずだ。
池田の件で警察も動き出しているだろう。左腕の傷が疼くのを感じ、私は気を引き締めた。
2人目の男は池田とは別の路線を利用していた。その路線は、この20年ほどの間に目覚ましい発展を遂げ、さらに拡張を続ける臨海部を通り、都心へと向かう。途中には巨大な物流拠点などが点在している。
男は終点の巨大ターミナルより1駅手前にある会社に通勤していた。
ただ、始業時間が9時なのか10時なのか判然としない。
そもそも出勤しない日もかなりの頻度であった。退勤時間も幅があり、正確なパターンを把握するのに手間取った。
唯一の規則性は、金曜日は必ず9時より前に出勤し、夜は同僚たちと飲み歩くことだ。狙うなら金曜日がいい。
だが、池田の時のような偶然には頼らない。確実に仕留められる場所とタイミングを見極める必要があった。
しかし、順調だったのは2人目の特定までだった。
それから1ヶ月以上繰り返しても、残りの2人は現れなかった。
事故から今日までの間にライフスタイルが変わったのか、そもそも事故現場にいたのがたまたまだったのか。いったんイートインでのデータ収集は中断せざるを得なかった。
張り込む時間を変えてみるべきか。しかし駅を利用する時間が不明では難しい。長時間あそこに居座り続ければ、店員の記憶に残るリスクが高まる。
ネットの掲示板で情報を集める手も考えたが、池田の事件が報道された今となっては、それも自殺行為に等しい。
「……くそっ、これでもダメか」
思わず声が漏れた。ここ数日で何度つぶやいたかわからない言葉だった。
池田たちで成功した方法が、3人目にも4人目にも通用しない。その事実だけが、苛立ちを募らせる。それでは計画は完遂できない。
そもそもの画像解析に問題があるのではないかと疑いはじめた。元動画のデータまで遡って、再構成された最終出力の画像データに、なにか致命的な間違いがあるのではないか。そのために、収集した骨格データと一致しないのではないか。
そう思い、まずは画像を鮮明にするところからやり直した。
だが、そこでまた苛立ちが積み重なることになった。
「この画像を鮮明にしてほしい」
そんな曖昧な指示を平気で入力していた。しかし返ってくるのは、
『鮮明ではあるが、決してこちらが必要とした方向には鮮明でない』
――そんな、使い物にならない出力ばかりだ。
AIは魔法の杖ではない。『何とかしてよ』と頼めば助けてくれるような、子どもの夢に出てくる万能機械では決してなかった。
だからといって、今度は逆に具体的な指示を詰め込むと、お前は誰を勝手に作っているんだと、思わずモニターに向かってそう毒づいてしまうような、全くの別人の顔が生成される。
最終的に理解した。AIは、中立でも公平でもない。こちらが少しでも「こうだろう」とイメージした方向へ、どこまでも補正していく。
『事実』ではなく、『私の見たいもの』を返してくる。それは便利なようでいて、捜査においては致命的な欠陥だった。
骨格照合の閾値をもう少し甘くしたら、どうなるか。
全体をほんの少しだけ甘くした結果、ある1日の録画データから一致率の高い候補が何十人も現れてしまった。
どこかひとつに絞り、あれこれとパラメーターを変えてみても、3人から5人の候補が常に現れる。元の動画や処理後の画像と見比べてみても、誰が残りの2人なのか全く自信が持てない。
作業の最中には、知らない発信番号から何度も着信があった。おそらく警察だ。池田事件と私の関連に疑いを持ったのだろう。無視していたらショートメールを送って来るようになった。だが、直接踏み込んで来ないなら、それでいい。
正直なところ、手詰まりだった。やり方を変える必要がある。
特に、動画の左端に映っていた光沢のあるスーツの男は、サラリーマンには見えなかった。
解析ソフトを使って一番左の男だけをさらに拡大し、再構成させる。いくつか出力されたパターンに共通した特徴は、光沢のある黒いスーツ、メッシュの入った明るい髪、手首と指につけた複数のアクセサリー。
美容師ではないかと当たりをつけ、須賀駅と千種を中心に30軒以上の美容室に足を運んだ。かつてはカリスマ美容師がもてはやされ、テレビや雑誌でも特集されたことがあったらしい。だが、男を見つけることはできなかった。
不動産屋が送ってきた査定に目を通す。高いとも安いとも思わなかった。ただ、壊れてしまった家族の夢の価値が提示されたに過ぎない。
駆け引きをして、価格交渉するつもりはない。そんなことに費やす時間はなかった。
今月中にはこの家も出ていかなければならない。1人で暮らすには広すぎるし、あの動画を見つけてからまともに仕事もしていない。警察が気づいている可能性も高まっている。まとまった金が手に入るなら、家と土地は手放すべきだと思った。
あの派手目の男は夜の仕事をしているのではないかと思い、千種駅にほど近い境町を中心に、ホストクラブのホームページを1つずつ確かめて、候補になりそうな男がいないか探す。その繰り返しだ。
しかし、未だに特定には至っていない。そこで、直接足を運んでみることにした。
休日に遊びに来たように見えるよう、少しラフな服を選んだ。千種駅から歩き、暗くなった空の下、周囲の喧騒を聞きながら歓楽街を進んでいく。
1人で歩いていると、何人もの客引きに声を掛けられた。その内容はキャバクラか、ガールズバー、風俗のいずれかで、ここがどんな街なのかを端的に表していた。未だに見つけられない最後の男が溶け込むには、最適な街だと思えた。
客引きの対象は男だけではなく、女性も呼び止められている。ホストクラブのキャッチや、キャバ嬢や風俗嬢のリクルートらしかった。そのうちの1組に立ち止まって意識を向けた。
「最近、来てくれないから寂しいよ。これから遊びに来てよ」
「そんなにいつもいつも行けるお金ないですよ」
「えーっ。じゃあ稼げるお店紹介するよ。そんなにハードじゃなくても、がっつり稼げるよ」
「残念。これから出勤なの。私のこと指名してくれたら、行ってあげてもいいわ。また今度ね」
「いっぱい稼いで、うちの店で使ってねー」
街を歩くうちに、この街にはこの街なりの生態系があることがわかってきた。夜職には夜職同士の繋がりがある。
スマホで調べて、この街で1番高そうなキャバクラを探した。ここからさほど遠くない雑居ビルの中だった。
地下へと続く階段の先のドアを開けると、黒服に出迎えられた。
「いらっしゃいませ。ご指名はございますか?」
「いや、特に」
ホストクラブに通っている子、などという指名はできない。
席に通され、クッションのよく効いたソファに沈み込む。隣りの集団は、だいぶ盛り上がっていて大きな笑い声が聞こえてくる。1席ごとに壁で仕切られているので、姿は見えない。
すぐに女性が現れて、挨拶をして横に座った。名刺には「紗弥」と書かれていた。
あれこれと話しかけられたが、適当に受け答えをし、嘘か本当かわからない身の上話を聞かされた。こんなことに、何万も金を払う気持ちが理解できなかった。そのうえ、肝心のホストクラブには、全く興味がないらしかった。
「紗弥さん、5番テーブル、ご指名のお客様です」
「はーい。お客様、ごめんなさい。すぐに代わりの子が来ますので。また、呼んでくださいね」
そう言って彼女は他のテーブルに向かった。何杯か水割りを飲んだが、全く酔えない。自然とため息が漏れた。
隣の集団はさらにヒートアップしていた。壁を回り込んで声が聞こえてくる。
「紹介してあげるから、ホストクラブに今度2人で遊びに来てよー」
「えっ、でも会員制なんて高いんじゃないの?」
「大丈夫、この名刺持ってきてくれたら、サービスするから」
「えー、どうしようかなー」
「2人は特別だから。俺、こう見えてまあまあポジション上なわけよ。きっと楽しいから。ねっ?」
「じゃあ、1度お邪魔してみよーかな」
「よしっ! じゃあ、もうワンセット追加!」
「やったー!」
会員制? そんなホストクラブもあるのか。トイレに行きながら、さりげなく隣の集団を覗き見た。男は3人いたが、残念ながら誰も画像の男には似ていなかった。
日を改め、今度はもっと直接的な方法であの男を探してみることにした。
ホストクラブのキャッチに近づき、声をかけた。
「やあ、景気はどうだい?」
男はあからさまに不審な目でこちらをねめつけてくる。
「何だ、おっさん。何か用か?」
「まあ、そう言わずに」
そう言いながら男の手に1万円札を握らせた。
「この辺りに会員制のホストクラブがあるだろ。その情報が知りたい」
男は黙って手を出してきた。もっとよこせということだろう。さらに3枚握らせる。
「俺はよく知らないが、知ってる奴を呼ぶ。それでいいか?」
「ああ、頼む」
男がどこかに電話をかける。2人で来てくれという声が聞こえた。
しばらくして、柄の悪そうな男がさらに2人現れると、キャッチの男が口を開いた。
「おっさん、こんな往来でできる話じゃない。ちょっとついて来な」
そう言って、返事も待たずに歩き出す。細い路地に入ったところで、男は立ち止まった。
「もったいつけないで、話して欲しいものだな」
そう催促した途端、膝裏に鋭い痛みを感じて、ガクリと両膝をついた。
「何をっ」
言葉はそこまでしか出せなかった。振り向いたキャッチの男の硬いつま先が、みぞおちにめり込む。
横倒しに倒れ込むと、3人がかりで蹴りを入れてきた。
「どんな魂胆か知らねぇが、あの店の情報をお前みたいなおっさんにしゃべったら、こっちの身が危ないんだよ。わかったらニ度とこのあたりをうろつくんじゃねぇ!」
「あれこれと探って、ただで済むと思うなよ」
「どうします?やっちまいますか」
蹴られるに任せて、体を丸めて耐えるしかなかった。その時、通りの入り口から酔っ払いらしき大声が響いた。
「おぉ、喧嘩ですか? 通報したから、すぐにお巡りさんが来ますよー!」
男たちは舌打ちして、最後に一撃、脇腹に蹴りを入れて走り去った。さらに男が2人現れ、酔っ払いの指示で男たちを追っていく。
「おい、立てるか? 遊び慣れてないなら、もっとおとなしいところで遊ぶんだな。キャッチに騙されて、ぼったくられた上に、持ち金がありませんといったところか? さっさとここを離れろ。いいな。仕事の邪魔だ」
痛む脇腹を押さえて立ち上がり、タクシーを拾って家に帰った。
体中の痛みと、自分自身の無力さへの悔しさで、その夜はなかなか寝付けなかった。眠れないままに、目を閉じると自然と優也のことを思い浮かべてしまう。
初めて立ち上がった日、何度も転びながら自転車が漕げるようになった日、そして妻の腕に抱かれ初めて会ったあの瞬間。苦労もつらいこともあったはずなのに、不思議と思い出せなかった。
痛みがわずかに引いたように思えた。痛み止めの薬がようやく効き始めたのかもしれない。突然、激しい眠気に包まれた。
夢を見た。
ケーブルカーから見える景色に、優也ははしゃいでいる。隣には出会った頃の若々しい妻。この景色には見覚えがあった。妻が体を悪くする前に3人で行った……そう、高尾山だ。
優也はこんなに大きくなかったはずだし、妻はあの頃はもう体重が減り始めていたはずだ。「今までより疲れやすくなった、疲れが抜けない。歳かしら」と笑っていた記憶と、目の前の元気な笑顔が混濁する。
ケーブルカーを降りて歩いていくと、薬王院という古いお寺があったはずだ。妻と手をつないで歩き、優也がまわりを飛び跳ねて回る。夢だとわかっているのに、心が満たされていくようだった。
登山道を3人で楽しく歩いていると、急に辺りが暗くなり、握った手の重さが消えた。
振り返ると妻はいなくなり、2人の間を飛び跳ねていた優也も消えていた。
左腕に激痛が走り、慌てて押さえるとそこが真っ赤に染まる。右の手のひらを見ると、べったりと、誰かの血がついていた。
誰かの叫ぶ声が聞こえ、思わず耳をふさぐ。
目を開けるとベッドの上だった。首筋から背中にかけて、汗でびっしょりと濡れていた。
跳ね起きた布団の中で荒くなった呼吸を整え、のそのそと這い出し、台所まで行った。水を1杯飲み干す。そうしてやっと人心地ついた。
時計を見ると、始発が動き出す時間だった。
「高尾山。行ってみるか」
脇腹の痛みは引いていなかったが、歩く分には問題なかった。ケーブルカーを使えば山頂まで行けそうだった。
夢は夢でしかない。
睡眠中の脳が勝手に記憶の引き出しを開け、都合のいい物語をでっちあげるだけだ。だが――そこに何かがあると、そう信じたかった。すがるような思いで、私は身支度を整えた。
数歩歩いて振り返る。もうすぐ我が家ではなくなる家。
何の感慨もなかった。ここにある幸せは、とっくに失われている。
駅前の交差点で信号が変わるのを待つ。
こんな早朝、通る車はほとんどいなかったが、この横断歩道を赤で渡るわけにはいかない。人としてなにを失っても、赤信号を渡ることは絶対にしない。それが、私と奴らをわける最後の一線だ。
下りの始発電車が到着した後だったようで、ロータリーを歩いてきた何人かが、信号などないかのように赤のまま横断し始める。
その後ろから歩いてくる、小太りの男。
その顔を見て、目が離せなくなった。
特徴的な顎のライン。歩き方。あの動画の中で、駆け寄った男の1人ではないか。右から2番目の小太りの男のように見える。
心臓の鼓動が早鐘を打ち、手のひらに冷たい汗が滲むのがわかる。
信号が青に変わり、私は震える足で横断歩道に踏み入れる。中央でその男とすれ違う。
渡り切ってから、スマホを構えた。男がコンビニへと消えるまでの、短い時間をカメラに収める。
行き先は、今、変更された。
高尾山ではない。自宅のモニターの前だ。




