6章
今川を連れて駅に戻り、署の最寄りとは別の路線を走る電車に乗り込んだ。
その路線は須賀駅が始発で、海岸沿いをなぞるように、都心へと向かう。車窓を流れる色づいた木々が、ようやく秋が深まりつつあることを告げていた。
終点との中間あたりで下車し、広大な物流ターミナルの一角へと足を進める。
「2人目の被害者、小西秀和についてですね」
「ああ。他の2人と何が違うか、当ててみろ」
今川は歩きながら少しだけ考え、顔を上げた。
「時間、でしょうか。彼だけ帰宅が早朝です」
「それだけか?」
意地悪をしているわけではない。答えを即座に教えれば、人は考えることを放棄する。思考の過程を省けば、そこに潜む誤謬にも気づけないからだ。
「真田さんは、あの事故が関係していると踏んでいるんですよね」
「いいや、関係しているとは『思わない』ようにしている。関係していたら嫌だと思っているだけさ」
もし3人が事故現場につながるなら、容疑者と目される佐伯は、息子の事故と彼らを結びつけ、私刑に及んでいることになる。それはあまりに救いがない。
「それならば、小西が事故現場にいた可能性の検証が焦点ですね」
「残業でたまたま遅くなった可能性もゼロではないがな」
話しているうちに目的の運送会社に着いた。業界では中堅クラスだが、扱う荷物の量に応じた広大な敷地を有している。社屋へ向かう間にも、大型トラックが土煙を上げて何台も走り去っていった。
今川が事前にアポイントを取っていたため、すんなりと応接室に通された。「お茶かコーヒーを」という申し出には、「すぐにおいとましますので、お気持ちだけ」と固辞した。公務員として、安易な利益供与は避けるのが鉄則だ。
「お待たせしました。自己紹介は不要ですね」
現れた小太りの男は人事部長の中村だ。事件の初動捜査を含め、何度か聴取を行っている。当然、この男を含めた従業員全員が、当初は重要参考人リストに入っていた。
「小西くんのことで、まだ何か?」
「ええ、彼の勤務実態について追加で確認したい点がありまして」
「と言いますと」
中村の顔に警戒の色が浮かぶ。
「そう構えないでください。真面目に働いていたか、遅刻や欠勤はどうか。その程度の確認です」
「ああ、それなら指示には従順でしたし、遅刻や欠勤もありませんでしたよ」
「なるほど。倉庫管理は夕方6時から途中休憩を挟んで朝の5時まででしたね。残業はありましたか?」
「いえ、うちは完全な3交代制ですので、残業はまず発生しません。早朝では開いている店もほとんどありませんので、大半の者は定時上がりのまま始発電車で帰るはずです」
それでは計算が合わない。
事故発生時間に小西が駅にいた理由が立たなくなる。食事や買い物をしたとしても、2時間という空白は埋まらない。
「小西さんは入社以来、ずっと倉庫管理だったのですか?」
「それは……」
中村が言い淀んだ。少しの間をおいて、観念したように口を開く。
「隠しておいても、他の社員に聞かれたら同じことですね。わかりました。彼は当初、事務職での採用でした。今の部署に移ったのは1年半ほど前です」
「当時の始業時間は?」
「午前9時からです。うちはフレックスを導入していないので、事務方は全員9時始業です」
頭の中で計算する。それならば、事故当日の朝8時過ぎに、通勤のために駅前にいてもおかしくない。
「1年ほどは何も問題なかったのですが、それからたびたび発注ミスを起こすようになりましてね。小西くんはただ謝るばかりでした。ですが内部調査の結果、上役にあたる主任が彼にIDとパスワードを渡してチェック業務を丸投げしていたことが判明したのです」
「その処分は?」
「主任は降格の後、依願退職しました。小西くんは厳重注意処分でしたが、本人から配置転換の希望が出ましてね。それで倉庫管理に移ったのです」
「ありがとうございました。また調べることがあったらお伺いします」
「お役に立つんでしょうか、こんな話が」
「ええ、充分に。では失礼します」
会社を出ると、今川が低い声で言った。
「小西も、事故当日の朝に駅にいた可能性が高くなりました。真田さん、当たりでしたね」
「嬉しくはないがな。さあ、戻って地取りだ。犬猫を探すような地味な作業だがな」
小西の会社を後にして駅へと向かう道すがら、自動販売機の前で足を止めた。
「おい、今川」
そう言いながら、硬貨の投入口を指差す。
「覚えていたんですね」
今川は苦笑しながら、スマホをかざして購入した。
「悪いな」
今川が負けたエスカレーターでの賭け、その清算の缶コーヒーだ。
プルタブを開けて喉に流し込む。透き通った苦味が胸に広がり、鼻に香りが抜けていった。張り詰めた神経が少しだけ緩む気がした。
須賀駅に戻り、今度は西口側に出る。駅からまっすぐ伸びる道の先は東京湾だ。ここから400メートルほど先で国道と交差しているが、そこまでが元々の海岸線で、その先は全て埋立地だという。住宅街は線路と国道の間に、南北に広がっている。
西口側での聞き込みは、東口側での捜査が進展しないことを受けた、上からの新たな指示だった。ぶらぶらと歩きながら、今川に問いかけた。
「おい、突然通り魔に襲われたら助かる自信はあるか?」
「後ろから上半身を狙われたら、まず無理ですね」
「ああ、同意だ。1人目として狙われたら、運良く急所を外してくれない限り無理だ。まあ、お前が叫び声をあげてくれたら、俺の助かる確率は少し上がる」
「勘弁してくださいよ。縁起でもない」
「もっとも、そんな心配はほとんどしなくていい」
「ですね。殺人事件の面識率は8割9割で推移してるはずです」
「親子、兄弟、恋人、元夫や元妻、あるいは職場関係。誰かに恨まれていないか考えたほうが、よほど建設的だ」
そこまで話して、一連の事件を反芻する。犯人は無差別に被害者を選択しているわけではない。あの3人と事故の間に何か関連があるはずだ。積み上がる情報は、どれも「佐伯」という1点へ向かって収束しつつあった。だが、まだ1本の線として繋がらない。
ふと、思いついたことを聞いてみた。
「なあ、お前。消防本部に知り合いはいるか? 親戚や同級生とか」
「いえ、特に思い当たりませんね。法事で1度だけ会った遠い親戚や、1度も話したこともない同級生は除いてですが」
警察の実況見分調書に、今回の被害者たちの名前はない。それは不思議なことでもなんでもない。
石橋を過失運転致死罪で起訴し、裁判で覆らない証拠があればいいからだ。3人は現場にいたかもしれないが、目撃者として聴取されなかった。あるいは、より積極的に協力した目撃者がいたというだけだ。だから、警察の資料から彼らが何をしていたのかはわからない。
では、消防本部の出場記録や救急搬送記録ならどうだろうかと思ったのだ。だが、所轄の刑事がふらっと立ち寄って見せてもらえる資料ではない。課長を通して正式に照会するか。
そこで考えを打ち切り、住宅街に歩を進めた。
国道まで足を伸ばしてみたが、成果は野良猫を3匹みかけただけだった。
もし動物虐待の前兆があるならと思ったが、野良猫を探して近づき、危害を加えるのは並々ならない苦労がかかるはずだ。野良犬に至っては、ここ10年以上見た記憶がない。
国道は片側3車線で、この辺りでは最も交通量が多い。当然、ロードサイドには飲食店やコンビニがいくつも並んでいる。
ここにも、駅前の事故現場にあるコンビニと同系列の店舗があった。店舗の規模は同じくらいだが、ここには広い駐車場があり、代わりにイートインスペースがなかった。
店内に入り缶コーヒーを2本取って、レジに並ぶ。担当していたのは、大学生くらいの年頃の男と外国人の女性だった。日中なので店長がいるとしたら、バックヤードだろうと当たりをつけた。
会計を済ますと手早く手帳を見せ、店長の所在を聞いた。
「お待たせしました。どういったご用件でしょうか?」
すぐに現れた店長は、店内を気にしながら小声で聞いてきた。
「ちょっとお聞きしたいことがありまして」
改めて警察手帳を見せる。
「ここでは、ちょっと差し障りがあるので、事務所でいいですか? ただ、かなり狭いので」
今川を店内に待たせて、1人で事務所に向かう。その前に、買いたての缶コーヒーを今川に渡しておいた。
事務所と呼ぶにはあまりにも狭いスペースに、小さなテーブルと椅子が2つだけ。壁に設えた棚には、業務用のバインダーがずらりと並んでいた。
「すいません。狭い上に汚いところで」
「いえ、構いません」
着席すると、店長の背後にある監視カメラのモニターと録画機器が目に入った。
「早速ですが、この半年ほどの間になにか変わったことはありませんでしたか?」
店長は少し考えたが、返答に困っているようだった。
「申し訳ありません。あまりにも漠然とした質問でしたので……。そうですね、これといって特には」
「店長さんも、レジに立たれたりするでしょう。見たことのない変わった客や、挙動不審な客がいたとかは、ありませんか?」
「ここは国道に面しているので、ご近所の方を除けば、ほぼその時限りのお客様でして。特に印象に残ったりは……」
ここでの聞き込みも、無駄足に終わるか。だが「情報がない」という事実を確認することも捜査の一部だ。
「ご協力ありがとうございました」
そう言って立ち上がりかけた時だった。
「あっ、ちょっと待ってください。お客様ではないのですが、変わったバイトの応募者がいました」
店長はそう言って、机の引き出しをいくつか開けた。
「確かこの辺に入れておいたはずなんだけど……あった。これです」
1枚の履歴書を引っ張り出した。
「本来、不採用の場合は応募者に返却するのですが、電話は通じないし、調べたら住所も存在しませんでした。なんだか気味の悪いこともあるもんだと思って、残しておいたのです」
俺は素早くポケットから手袋を取り出して両手につける。なるべく触れる面積を小さくして受け取った。
名前は「立花芳雄」。確かにこの町名は存在するが、3丁目は28番地までしかない。履歴書には37番地と書かれていた。そして、そこに貼られていた証明写真。正面で脱帽した男。
佐伯辰雄だ。
この履歴書を作ってまで、佐伯がこの店に面接に来た理由は何だ。
「この男の面接で何か覚えていることはありますか?」
「いやあ、ずいぶん前ですからね。そうですね、確か最初から断るつもりでした。平日、短時間の希望だったかな。いやあ、お役に立てそうもないですね」
わざわざ身元がバレる危険を冒して、偽の履歴書まで用意してここに来た理由。
店長の肩越しにある防犯カメラのモニターと、その下にある録画機器が再び目に入った。
これか。
店舗の構造やカメラの設置角度は、同じ系列店なら似通っているはずだ。
「店長さん、防犯カメラの映像はどこか他に送られたりしてるんですか? 本部やクラウドサーバーとか、そういったところに」
「いえ、この機械に撮り溜めしてるだけですね。1週間分くらいなら遡って確認できたはずです。めったに触りませんが」
「なるほど。それは全店舗共通ですか?」
「いえ、推奨規格はありましたが、うちはケチったので」
佐伯は、防犯カメラのシステムの下見に来ていたのだ。同じ系列のこの店で面接を受けるふりをして、カメラ映像がどこに保存され、どれくらいの期間で上書きされるかを確認したに違いない。
佐伯という男の用意周到さを改めて感じざるをえなかった。しかし、運用の誤差まで読みきれなかった。
「店長さん、この履歴書を預からせてもらってもよろしいですか?」
「ええ、処分に困っていたので、お任せします」
「つきましては、そこにあるレジ袋を1枚売っていただけますか? 支払いはします」
店長の背後にはレジ袋の段ボールが積み上げられていた。
我々が入手した中で、最も最近で、そして最も鮮明な佐伯辰雄の顔写真だった。
外で待たせていた今川に、コンビニのレジ袋ごと履歴書を渡す。中を覗いた今川も、写真を見てすぐにそれが誰かわかったようだった。
「鑑識には連絡した。西口の交番で落ち合うぞ」
そう言って歩き始めた。
紙は想像以上に指紋をくっきりと残す。佐伯が店長に履歴書を渡した時に、手袋をしていたとは思えない。偽名を使い、住所も経歴も、電話番号さえ架空のものにしたのに、写真だけは本人のものを使用せざるを得なかった。それが仇となり、この証拠を残すことになった。
この写真があれば、佐伯の現在の風貌がわかり、居所を突き止める有力な武器になる。だが、むやみにばら撒くわけにもいかなかった。特捜本部では、まだ佐伯は重要参考人ですらなかったからだ。
交番前で鑑識に履歴書を渡した。ナップサックの男と関連のある証拠かもしれないと伝え、指紋の採取を依頼した。おそらく、比較のためにあの店長の指紋も任意で採取させてもらうことになるだろう。
佐伯の写真はスマホで撮影しておいた。それからロータリーの階段を上がり、自動改札の前を通り過ぎて、駅の反対側へ出た。
駅前にある、あの事故現場のコンビニが次の目的地だった。
夕方のコンビニは混雑し始めていた。店長に許可をもらい、業務の邪魔にならないように、1人ずつ佐伯の写真を見てもらった。この時間のシフトに入っている4人は、誰も心当たりがないと証言した。
店長に改めて確認を依頼し、1年以上バイトを続けていて、かつ朝の出勤時間帯にシフトに入る人をピックアップしてもらった。
結果から言うと、当たりだった。
店長から連絡をもらい、改めて水曜日のお昼前にコンビニを訪ねた。バイトの女子大生の勤務時間が終わるのを待って、事情を聞くことになった。
わざわざ署まで来てもらうのも心理的な負担が大きいと踏んで、店長に事務所を貸してもらえないかと頼んだところ、快く承諾してもらえた。
「千種中央署の今川といいます」
今川が手帳を見せて、彼女の氏名と住所、電話番号を確認した。年の近い今川のほうが話しやすいだろう。聴取は彼に任せ、俺は椅子が足りないこともあって、彼女の視界に入らない背後で立って聞いていた。
「ここのバイトはどれくらいしてますか?」
「大学に入ってすぐからなので、2年半くらいですかね」
「ありがとうございます。ある事件の捜査をしていまして、この男に見覚えはありませんか?」
今川は履歴書の写真を拡大したスマホ画面を彼女に見せた。少しの間写真を見つめ、なにかに思い至ったようだった。
「……あ、たぶんこの人です。何度か、見ました」
「いつごろですか?」
「4月から6月くらいまでですかね。最近は見ていません」
「失礼ですが、バイト中に相当な数のお客さんの対応をされてますよね? どうしてこの男を覚えていたのですか?」
「みなさんいつも同じ時間に来られて、同じものを買っていきますので、なんとなく顔なじみになるんです。でも、この人は中学3年の時の担任に雰囲気が似ていたので、特に覚えていて。毎週水曜日の朝8時過ぎに来店されて、パンと缶コーヒーを購入して、2階のイートインに上がられてました」
繋がった。佐伯はここで観察をしていたに違いない。
「来るのは朝だけ? ほかの時間で見たことは?」
「うーん、私は朝6時からお昼までなので、それ以外の時間はわかりません」
「2階にどれくらいいたか覚えていませんか?」
「2階に上がっていくところまでは、間違いないと思うのですが、それはちょっとわからないです」
今川がちらりとこちらを見た。俺は小さく頷いて「充分だ」と伝えた。
「ありがとうございました。もし、また聞くことができたら連絡するかもしれません。ご協力ありがとうございました」
コンビニを後にして、今聞いた情報の意味を整理する。
「真田さん、8時過ぎというのは事故発生時間ですね」
「俺もそうだと思う。事故の関係者を探していたのだろう。だが、被害者の3人は実況見分調書には名前がない」
「1人目の池田から2人目の小西までは2ヶ月以上間があります」
「そこがわからない点だ。佐伯はどうやって小西の配置転換を知った?」
「知らなかったのではありませんかね」
「……そうか。だから、2ヶ月間探し続けたわけだ。そして、その間に加藤を見つけた。だが、事故発生時間に限り見張っていたとしたら、3年間行動の変わっていない人間しか補足することはできん。勤務時間の変わった小西は、本来見つけることはできない。しかし、小西も殺されている以上、結局見つかってしまったわけか」
「それで、コンビニに来なくなった」
「筋は通るな。だが、もっと根本的な問題がある。佐伯はどうやって3人を知った」
「ですから、それはイートインで監視して……」
「違う、そうじゃない。今川、お前は結果からものを見ている。それでわかるのは、その時間ここを通ることだけだ。」
「では、最初から何人かにあたりをつけて探していた」
「どうやってだ。事故は3年も前だ。警察も現場にいたことは把握できない」
「では、現場の写真とかでは? ハッシュタグやキーワードを駆使しても、ピンポイントで見つけるのは不可能に近いです」
「だが、絶対にないとも言い切れん」
佐伯の復讐は終わったのだろうか。しかし、なぜ3人も殺す必要があったのか。目撃しただけなら殺意までは抱かないはずだ。まだ、我々の知らないなにかが残っている。
だが、彼も完璧ではない。探せばきっと他にも痕跡を見つけることができる。佐伯は自分を完全に消すことなどできていない。
今のところは状況証拠でしかない。なにか、事件と佐伯を直接繋ぐ決定的な証拠が必要だった。それがあれば、特捜本部の方針を変更させることができる。
被害者が全員、事故発生時に駅前にいた可能性が高いということ。そして佐伯がこのコンビニに通って彼らを監視していたらしいということ。この2つを結びつけるためには、まだピースが足りなかった。
佐伯辰雄が犯人だという影はますます濃くなっていく。だが、その輪郭はまだ、少しだけピンぼけだった。




