7章
張り込みだけでは難しいかもしれない。そう考え、画像処理を施したものを掲示板に上げて情報を集めることにした。もしうまくいかなくても失うものは、特に無い。
『助けてください。事故の情報提供求む』
というスレッドタイトルで「過去に起きた事故の重要な情報を持っていると思われる人物です。何か知ってる人はいませんか?」と書き込んでみた。
驚くことに、5分ほどで最初の書き込みがあった。
1:名無しさん
これ、悪用するつもりではないですか?
2:スレ主
>1
悪用はしません。私は真実が知りたいのです。
しばらくして、新たな書き込みがあった。
5:名無しさん
これは画像が荒いなぁ。ドライブレコーダーなら元データありますよね?
急いで書き込みをしようとする。
6:名無しさん
これって、ちょっと前にバズった衝撃映像のやつじゃない?
別の人の発言。
7:名無しさん
>6
ああ、じゃあキャプチャして補正かけてるのかな。AI系のアプリかな
8:名無しさん
こちらも見つけました。22秒の動画の19秒時点をキャプチャして拡大したものみたいですね。ただ、特徴点の揺れ方が不自然です。補正前の生データを送れますか? あと、この部分だけでいいですか?
9:スレ主
ダウンロードしたもので、元データではありません。綺麗になるんですか?
10:名無しさん
>9
失礼ですがスレ主さんよりマシンパワーはだいぶ上ですし解析用に自作したプログラムもあるので。以前アイドルがアップした写真の瞳に映る彼氏を解析してバズらせました
息子と打ちかけて消し、再入力する。
「子供が拾った物も解析できますか?」
これで優也が何を拾ったのかがわかるかもしれない。
12:名無しさん
それなら解析するまでもないですね。開始から4秒まで、動画左手のビルの一部がちょっと周りより明るくなってます。5秒で子供が何かを拾うと消えるので、影の出方からすると太陽光の反射です。拾ったものは鏡面処理された何かです。ほぼスマホで間違いないかと
警察が捜査をしないと言って謎のままになったものが、こんなに簡単に分かってしまうとは。
協力者は続けて書き込んだ。
13:名無しさん
処理には3日ほどください。その代わり驚くほど鮮明になると思いますよ
自分なりに技術には詳しいつもりでいたが、世の中にはその遥か上をいく「本物の専門家」がいることを、改めて思い知らされた。
3日後。送られてきた解析データと、自前の骨格推定データを照合した。――体格一致率は97%。
4人組の一番右側にいた、スーツの男だった。
2回目の月曜日、張り込み中の画面に突然現れた今までに無い高い数字に、思わずマウスを握る手が震える。処理前の生データと照合してみると、わずかに映っている横顔の輪郭、メガネの有無、スーツの色や持っている鞄の形状、全てが現場映像の一番右の男と符号する。
今まで見つからなかったのは、たまたま信号を守って渡っていたか、あるいは赤信号のタイミングで現れなかっただけだろう。
さて、この男に接触すべきか、あるいは全員を特定するまで待つべきか。
裁判の記憶を掘り起こしてみたが、証言者の中にはこの男はいなかったはずだ。現場にはいたが重要参考人とはみなされなかったか、あるいは警察に非協力的で立ち去ったかだ。
まずは職場を特定する。そうすれば就業時間に目星がつけられる。尾行の経験はないが、要は気づかれずに背中を追えばいいだけだ。
少し考えて、なんとかなる、と思った。職場がわかったら今度は逆に尾行し自宅を突き止める。そうすれば接触のチャンスを探すのは難しくない。
そこまで考えて、思考が止まる。
チャンスとは、何のチャンスだ?
息子の死にまつわる謎は概ね解けたといっていい。それでも息子に引導を渡した男を追い続けるのはどうしてだ。
何をしたところで息子は還ってこない。それは、頭ではわかっているはずだ。
気がつくと台所に立ち、かつては毎日握っていた包丁を見つめていた。
殺意は……ない、と思う。ただ、話をしたいだけだ。真実を聞き出したいだけだ。
だが、使い古した刃は鈍い光をたたえているだけだ。
「これでは、うまくいかないかもしれない」
口を突いて出た言葉に、自分でも驚かなかった。
新しく、鋭いものを買う必要がある。
そう自然に思考がつながった途端、急に心の所在がわからなくなった。
息子の最期を聞き出すとして、彼らは素直に話すだろうか。そうは思えなかった。
罪に問われるかどうかは別にしても、警察に告げることなく立ち去っている人間たちだ。
3年以上の時が経っても彼らは自ら名乗り出ていない。
それが答えだ。
車を走らせて、郊外のホームセンターへと向かった。台所用品売り場には様々な包丁が陳列されていた。
その中からなるべく先端の尖ったもの、値段が手頃で大量に売られているありふれたものを選んだ。
包丁だけ購入したら目立つ。あれこれ野菜や肉を買い、カモフラージュとしてひさしぶりに息子の好物を夕飯に作ろうと思った。
翌朝、しばらく考えてから、購入した包丁と着替えをナップサックに詰めた。使わないに越したことはないが、何があるかわからない。
現場のコンビニへ向かう。今日は缶コーヒーだけを買い、2階に上がる。30分もいる必要はない。
あの男が定職についているのなら、乗る電車は毎日同じだろう。10分とかからずに現れるはずだ。
缶コーヒーを飲み干して席を立った。空き缶はゴミ箱に捨てた。カラン、と乾いた音が無人のイートインスペースに響いた。
少しだけ早歩きで階段を降りる。
横断歩道は青。
自動改札手前で5メートルほど後ろにつく。
突き当たりまで進み、左に曲がる。
1番線へ向かう。
電光掲示板で次発を確認すると、在来線はあと5分で到着するようだ。エスカレーターに乗ると、男は右側を歩いて降りていく。
慌てて後を追ったりしない。
急いでも電車が早く来るわけではない。しかし、目で男の並ぶ列を確認する。ゆっくりと歩いて、同じ列の最後尾に並ぶ。
間には2人いるが、問題はない。
やがて線路が静かに鳴り始め、入線を知らせるアナウンスが流れる。
ドアが開き、降りる乗客と入れ替わるように列が進み始める。
男は車両中央付近まで進み、吊り革に掴まった。私はドア付近の奥の方で自然と男が視界に入るように止まった。
降りる駅は2駅先で間違いない。なぜなら、そこが路線の終点だからだ。
男の横顔を見ながらスマホで画像を確認する。間違いない。
アメリカで研究をしているという協力者は、きっちり3日後に画像を送ってきた。
それは予告通りの鮮明な画像で、19秒時点だけでなく、2秒刻みで5枚送られてきた。メッセージも添えられていた。
『手前左から走って近づく4人の中で一番左にしゃがむ男、その耳に無線式のイヤホンがあり、動画や音楽を再生していたら有効範囲限界を超えたため、紛失に気付いて駅から戻ってきた可能性はあるが、決定的な瞬間は映っていないので決めつけないでください』
一番左にしゃがんだ男、つまり、スマホを落としたと推測される人物が無線イヤホンをしていたという指摘だ。だが、このメッセージは「可能性が高いだけで確定はしていない」とも言っている。
今私が追っている「一番右の男」が、スマホの持ち主だという可能性もゼロではない。
終点でドアが開く。
ピタリとドア横にある上り階段に向け、我先にと走り出す人々を尻目に、不自然にならないように男の背後を確保する。
男はまっすぐに改札を目指し駅の外へ向かう。
下りエスカレーターを歩き始めたのを確認すると、追い越さないように速度を調整しながら、併設された階段を降りた。
駅前ロータリーの歩道を大通り方面に向かい、その道沿いに右に曲がる。
しばらく進んだビルで、ドア横の機械にIDをかざして中に入っていった。看板には信用金庫の本店とある。
一旦前を通り過ぎ、しばらく歩いて立ち止まった。
午前9時始業なら定時は午後6時だ。
残業がどれくらいあるのか見当もつかなかったが、今日くらいは待ってみてもいいような気がした。
午後5時を少し回った頃、信金の向かい側にあるビルの2階のファミレスに向かった。予想通りまだ混雑はしていなかった。
「何名様ですか?」受付で聞かれる。
「2人なんですが、先に入って待たせてもらっても? できれば窓側がいいのですが」
店員の顔から作り笑いが消え、またすぐに戻る。
「はい、ではこちらへ」
混雑時に備え、1人客を窓際の広めの4人がけに案内したくはないのだろう。だが今はまだ空いている。
狙い通り社員通用口が見える。時計を確認する。1時間だ。それで退店する。
優也は外食に行くと決まってハンバーグを頼んでいた。
「パパのやつよりちょっとだけ美味しいね」と笑っていた。レシピ本や動画を参考に、あれこれ努力はしたが、最後までレストランの味は超えられなかった。
アイスコーヒーを飲みながら外を見る。追跡していた男の名は池田雄一。入庫10年で課長職に就いているので優秀な男なのだろう。休日は家族サービスに充てている。名前が判明し、少しばかりの人間性がわかったところで特段の感慨はなかった。
ホームページで判明したことはもう1つある。それは水曜日がノー残業デーだということだ。今日は火曜日だった。今日が駄目ならまた明日考えればいい。残業がなければ、捕捉することは容易いだろう。
6時を過ぎて少し経った頃、池田が現れた。すぐにレジに向かう。幸いだれも支払いをしていなかったが、担当したのは先ほど私を案内した従業員だった。
「お連れ様はいらっしゃらなかったのですね」
咎めるような口調ではなかったが、私は「急な残業で遅れるそうです。ご迷惑おかけしました」と謝罪した。このやりとりももどかしい。
足早に外に出て通りを確認する。駅方向を見たが池田の姿はない。焦ったが反対方向を見たら遠ざかる後ろ姿が見えた。「どこに行くのだろう」そう思いながら通りの反対側から後をつけ始めた。
2ブロック先で、池田を待っていたらしい女性と合流した。服装には見覚えがあった。同じ信金の職員で間違いない。さらに歩みを進めて2人はラブホテルへと消えていった。
翌日の夕方過ぎ、駅前コンビニのイートインスペースは学校帰りの学生たち、一息つく仕事終わりのサラリーマンでそこそこ混み合っていた。池田はもう電車の中だろうか。
私はやはり、そうなのだと思った。息子の事故に立ち会いながら何もしなかった男は、ホームページというだれでもアクセスできる場所で、家族愛を誇っていた。しかし、その裏で人知れずその家族を裏切っていた。
無自覚に信号無視を繰り返す男は、無自覚なままその人生を終わらせようとしている。今日はノー残業デーだ。遅くなる帰宅を、仕事のせいにはできない。
半分残っていた缶コーヒーを一気に飲み干し、ゴミ箱に投げ捨てる。朝よりも大きな音を立てた気がしたが、誰も気にも留めない。
池田が駅から現れ、周りの人々と一緒に横断歩道を渡る。一瞬だけこちらの看板を見たような気がしたが、それはそうあってほしいという私の思いによる錯覚だったかもしれない。背後を取り、今日はやたらと脈打つ鼓動が彼に聞こえない距離を保つ。
昨日は池田の予想外の行動に計画を中止したが、自宅を突き止めるのは容易いと思い始めていた。実際、池田からはなんら警戒する素振りは見て取れなかった。
この計画を始めてから街に出る機会が増えた。そして知らなかった店がオープンしていたり、交差点の角にあった目印にしていたはずの店が更地になっていたりした。
更地になにがあったのか不思議と思い出せない。
池田はその交差点を左に曲がった。
あの先には確かパチンコ屋があったはずだ。夜も明るくて目立っていた。
コンビニの店員に見られるという感覚はすでにない。駅までの道ですれ違った人たちの顔や服装を私は覚えていない。つい昨日電車の中にいた人々の顔を思い出すこともできない。
きっと、彼らにとって私もそういう存在なのだと思う。
私は風景に溶け込み、更地に立っていたはずの、もう思い出せない店のように透明な存在なのだろう。
そんなことを考えながら池田の背中を追う。
駅前で1つの塊だった人々は、それぞれの向かう方向へと散って行き、池田と私だけが同じ方向に向かっている。
彼が急に道ではないところを右に曲がる。
汚れた看板には「アクシス」とあった。
確かここはパチンコ屋だったはずだが、店内を見ることはできない。いつの間にか潰れて、バリケードで囲われた廃墟になってしまったようだった。
池田は建物沿いに奥まで行くとさらに右に曲がった。「いったいここでなにをするつもりだ?」と私は考えた。
慎重に歩みを進める。
建物の切れ目まで行くと水音が聞こえてきた。池田はこんなところで用を足している。駅のトイレが混んでいたのか、それとも習慣なのか。
人目はない。
空は暗くなる前でまだ青さを残している。街には喧騒があり、多少の音なら気にされないかもしれない。そしてなにより用足しが済めば彼は戻ってくるに違いない。
これは天から降ってきた幸運だ。
——今しかない。
自宅の特定は……どうする。いや、そんなものは後でいい。
ナップサックを肩から下ろして素早く包丁を手にする。
匿名掲示板の協力者は画像を鮮明にしてくれたが、その画像をもってしても真実は描き出せなかった。この男がスマホの持ち主だった可能性は4分の1。低くはない数字だが、確証はない。
この刃を彼に見せたら引き返すことはできない。
止めろ、とだれかが耳元で囁く。
今ならまだ引き返せる。
動画データと画像データを、全て削除して元の生活に戻る。仏壇に手を合わせて、寿命が尽きるまで静かに祈って暮らす。
胃液が逆流しそうになるのを、唾とともに飲み込む。殺人だ。ここを境にまともではいられなくなる。
だが、あの映像が頭の中に浮かぶ。寝ていても、起きていても、片時も忘れたことなどない。あの日、警察署からの帰り道で決心した瞬間から私は引き返せないところに足を踏み入れた。使命感だけが、私の毎日を繋ぎ止めていた。
震えは止まったが、恐怖が去ったわけではなかった。大きく息を吸い込み、1歩目を踏み出す。
人としてのなにもかもは、この廃墟に散らばるゴミと一緒に捨て去る。
距離を一気に詰め、池田の体を、コンクリートの壁に押さえつける。
「だれだ、お前は、ど、どうするつもりだ」
池田に首筋の刃を認識させ黙らせる。どうせ奪う命ならば、試しに聞いてみるのはどうかと思った。あらかじめ考えていたわけではない。
「3年前の春、駅前で起きた事故を覚えているか?」
「小学生が轢かれた事故か?」
「そうだ。お前は現場にいた。間違いないな?」
「確かにいた! わからない。お前はだれだ! なぜこんなことをする」
さらに体重をかけ池田を壁に押し付ける。
「聞いたことだけに答えろ」
「わかった。言う通りにする」
「お前はスマホを落として回収した。違うか?」
「知らない。私は自分のスマホで通報をした。スマホは落としていない」
嘘だ。
警察の資料では第1通報者は女性だった。それに続く第5報までにこの男の名はない。この男は極限状態でも、保身のために平気で嘘をついている。
言い知れない怒りが全身を支配していく。やはりこいつらは、息をするように嘘をつき、自分だけを守ろうとする。
首筋に当てた包丁を、池田の背中に突き立てた。
何かもっと固いもの、肋骨だろうか、刃が押し返される感覚がある。
声にならない悲鳴をあげた池田は、私の左腕に思い切り爪を立てなんとか押し返そうとする。わずかに生まれた隙に体を反転させ、この場から逃げようとする。
しかし、中途半端に下ろしていたズボンが足首を絡め取り、前のめりに転倒する。
私は無様にもつれた池田の背中に馬乗りになり、今度こそ包丁を深く背中に突き立てる。
短い絶叫。そして池田は動かなくなった。
荒い息を整えると、左腕に鋭い痛みを感じた。肘から手首にかけてみみず腫れが浮き、うっすらと血が滲み出していた。爪で引っかかれたのだ。
包丁をビニール袋に入れ、口を縛ってナップサックに押し込む。
血のついた上着を脱ぎ、別の服に着替えて、ナップサックを担ぐ。
高揚感は全くなかった。手に伝わった感触は、料理をする時とは全く違った。血は生温かく、肉は弾力があり、骨は硬い。
――命の手触りだ。
暴れた池田は、私の腕に傷を残した。その生への執着が私をさらに苛立たせた。なぜ、その必死さをあの時、優也に向けなかったのか。
周囲の景色が滲んだ。
泣いているのか? 私が?
広がる血の匂いは、鉄の錆びたような臭気がした。
去る前に池田を一瞥する。血溜まりが広がり出していた。死んだことは確認しなかった。このまま放っておけば助かりはしまい。
ただ、語らせたことは後悔していた。語らせた言葉が嘘か本当か見分ける術はない。私の知る警察の情報と食い違っていたから「嘘」と断じたが、もし私の情報が間違っていたら?
いや、考えるな。
ならば何も語らせない方が心残りはない。次への教訓にすべきだ。そう考えながら通りに戻った。
これで、なすべきことは定まった。
誰がスマホを落とし、現場から逃げた「真犯人」なのか。わからないのならば、疑わしい4人全員を消せばいい。4分の1でしかないのなら、あと3回繰り返すだけだ。
もし違ったのなら、この男は必要な犠牲だ。
そもそも、優也を犠牲にして、そのあとに変わらぬ生活と社会を続ける、無自覚で無責任な人間たちなのだから、これは正当な裁きだ。
左腕の傷がズキズキと痛む。その痛みだけが、私がまだ生きていることを教えていた。




