14章
八幡神社での加藤殺害を受けて立ち上がった、特捜本部の方針変更には成功したが、それが即佐伯の身柄を押さえることに繋がったわけではなかった。
区役所に令状を持って赴いたものの、得られたのは佐伯が転出届も、住所変更の手続きもしていないという結果だけだった。徒労だったとは思わない。むしろ、これこそが大きな進展だ。
「今川、佐伯は自宅と土地を売却していながら、住所変更の手続きをしていない。何故だと思う?」
「現場ではあれだけ慎重に動く男です。当然意図があると思います。我々の捜査の撹乱ですかね」
「まとまった金を手にして、身を隠した。逆説的に、それは『私がやりました』という、雄弁な自白に他ならない」
「3人殺しているとなれば、死刑は避けられません」
「だろうな。だが、そこまでの執念があるならば確かなことがもう一つある」
「まだ、終わらないということですね」
「そうだ。佐伯はまだ、あの派手なスーツの男を見つけられていない」
事故現場に居合わせた男たちを、1人ずつ消していく。簡単なことではない。佐伯なりの論理が、そこにはあるのだろう。少なくとも、本人の中では辻褄が合っているはずだ。それでも、どこかに説明のつかない引っかかりが残っていた。
特捜本部は市内の不動産屋に新規に賃貸契約を結んだ、あるいは売買契約を結んだ中に佐伯がいると踏んで相当な人数を割いている。しかし、俺には佐伯が定住先を探したとは思えなかった。
自宅と土地を売却したのは当面の活動資金の調達だと思っている。ならば、市内にあるホテルを転々としてもいいし、2駅先の千種駅周辺ならさらに多くの宿泊施設がある。
歓楽街に足を伸ばせば、ラブホテルという選択肢もある。他にも、短期滞在型のマンションやネットカフェなども対象となる。
結局のところ、佐伯が寝泊まりできる場所は市内にいくらでもある。つまり「住まいの特定」は戦略として成り立たない。
佐伯が学生時代ワンダーフォーゲルに所属していたことも突き止めている。その気になれば野宿も可能だ。キャンプ道具は市内のショッピングモールで簡単に手に入るからだ。
その全てを捜査し、居場所を突き止めることは、物理的に不可能だった。
「やはり、佐伯のスマホの位置情報を差し押さえるのは無理ですかね。犯行現場にいたことが分かれば一発です」
今川の考えはわかる。俺もそれができればとは思う。
「今の段階じゃ裁判官は首を縦に振らん。物証もなしに個人のプライバシーを丸裸にするような令状は出せないと突っぱねられるのがオチだ。通話履歴の照会ですら、特捜本部の腰が重い」
「じゃあ、指をくわえて見てろって言うんですか」
「だからこそ『最後のひとり』を特定しなきゃならん。佐伯が接触する現場を押さえる。現行犯、あるいはそれに近い状況を作るしかないんだ」
それでも、やれることはやるべきだ。不動産屋を回りながら、近くにホテルや民宿があったら、コンビニで手に入れた証明写真のプリントアウトを配った。表情は硬いし、半年近く時間が経っている。服装や髪型が少し違えば、同一人物には見えないだろう。
逮捕状が取れるならそれに越したことはないが、現状では重要参考人止まりだ。動機と状況証拠だけでは弱かった。佐伯の身柄さえ押さえれば、池田事件の皮膚片とDNAを照合して、佐伯の関与が立証できる。
もどかしい限りだった。それでも今川と手分けして、所轄の何人かの協力を得ながら、種を蒔いた。そのほとんどは芽を出すこともない。だが、たった1つ実ればいい。
区役所からさほど離れていない消防本部から車を出させた。
「池田の名前ありましたね。真田さんの読み通りでした」
「ああ、だが余計にわからなくなった。次はロッカーだ」
今川の運転する車でコインロッカーの管理会社へ向かう。本社は東京だったが、営業所は車で10分ほどのところにある。
片側2車線の県道の左車線を、制限速度以下で走らせる。右側を20キロ以上速度を超過した車が追い抜いていくが、すぐ先の信号は赤だ。やすやすと追いつき、信号待ちの最後尾で停車する。
青に変わると、周囲の車はまた制限速度を超過して走行し、3つ先の交差点の赤信号でまた追いつく。ただ無駄にガソリンを消費するだけなのだが、彼らはそんなことは考えたこともないに違いない。
——いつもこの道を走っているが、速く走りたがる連中が信号で追いつかれない日など1日もない。
一体、教習所のカリキュラムと、小学校の理科教育の、どちらに問題があるのか。俺にはわからなかった。
コインロッカーの利用期限は、ほとんどの場合当日を含めて3日で、それを過ぎると管理会社が中身を回収して保管する。その期間はおおむね30日間だとわかった。
佐伯が家を処分した日から今日まで、須賀駅で回収された荷物は12件あった。その全てが引き渡し済みで、そこには佐伯の名前はないとのことだった。
直接、記録簿を確認してはいない。個人情報保護法を盾に開示は断られた。引き渡しの際は身分証で本人確認を必ずしているという、彼らの運用にも信用が置けそうだった。
必要な物を都度買っては捨てる——そんな不自然な生活をしていないかぎり、佐伯はどこかに荷物を置いているはずだ。長期行動を想定するなら、なおさらだ。
それに、殺害の実行や下見、尾行の最中に大きな荷物を抱えて動く犯人を、俺はこれまで一度も見たことがない。動きが鈍るし、目立つ。
となれば、荷物はどこかに預けている。もしコインロッカーを使っているのなら、頻繁に出し入れしているはずだ。
念の為、佐伯の画像を渡して姿を見せるようなら、署に連絡するよう頼んだ。
所轄の無線で呼び出され応答する。
「真田です」
「須賀セントラルホテルで、佐伯と思われる宿泊客の情報あり。宿泊者の氏名は立花芳雄。刑事課長から、現場指揮を任すとの指示です」
今川はすでに進路を変更しホテルへと車を向けた。
「了解。緊急走行せずに向かいます」
「出入り可能な場所は4箇所。すでに応援を向かわせています」
これで、佐伯の宿泊情報は4件目だった。前3件はいずれも背格好の似た別人だった。
だが、今回は当たりだ。
「立花芳雄」が誰なのか、我々はもう知っている。車内で応援部隊と打ち合わせをしつつ、現場へと向かった。
「容疑は建造物侵入、あるいは偽名宿泊による偽計業務妨害だ。まずは任意同行を求めろ。ただし、相手は極めて狡猾だ。抵抗して手を出してきたら、迷わず公執行妨害で抑えろ。現場判断に任せるが、絶対に逃がすな」
応援の4人をそれぞれ出入り可能な場所を張らせ、俺たちはフロントに向かう。
「千種中央署の真田です」
手帳を見せる。
「ご協力ありがとうございます。連絡を頂いたのは?」
「私です」
名札には森と書いてあった。
「1時間ほど前にチェックインされました。今日から2連泊のご予定です」
「チェックインの名前を改めて確認できますか?」
「立花芳雄様です」
以前の捜査で確認した、佐伯がコンビニで使っていた偽名だ。
「チェックイン後、外出はしてませんね?」
「私は見ていません。鍵もお預かりしていません」
部屋にいる可能性は高い。
「在室してるかどうかを確認できますか?」
「わかりました。連絡してみます」
館内電話で連絡を始めたが、応答する気配はなさそうだった。
ふと、開け放しのドアから事務所内を見た。火災警報器の受信盤が激しく赤く明滅していた。館内で非常ベルは鳴っていない。
明らかな消防法違反だと思えた。だが、消防からの告発がなければ動けないし、立法趣旨は是正だ。
「応答ございません」
「その客は何階に宿泊ですか?」
「5階です」
受信盤を指差しながら、火災警報が作動していることを告げた。従業員は顔色を変え、慌てて事務所に駆け込んだ。
「5階で火災のようです。様子を見てきます」
森は慌てて駆け出そうとした。
「待ってください。非常階段の出口はどちらですか?」
「それでしたら、ここを通らずに直接駐車場に出られます」
――やられた。
そこには人員を配置していない。無線が鳴らない以上、誰も捕捉できなかったのだろう。
5階の階段室とエレベーターホールは、防火シャッターが降りていた。従業員に復旧してもらい、廊下にある押しボタン式の消火栓を確認する。警報ボタンが押されていた。連動して開いた非常扉から外に出たのだろう。
鑑識は既に手配した。部屋やこの警報ボタン、非常扉のドアノブから佐伯の指紋が取れるかもしれない。
しかし、鮮やかな逃走だった。あまりにも、鮮やかすぎる。




