5章
この計画を進めるために絶対に不可欠なのは、動画に映っていた4人全員の特定だ。動画をキャプチャした画像は不鮮明きわまりなく、4つの人影が何かに駆け寄ったことしかわからない。
誰が、何が、優也を死に導いたのか。それがわかればそれに越したことはない。だが、もしそれが単なる不幸な事故ではなかったとしたら……。私は真実を知らなければならない。
警察から自宅に戻り、まずは腹ごしらえをした。途中のコンビニで買った弁当で済ませる。優也がいなくなってから、自炊をすることはめっきり少なくなった。健康を気にする必要も、もうない。自分のためだけに作る料理は、ただ虚しさを加速させるだけだった。
「美味しい」と口にしなくてもペロリと完食し、時にはおかわりを求めてくる息子。あの日常の行為に、私がどれほど幸せを感じていたか。失ってみてはじめて、寂しさが骨身に染みた。
パソコンを立ち上げて検索する。「画像解析 素人」と入力すると、いくつかのおすすめソフトが並んだ。一番上に表示されたものをクリックする。有料サービスだが迷わずに購入した。
もう、写真が増えることのない家族のアルバムが手元にある。妻と出会った頃から優也がいなくなるまで、何冊かにわたって写真を追加し続けていた。私が撮った妻の写真や、妻が撮った私の写真だ。そこに写るおどけた笑顔は色褪せてしまったが、思い出は今も鮮明だ。
アプリケーションを立ち上げて、一通りの機能を確認する。これなら、仕事の延長線上でなんとかなるのではないかと安堵した。
かつてフィルムで撮影し印画紙にプリントした写真と、スマホやデジカメで撮影しモニター表示やプリントをしたデジタルの写真や動画。これらは似ているようでいて、本質的には異なるものだ。
写真撮影に用いていたフィルムには、光に反応する銀塩を含んだ乳剤が塗られている。カメラのレンズを通した光は、明るい部分により強く反応し、暗い部分は反応しない。
この見えない濃淡を、現像、定着といった薬品処理を経ることで、濃淡のあるネガフィルムとして可視化する。明るかった部分が濃く、暗い部分が薄くなっているネガ。それを同じ原理の印画紙に、このネガフィルムを通して感光させ、現実の濃淡に近づけたものがアナログ写真である。
アナログの写真は現実の光を閉じ込め、焼き付ける。ネガには、物理的な痕跡が刻まれていたのだ。
私はモニター上で伸びていく処理中の進行バーを、何度も見つめながら考えを進めた。
デジタル画像は、その原理を根本から異にする。レンズを通した光は感光部でセンサーにより「0」と「1」の情報に変換され、演算処理によって画像として再現される。
撮影段階で1つのピクセル(画素)には1つの色が割り振られ、その集合体として像が作られるのだ。ピクセルが小さいほど、そして数が多いほど高精細な映像が構成される。
優也も4人の男も、そのデータの檻の中だ。そこからすくい上げることは、私にしかできない。どうにかして顔や体型、服装まで鮮明にする必要がある。
問題の映像を記録していた市販のドライブレコーダーは、そもそも高性能ではない。その上、SNSにアップロードされたことでデータはさらに圧縮され、多くの情報が失われていた。
映像としての形は残っていても、そこには息づかいも温度も、もうどこにもない。息子の瞬きひとつも、抱きしめた温もりも、データは記録してはくれない。
これで何度目のやり直しだろうか。処理は少し待てば終わるが、それが望む結果をもたらすわけではないことはわかっていた。
優也が拾ったものさえ判別できないのだ。拡大処理によって不鮮明になった顔の輪郭は、今でも目を閉じれば蘇る鮮明な記憶とは似ても似つかない代物だった。
結局、丸1日以上を費やしたが、作業に進展はなかった。想像以上に困難な道のりになりそうだった。だが、警察の調書にも残されていない、この4人の特定は絶対に成功させなければならない。諦めるわけにはいかない。
マウスから手を離し、全身の緊張をほぐすように軽く伸びをした。すでに24時間以上寝ていなかったが、眠気はまったくなかった。
この困難な道のりが、過去の記憶を呼び覚ます。
学生時代に所属していた、ワンダーフォーゲルという大層な名前のサークルを思い出した。実態はせいぜい山歩き程度で、その目的はむしろ男女の出会いの場として機能していた。
妻との出会いもそこだった。最初はグループで行っていた山歩きも、やがて2人きりで行くようになった。だから、登山家たちが厳冬期の岩壁の単独踏破に挑む気持ちも、多少だが理解できた。困難であればあるほど、燃え上がるものがある。
卒業後に就職してからも2人の関係は続き、優也を身籠ったことをきっかけに籍を入れた。生活は裕福とは程遠かったが、ささやかな幸せがそこには確かに存在した。
試行錯誤しながらも画像の処理を続ける。しかし、当初の楽観通りにはならず、結果ははかばかしくなかった。
妻に若年性の癌が見つかったのは、優也が小学校に上がって間もなくのことだった。進行の早かった癌は治療もむなしく、発見から半年で妻を連れ去った。
今となっては、妻と交わした「優也は立派に育てるから安心しろ」という約束も嘘になってしまった。
通夜から葬儀の間、優也は決して泣かなかった。子供なりに一生懸命耐えていたのが痛いほどわかった。
時間が彼の心を溶かし、以前のような明るさを取り戻し始めた頃、あの事故は起きたのだ。
作業を再開する前にシャワーを浴びて、気持ちをリフレッシュすることにした。顔や体に当たる水の粒が泡と一緒に汚れを落としていくが、心が軽くなることはまったくない。
カーテンを閉めっぱなしにしていたので今が朝なのか昼なのかもはっきりしなかったが、日課にしている仏壇の掃除を済ませ、妻と息子の写真に手を合わせた。
急に強い空腹感が襲ってきた。食事すらとらずに、没頭していたせいだ。
軽く食事をとった後、私は作業を最初からやり直すことに決めた。今度は「画像解析 復元 補正」と入力して検索する。提示されたいくつかのソフトは元のものよりはるかに高額だったが、そこにこそ希望があるなら迷う理由はない。
新たに購入した高度な解析ツールを起動させる。それは、断片化した荒いデータと、背景にある膨大な映像情報パターンとを照合し、人間の目には見えない潰れた部分を「最も確からしい映像」として補完する最新技術である。
デジタルの力で再構築された「最も確からしい映像」では、息子が拾った物が手のひら大で、黒く、角ばった形状。ひょっとすると、スマートフォンだろうか——いや、そう断じるには根拠が足りなかった。
そして集まった4人の体型、服の雰囲気、さらにはうっすらとした顔立ちまでがわかるようになった。
むろん、これは計算の力で隙間を埋めた推論による映像でしかない。それでも、私はこれを「現実」として受け入れた。
これで第1段階は達成した。
「やったぞ」
小さく呟き、凝り固まった両腕を伸ばした。――自然と、笑いが込み上げてくる。
モニターに大写しになった4人の男たち。彼らは何ごともなければ今も生きているはずだ。いや、むしろ絶対に生きていてくれと、心からそう強く願った。
部屋での作業はある程度の手応えが得られた。いよいよ行動に移す準備に入る。閉めきった部屋から外に出ると、体が軽く感じた。
事故現場の交差点に面するコンビニには、2階にイートインスペースが設置されていた。下見の結果、幸いなことに2階には監視カメラが設置されていないことがわかった。
これで、ここでの自分の行動が記録されずに済む。コンビニそのものへの出入りは1階の監視カメラで記録されているが、それがどんな仕組みで保存されているデータなのかは、実際に確かめてみるしかない。
コンビニでコーヒーとパンを買い、交差点を見下ろせる窓際の席を確保した。
事故発生時間を中心に30分ほど交差点を眺めてみたが、通勤時間のピークの始まりに近く、かなりの人数が駅の入り口へと吸い込まれていく。しかもこの角度からでは、通行人の後ろ姿しか見えない。
「これは想像していたより大変そうだ」
誰に語るでもなく呟いてみたが、落胆はまったくなかった。むしろその困難さが、今の私に生きる意味を与えてくれているようだった。
長期戦も想定しなければならない。計画を遂行するには、まず、安全かつ確実にターゲットを観測できる環境を手に入れなければならない。
パンはパサパサで大して美味くなかったが、すっかり冷めたコーヒーで胃へ流し込んだ。予定の30分が過ぎ、私は静かに席を立った。
持参した履歴書を店長だという男に手渡す。履歴書には、貼ってある写真を除けば、何1つ本当のことは書かれていない。
「立花芳雄さんですね」
現場とは線路を挟んで反対側にあるコンビニの店長の男は、自己紹介もせず、手元の履歴書を一瞥して私の名前を確認した。事故現場からは少し離れているが、同じフランチャイズ系列のコンビニだ。
コンビニは1軒1軒独自の店舗デザインをしたりはしない。つまり、設備の構造はどの店舗も似通っている。
この事務所と呼べないような狭いバックヤードも、商売上のデッドスペースを利用したものだ。2人座っただけで、余分なスペースはほとんどない。
「はい。電話で伺った際に、住民票は採用時でよいとのことでしたが、よろしかったですか」
「ええ、取りに行くのも手間ですしいくらかお金もかかりますから、採用が決まってからで結構です」
「ご希望の時間帯は平日の午後3時間、週3回ですか」
店長の顔に明らかな落胆の色が浮かぶ。なぜなら、その時間帯は主婦や学生が一番働きたがる人気の枠だからだ。
「掛け持ちをしているので、すみません」
「週末の長時間や深夜は無理そうですかね」
最も人手が足りない時間帯を提示してくる。これはまったく予想通りの展開だった。
私は考えるふりをしながら、素早く男の背後にある機材を確認する。
監視カメラの映像が映るモニターだ。入り口、レジ前、3列の陳列棚、そしてこの事務所の計6ヶ所を順に映し出している。
映像は数秒おきに切り替わっていく。入店する学生、棚出しをするバイト、レジ裏のタバコを指差す年寄り。小さなモニターの映像が、この距離からでも判別できる。これはとても危険だ。改めてそう確信した。
全ての映像を並行して保存しているのか、あるいはモニター表示のようにタイムラプスで保存しているかまでは、画面だけではわからない。だが、ざっと見た限りでは、事務所内に交換用の外付けハードディスクは見当たらない。データは一定期間で上書きされているはずで、その期間を定めるのは記録媒体の容量だ。
私は録画装置の型番を目視し、素早く記憶する。この型番から製品の規格がわかれば、録画期間が推定できるはずだ。
装置背面から伸びるコード類は、同軸ケーブルが6本。これは各カメラからの映像信号用だ。あとは電源コードが1本と、モニターとの接続コード。
重要なのは、LANケーブルが繋がっていないことだ。つまり、映像データはクラウドに保存されたり、本部にリアルタイムで送信されたりしていない。この店舗内で完結している。
「ちょっと難しいですね」
私が渋ると、店長は諦めたように言った。
「わかりました。結果は近いうちに電話でお知らせします。この携帯番号でいいですか」
「はい、結構です」
採用・不採用の連絡は来ないだろう。記載した電話番号もでたらめだからだ。
店を出るまで、怪しまれる素振りはまったくなかった。バイトの面接を受ける人間が、架空の履歴書を持ち込む可能性など、彼らは考える必要がないからだ。
警戒心さえ抱かせなければ、こちらの偵察行動を阻害する要素はない。採用しなかった男の履歴書を残す意味もない。きっと処分される。この狭い事務所を見て、そう確信した。
自宅に戻り、記憶した型番を頼りに録画装置の性能をネットで確かめる。この型番の標準的な仕様なら内蔵ハードディスクは1TB。6チャンネルの常時録画なら実運用で1週間前後で上書きされるだろう。
この程度の仕組みなら、私の痕跡は長く残らない。画質を落としてタイムラプスで録画すればより長時間の保存はできるが、彼らの目的は「万引き」の防止だ。画質を落とすことにも、1年前の犯罪を記録することにも意味はない。むしろ高画質で短期保存にしておく方が、店にとっては自然だ。
いずれにせよ、コンビニ側が監視カメラや録画装置にこれ以上のコストをかける意味はない。なぜなら、「監視カメラがある」という事実だけで、防犯という設置目的の9割は達成されているからだ。
これで、こちらの行動が長期的に記録されるという危険性は、ほぼ払拭できた。
翌日からの1週間、私は事故現場のコンビニへ通い、同じ時間にパンとコーヒーだけを買ってイートインスペースを利用した。
確認するのはアルバイトの名札だ。1週間通った結果、私の張り込み予定の時間帯に人員の交代がないこと、レジを担当するのは常に2人体制であること、そして月曜日と水曜日はその2人が別の人間に入れ替わっていることがわかった。もし複雑なシフトを組んでいたら計画を変更すればいいだけだが、その必要はなさそうだ。
張り込みはターゲットが現れる可能性のある月曜日と水曜日の2日に絞る。優也の事故は平日に起きた。仮に週末に働くような男でも、月水の両方が休みということはないはずだ。
そして、この2日だけならレジの担当が4人のうち誰であっても、店員たちにとって「週に1回、パンとコーヒーを買ってイートインスペースを利用する常連客」でしかない。特段気を留めるような不自然さはないはずだ。
翌週の月曜日から、いよいよ本格的な張り込みを開始した。やるべきことは単純だ。イートインスペースから交差点を見下ろし、信号を無視して渡る男だけを狙ってスマホで動画撮影し続ける。
なぜ信号無視を狙うのか。単純に物理的な制限もあるので、全員を記録することは難しい。それに、彼らは今も変わらず、信号無視を続けているはずだと思うからだ。
初日の30分だけで、100人以上の信号無視をする男のデータが手に入った。
時間が来たら、なるべく自然に見えるように店を出る。店員の印象に残るような特異な行動はとらない。声も出さない。
自宅に帰ったら、スマホで撮影した動画データをパソコンに移す。横断した日付と時間をラベリングしていく。それが済んだら、画像解析ソフトを使って生データを処理していく工程に移る。
必要とするのは、映像から推定される骨格情報だ。画像から、頭蓋骨の大きさや形状をはじめ、肩幅や腰幅、肩関節から肘関節を経て手首まで、股関節から膝関節を経て足首まで、それぞれの骨の長さや関節の位置関係を割り出していく。
そうして割り出した通行人の骨格データを、あらかじめ解析済みの「4人の男たち」の画像データと比較し、一致点を加算していく。最終的にそれが一致率として出力される仕組みだ。
指紋認証や顔認証に比べれば精度は落ちるが、骨格は成人であれば変化しにくく、偽装が極めて困難な生体情報である。
あらかじめ登録された体格の人間と、ある場所を通過する映像の中の人々が一致するかどうかを見るだけなので、短時間に多くの人間を機械的にチェックすることが可能になる。たとえ顔が認識できなくても、全身さえ写っていれば、骨格が認識できないことはない。
私はその技術を、犯人の特定に応用することにした。
この日撮影した100人以上のデータからは、4人のいずれとも80パーセントを超える一致率を示す者はいなかった。だが、焦ることはない。あとは当たりを引くまで、この作業を繰り返すだけだ。
カーテンを閉めたままの自室は、モニターだけが青白く光り、世界から切り離されていた。その光の中で舞う埃の粒には、外界の春らしさなど微塵も感じられなかった。




