10章
駅前通りからスナックの裏手に続く小道。事件現場となった空き地への入り口を塞ぐように、何台もの警察車両が赤色灯を回して並んでいる。
歩道は完全に通行止めになり、パイロンと規制線で区切られたエリアの外では、夕方のニュースに間に合わせようとマスコミ各社がせわしなく準備を進めていた。
お盆も終わり、カレンダーはもうすぐ9月だというのに、湿気を含んだ暑さが和らぐ気配は全くない。
交通課に応援を頼み、片側の車線を使って交互通行が行われている。誘導灯を振る警察官の中には、山崎の顔もあった。池田事件の時も交通整理をしていたはずだ。
規制線に立つ顔見知りの地域課員に黙礼し、手帳を開いて見せる。身内だとわかっていても、それが手順を省略できる理由にはならない。
振り返ると、駅の東口ロータリーが見える。交差点を2つ越え、駅前の喧騒と静かな住宅地が混じり合う、そんな場所が今回の現場だった。
反対側の歩道には数十人の野次馬が集まり、その中にはスマホを掲げて捜査状況を撮影している者もいる。
そんな野次馬の1人と、ふと目が合った気がした。
ポロシャツにジーンズ、履き慣らした感じの茶色のスニーカー。ありふれた格好だが、なぜかその靴の色と形が、妙に目の端に残った。
――使い古され、よく履き込まれた独特の「しなり」のようなものに、引っかかりを覚えたのだ。
だが、よくある量産品だ。気のせいだろう。俺はすぐに視線を外した。
「真田さん、お疲れ様です」
捜査車両のドアが開き、今川が顔を見せる。
「現場はこの奥です」
意識の焦点を野次馬から捜査へと切り替える。
人一人がやっと通れる通路を抜けると、そこには建物が取り壊されたまま放置された空き地が広がっていた。
背の高い雑草が茂る中、鑑識課員たちが黙々と作業を続けている。三脚を立てて現場の俯瞰写真を撮る者、地面を這うように痕跡を探し、なにかを見つける度に番号の書かれたマーカーを置いていく者。草いきれと土の匂いが、行き場を失って充満していた。
「第1発見者はガス会社の検針担当の女性です。通報は今から2時間ほど前ですね」
「この時間なら、前のスナックの従業員も営業準備に来ていただろ」
「はい、3人から話を聞けています。念のため、人定も済ませました。今日は営業は無理そうだと言って帰りましたが」
「なにか有用な情報は?」
「3人とも被害者は知らないと言っています。裏取りは必要ですが……。それと、残飯を猫に食べさせる時を除いてはほとんどここには来ないそうです。あの餌皿がそれです」
今川が遺体のすぐ近くに置いてあるプラスチックの皿を指差した。
「被害者は小西秀和、28歳。所持品の財布の中に免許証がありました」
「凶器は?」
「出ていません。鑑識の初期観察によると背中を鋭利な刃物でひと突き。防御創もなしです」
「……5月の事件と似た雰囲気があるな」
パチンコ店裏で殺害された池田の事件も、背後からの襲撃だった。あの時は確か、被害者の爪の間から皮膚片が採取されたが、警察のデータベースには該当なしだった。
「被害者の爪から皮膚片は?」
「出ませんでした。今回は完全な不意打ちだったんでしょう。その代わり、犯人は足跡を残していったようです」
それは重要な証拠になる。
犯人が何を履いていたかだけでなく、靴底の減り方から歩く時の癖、身体的な特徴まで読み取れる。押収することができれば、かなりの確度で持ち主が現場にいたということを証明できる。
「どんな物かは?」
「スニーカーではないか、と」
「スニーカーか」
靴底のパターンが鮮明なら、メーカーと流通範囲、うまくすれば製造時期まで絞り込める。
「他に遺留品は?」
「コンビニの袋と、購入した酒と缶詰ですね」
レシートは無かったが、コンビニの袋は駅前にある店舗のものだった。
「現場は鑑識に任せて、コンビニは行ってきました」
今川によると、小西が商品を購入した時間は5時32分であることが、監視カメラ映像とPOSシステムの両方で確認が取れた。
2階のイートインスペースの天井には、カメラの設置跡だけが残っていた。店長の供述によると、以前本部にきたクレームのため撤去してしまったという。
もし、犯人がそこで被害者を待ち伏せしていたとしても、その姿は記録されていない。
店内の監視カメラに小西が映っていた前後5分間。そこに映っていた人物を、決済に利用したスマホやカードから特定し、1人ずつ潰していくしかない。
イートインに上がった人物についての質問には、「気にしていなかったのでわからない」という曖昧な供述しか得られなかったらしい。
2つの事件、発生時間は早朝と夕方。しかしどちらも「駅から自宅に帰る途中」で事件に遭遇している。
凶器は発見されていないが、刺殺であることは共通している。
しかし、今回は凶器の使い方が違う。
池田雄一の遺体では、刃が縦に入っていたため肋骨に阻まれ、先端が欠けていた。
だが今回は、刃を水平にして刺入している。肋骨の隙間を縫うように、確実に臓器へ届かせる刺し方だ。
池田の捜査は完全に暗礁に乗り上げている。職場の関係者からも交友関係からも容疑者たりえる人物は見当たらなかった。もちろん、家族もだ。
小西というこの被害者の周辺捜査はこれからだ。職場や交友関係に容疑者がいたらしめたものだ。ひょっとするとその線から池田との共通点がみつかるかもしれない。
もちろん、我々の掴んでいない誰かが池田を殺したいほど憎んでいたという可能性も、まだ排除はできない。
改めて現場を見回してみる。あの潰れたパチンコ屋と同じ雰囲気がする。
だが、この男はなんでこんなところにいたんだ。被害者を見下ろしたが、答えはどこにも落ちていそうになかった。
署に戻り、冷房の効いた部屋で池田事件の捜査資料をもう一度精査した。
捜査線上に浮かんでいるのは、5月の防犯カメラに映っていた「ナップサックの男」。
帽子を目深にかぶり、黒い長袖のパーカーと、黒いチノパンの男。尾行に適した、足音のならないスニーカーを履いていた男だ。
「真田さん、もうSNSにいくつか動画が上がってます。『殺人事件の現場から生中継』とかタイトルをつけて。すっかりジャーナリスト気取りですね」
今川がスマホの画面をこちらに向けた。
事件現場で実況する野次馬の映像。規制線の向こうのパトカーの赤色灯、そして反対側の歩道に集まる野次馬にカメラを向けている。手ブレがひどく、撮影者の荒い呼吸音が耳障りだ。
「今川、ストップ。今のところもう一度見せてくれ」
「マスコミの辺りですか?」
「もう少しあとだ。野次馬が映り込むところ」
今川がスマホを操作し、シークバーを戻して再生する。
「……そこだ。止めろ」
撮影者のカメラがブレて、野次馬の足元を舐めるように映した一瞬。
ポロシャツにジーンズ。そして、履き慣らした茶色のスニーカー。現場で俺の記憶に引っかかったあの男だ。
俺は手元の捜査資料の中から、第1の事件で「ナップサックの男」を捉えた監視カメラ映像のページを開いた。粗い画像だが、靴の特徴はわかる。
動画の中のスニーカーと、資料の中のスニーカーを見比べる。
「同じものに見えないか?」




