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透明な刃  作者: 椎名悟
12/17

12章

今日の捜査会議が始まる前に、着席して考えを巡らせる。開始まではまだ10分以上、時間があった。


小西の配置替えがわかったことで、池田、加藤と3人が事故現場にいた可能性が高まった。


佐伯の行方も含めて事実の痕跡を拾い集めていくには、今川と2人では限界ではないかと思い始めていた。


本部方針の愉快犯説は、既に行き詰まりの気配を会議室に漂わせていた。


怪しい男がいたという目撃情報が出る度に、本部は色めき立った。数日後には、3件のうち1件、あるいは3件全てに現場不在証明が成立し、空振りに終わった。一度に1人ずつ追いかけるわけではないから、既に相当な数の空振りが生じている。


そして、ここのところ嫌な胸騒ぎがしてならない。佐伯が関わっているにしても、そうでなくても、この事件が――これで終わるとは到底思えない。


しかも、犯人は加藤事件においては相当巧妙に立ち回っている。なにより佐伯は潜伏したままだ。拾い集めた証拠は佐伯の色をより黒く染めていた。


池田事件の時に残留していた痕跡、凶器の破片や犯人のものと思われる皮膚片、防犯カメラの映像、その手の証拠は小西事件では一切出なかった。


現場に残された足跡は現物がなければ照合できない。映像の中の茶色のスニーカーも、現場の近くにいたというだけで、現場そのものにいた証拠にはならない。


そこまで考えて思考は振り出しに戻る。


そして、佐伯が犯人だとすると動機が見えてこない。3人は現場で何をしていたのか。


あれから警察側の資料は読み込んだが、3人が事故に絡んでいたという記録はない。佐伯と被害者を繋ぐ線、それがなければ本部の愉快犯説を覆して組織として佐伯を追うことは叶わない。


「どう、考える」


今川と言いかけて、そうか、今日はいないのだと思い直した。


今日、あいつは非番だ。別の人間と組んで指示通りに動くことになる。ホワイトボードには都心のホテル名と「同窓会」の文字があった。その文字が楽しげに見えたのは気のせいではないだろう。


あいつはあれで、壁打ち相手としては優秀なのだと再確認する。――本人の意見は違うかもしれないが。



招待状を手に受付を済ませた。「今川」と手書きされた名札を胸につける。周囲の華やぐ雰囲気に場違いさを感じていた。匂うはずもないのに、普段の負の匂いがしていないか気になってしまった。


事件が起きていて、特捜本部全体は休みなく動いていても、個々の捜査員には規定通り非番が充てられる。


今日はかねてより申請していた指定休で、高校時代の同窓会に顔を出すことにした。2年に一度案内が来ていたが、忙しさを理由に欠席し続けていた。


都内のホテルの宴会場を貸し切りで設営された会場は立食形式だった。そこかしこで懐かしい話を笑顔で交わす輪ができていた。


卒業以来初めて参加したので、半分くらいは思い出せない顔があった。正確には当時と現在が繋がらないということだ。会話の輪から少し離れ、軽く飲みながら次に何を食べるか考えていた。


「おい、今川じゃないか?」


声を掛けられて振り向くとそこには懐かしい顔がいた。


「酒井じゃないか、お前アメリカじゃないのか?」


「ああ、ちょうど日本で学会があってな。向こうの会食を断ってこっちに顔を出すことにした」


「そうかぁ、懐かしいな。学会ってなんの研究してるんだ?」


「広く言うとAIなんだが、具体的には、撮影や圧縮時に失われた情報を、演算処理とパターン分析、論理的な補正で再現する研究かな」


「昔の映画とかを綺麗にするやつか?」


「そういう利用法もあるだろうけど、今はFBIと共同で監視カメラの荒い映像を高精細にしてリアルタイムで分析、アラートを出すシステムを研究している」


「なんだかすごいな。でも、AIが再構成したものって本物とは違うものだろ」


「お前も俺も目から入った情報は脳が処理して認識している。同じものを見ても同じだと認識しているとは限らない。何が本物かを決めるのは科学ではなく、哲学の仕事だよ」


「酒井と話しているとすぐに難解になる。変わらないな」


「これでもわかりやすく話しているんだがな。そうだ、面白いものがある。ちょっとこの画像見てくれるか?」


そう言いながらスマホを見せてくる。握り寿司を3つほど皿に取り、画面を覗き込む。


「このアイドルが、SNSに上げていた写真なんだが」


「姉と食事ですとキャプションされてるな」


「ところがだ、瞳を拡大して処理をすると」


「男だ」


「どうだ?」


「お前、人が悪いな」


そう言って顔をしかめてみせる。


「まあ、これはお遊びみたいなものだな。技術実証も兼ねているがな」


なんとなく悪そうなことをしている気がするが、具体的な罪名が出てこない。


「AIは決して万能じゃない。入力するプロンプトや前提条件を少し間違えるだけで、簡単に躓く。そういう人は案外多くてね。SNSを眺めているだけでも世界中にいくらでも見つかる。研究の一環で、そういう解析に協力することも珍しくないんだ」


「ドラえもんみたいにはならないんだな」


「ああ『ドラえもんなんとかしてよ』では、なんともならん」


その時、ふと頭の中に引っ掛かりを覚えた。画像解析、監視カメラ、高精細……。


「はい、酒井教授」


手を上げておどけてみせた。具体的な情報は明かしてはいけない。しかし、聞き出すにはどうすればいいか。


「何かな?今川君」


「ある出来事が起きた後に、そこにいた人が何をしていたか推定する方法はありますか?」


「本人に聞くとか、目撃証言を集める、ではなさそうだな。映像記録が残っていない場合はかなり難しくなる。どんなに不鮮明な動画や画像でも、推論すること自体は不可能ではないのだが」


「その場合、監視カメラやドライブレコーダーということになるかな。もし、そういったものがなかったら?」


「それもないとすると、特定の日時と時間が分かっていれば、スマホの位置情報から割り出すことは可能だが、簡単にというわけにはいかない。そうだな、せめてこれくらいのデータがあればなんとかなるんだが」


酒井はそう言いながら手元ではスマホを忙しく操作する。


「ほらな、こんなにくっきりにすることができる」


酒井が見せた動画と画像は衝撃的だった。


「お前、これは?」


「フォルダは今年の4月。タイムスタンプは25日だ。さっきも言ったとおり技術的なことで困ってる人は多くてね。素材を見たらなんとかなりそうだったから、助けてあげたんだ。人助けも科学の大事な役割さ」


「酒井、この動画と画像、俺のスマホに送ってくれないか?」


高精細に処理されていた画像には、4人の男が映っていた。そのうち3人は池田、小西、加藤。――そして、最後の1人。


今すぐ真田さんに知らせなければ、そう思い会場から飛び出した。



間口の狭い店内にはカウンター席が5つきり。行きつけの焼き鳥屋「鳥平」は、そのカウンターのすぐ向こうで大将が串を焼いている。


炭火にしたたり落ちるタレが焦げる音と、香ばしい香りが食欲をそそる。焼き上がりを待つ間に、まずはその匂いを肴にグラスに注いだビールをあおる。この店はつくねが絶品で、つくねに手を抜かない店は間違いがない。


大将は職人気質で余計なことはほとんどしゃべらない。捜査に行き詰まったり、何か考えをまとめたり、そんな時は大抵ここを利用する。


若い連中は制服を脱いで署を出たら、自分の時間なので仕事のことは考えないとあっけらかんと言う。俺が古いのか、あいつらが新しすぎるのか。きっとどちらも間違ってはいないのだろう。


「お待たせいたしました」


大将が皿にねぎまを2串乗せて差し出す。受け取ると立ち昇る湯気の中に焦げた醤油とほのかに炭の香りを感じ取る。


「焼き鳥は塩に限る」そんなことを言う奴らも多いが、俺は断然タレ派だ。継ぎ足し、継ぎ足しで頑なに守られる、いつも変わらないその味こそが、文化だと思うからだ。


2杯目のビールをあおり、コップの底に残った泡を見つめる。


1串目を口に入れる。外側はカリッと香ばしく、タレの甘みとネギの甘さが、口の中で混ざり合う。最後にほんのりと辛味が残り、鼻からネギの香りが抜ける。


モモ肉も中まで火が通っているのに、ジューシーさをしっかりと残し、噛むほどに肉汁が滲み出て、タレと絡まって極上の味わいだ。


思えば、この店を見つけてきたのは山崎だった。警察学校の同期で、同じ所轄、同じ交通課に配属になった。物静かな山崎とはウマが合い、今でも月に一度は飲みに行く仲だ。


この一連の事件が起きてからは、なかなか予定が合わず、今日もやり残しの仕事があるからと、断られてしまった。


俺が刑事を目指し、試験に合格した時も山崎の奢りでささやかな祝勝会を開いてくれた。


「いやあ、しかしこれで真田も刑事様か」


「よしてくれ、交通課で覚えた知識だけじゃ通用しない。また、雑巾掛けからやり直しだ」


「その割には、楽しみだと顔に書いてあるぞ」


「そりゃあな、警察に入る前からの夢だ。多少の苦労は覚悟の上だ。それより、本当に良かったのか?」


「ああ、せっかく誘ってくれた上司には悪いことをしたが、後悔はしていない」


「警察学校でも、勤務についてからも山崎の方が俺より優秀なんだ。お陰で俺にお鉢が回って来たわけだが」


「俺は交通課が性に合ってるんだ。凶悪犯相手に、取り調べ室で凄みを効かせるなんて、ガラでもないさ。遺族の目を見て、『被害者側にも過失があります』って伝えるだけで、いつも卒倒しそうになる」


「俺はお前こそ、刑事になるべきだと思うがな」


「よせよせ、背中が痒くなる。さあ、飲め。今日は倒れるまで、奢らせてもらうぞ」


もう、だいぶ昔のようにも感じられた。大将はあの頃とほとんど変わっていないように見えた。あの日も黙って串に火を通していた。


2串目を噛み締め、あの日の山崎の笑顔を思い出したところで、カウンターに置いたスマホが振動する。


「大将、悪いな。ちょっと電話してくる」


そう言って、返事を待たずに外へ出る。


「おう、どうした。同窓会はもうお開きか? たまの休みだからゆっくり2次会でも楽しめ……」


「真田さん、今どこですか?」


「うん? 俺なら鳥平だ」


「見てほしい画像があります。今、送ります」


「わかった」


スマホを耳から離して送られてきた画像を確認する。スピーカーには繋がないので、また耳につける。


「この画像はどうした?」


「友人が掲示板で依頼されて画像処理を施したものです」


「いつだ?」


「4月ごろと、言っています」


「4月か……」


「音声は元から入っていないそうです。画質もかなり落ちています。酒井のところに回ってきた時点で、すでにサイズが縮小されていたと」


「要するに?」


「1次データではありません」


この画像を手にした時の佐伯の心が、見えた気がした。それは実況見分調書には記されていない、彼にとっての真実。彼はそれを信じて、行動に出たのか。


「それでも、誰だかわからなかったのか」


被害者たちの顔が浮かぶ。


もしそうなら――それを確かめさせる前に、止めなければならない、そう判断した。他に選べる道は、もう残っていなかった。


「充分休めたな? 明日は1時間早く来い。上に上げる資料作りを頼む」


「わかりました。では、明日」


通話を切り店に戻る。慌てて署に戻ったところで状況は変わらない。今できることは飲みすぎないことだけだ。


今川が送ってよこした動画を、もう一度再生してみる。赤信号で飛び出し、トラックにはねられる。調書の内容と一致している。問題は動画が開始してすぐ、走り出した子供が何か拾っているように見えた。誰かの落とし物だとしたら、その人物を追ったということか。


佐伯が運転手を対象にしていないことがなんとなくわかった。きっと、彼にとっては運転手も被害者だという認識なのだろう。


そして、4人の男が写る画像。右端が池田、隣が加藤、そして小西。一番左の男は我々が知らない男だ。


佐伯もまだ見つけていないのか、あるいはすでに……。


状況から考えて、今川の友人が画像を渡した相手は佐伯で間違いない。佐伯優也の事故現場にいた男たちのうち、3人はすでに死んでいる。これが偶然であるはずがなかった。


これも状況証拠でしかないが、積み上げてきた証拠の全てが佐伯辰雄に繋がる。――あの横断歩道とイートイン。


事故と事件の因果関係は明白だった。これほど明確な線があるなら、動機は復讐以外にありえない。佐伯の息子は、偶然ではなく、この4人の誰かの行動が引き金で死んだ──そう佐伯は判断したのだ。


スマホの連絡先からめったに掛けない刑事課長の番号を探す。


「課長、夜分すみません。真田です。ええ、例の件でぜひ、お耳に入れておきたい事が……」


翌朝、1時間前に署に着いたが、今川はまだ来ていなかった。自主的に署に早く来てしまっただけなので、労働時間でもないし、拘束時間でもない。


所轄の刑事課長には下話をしてある。今川に資料を作らせたら、課長から特捜本部長に意見具申をしてもらう。


本部長は捜査に進展がないのできっと飛びつくだろう。連日県警記者クラブから突き上げられているから、この新情報を得意げに語る顔も想像できる。


俺が直談判しても事態は動くだろう。だが、それでは刑事課長の顔が立たないし、本部長も所轄の捜査員風情が方針に楯突くのかとヘソを曲げる可能性もある。


遠回りなようだが、これが最短で丸く収まる。捜査の主導権も所轄が握ることになる。その結果、事件が解決すれば本部長も出世レースで一歩リードできる。


そんなことを考えているとバインダーを抱えて今川が現れた。


「5分遅刻だ」


「すいません。あれから資料をつくっていたので、遅くなりました。確認してもらえますか?」


狙い通り佐伯を重要参考人として、特捜本部で追うことになった。目標は2つ、佐伯の現在の居場所を突き止めること。


もう1つは最後の1人を佐伯よりも先に特定し、殺害させないことだ。各班にそれぞれ指示が出され、短い打ち合わせのあと署から飛び出していく。


「令状が出たら区役所ですね」


「ああ、今川。お前が佐伯だとしたら、あの画像を見て何をする?」


「わかりません。真田さんならどうしますか?」


「俺なら、即全員殺すとは思わん。それよりもまず、息子がなぜ死ぬことになったのか、その本当の理由を問い詰める。そのために一番手っ取り早いのは、警察を動かすことだ」


実況見分資料には被害者が飛び出した理由は不明とあった。裁判では石橋の前方不注意と回避可能かどうかが争われた。


佐伯はどう思ったのだろう。何年も経ってから息子の死に引き戻されて、あの画像に出会った時に何をする。


俺なら、警察に突きつける。


あなたたちが見逃した本当の悪がここに映っている。なぜ、この男たちが裁かれず、今も普通に暮らしているのか、と。


「今川、交通課に行くぞ」



「真田、この前は非番で済まなかったな。いれば、役に立てたと思うのだが」


「いや、それはいいんだ。だが、あの電話は何だったんだ?」


「電話……ああ、たいしたことじゃない。ニュースじゃ、さっぱりだったからお前なら何か知ってるかもと思ったのさ」


正面から山崎を見据える。


「それを俺がしゃべると思ったのか?」


「あ、いや、確かにそうだ。忘れてくれ」


「それよりも山崎、春頃、佐伯辰雄がここに来なかったか?」


「佐伯というと?」


俺は今川が作成した資料を見せる。


「3年前の事故の被害者家族か。事故当時は何度か聴取したが、あの頃には来てないな」


「そうか。他の者が対応してるかもしれない。交通課で確認してもらえないか? 日報に残ってるかもしれないし」


「わかった。調べて結果を伝える」


「ああ、頼む」


どうも解せない。あの画像を手に入れたら、まずは警察に来てるはずだ。もう一度、捜査してくれと、俺ならそうする。


「何か警察に来られない理由があったのか、あるいは自力で解決できる自信があったのか、それとも……」


そこで思考を打ち切った。本部で令状を受け取って区役所。やることは山積みだ、俺は釈然としないまま交通課を後にした。



「佐伯」と表示されたディスプレイを見つめる。発信することは可能なので、彼のスマホはまだ生きているはずだった。


何度もスマホに連絡を試みたが、ついに一度も繋がることはなかった。ショートメールで出頭を促してみたりもしたが、全く反応はなかった。


あの日、佐伯のすがるような目が忘れられない。


警察官として、私の判断は間違ってはいなかった。それは今でもそう思う。しかし、結果として佐伯を凶行に走らせてしまった。


警察の常識からしたら、誰でもああするしかなかった。しかし、警察官ではない1人の人として、それでも正しいと言い切れるか。


誰にも言い出せないまま3人が殺され、ついに佐伯辰雄が「重要参考人」として捜査線上に上がってしまった。


佐伯を止めることはできなかった。真田のことだ、近いうちに日報の記録が消えていることにも気がつくだろう。私はどうするべきなのか、にわかにはいい案が浮かばなかった。

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