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魔法の使用には神様の許可が必要です  作者: 申請堂
序章 トワル 夜明けまでの申請

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第6話 どの状態へ戻す?

序章(7話)までは1日3回(12時、18時、6時)に投稿して、それ以降は毎日12時に投稿します。

水路は、そこで終わっていた。


床の銀の線が途切れた先に、川のようなものが横たわっていた。通路を横切るように延びて、左右の端は暗がりに消えている。向こうのふちまでは、大人が三、四人、縦に並んで寝ころべるほどあった。流れるはずの光が、曇った水晶のように固まって、表面に細かいひびが走っている。低い音は、その奥から聞こえた。詰まった管に、無理やり水を押し込んでいるような音だった。


町の灯りも結界も、この流れからマナを汲んでいる。


「……ここです」


ネイラが流量計を持ち上げた。針は、ほとんど底に沈んでいる。


こちら側のふちに沿って、腰の高さまで石が積まれていた。水路の石積みと同じ、一つずつ手で据えた石だ。歩いてきた床の銀の線は、途切れる手前で一本の太い溝にまとまり、岸の石積みの一か所へ流れこんでいた。ひびの始まりは、その一か所の石だった。そこから岸に沿って、細いひびが隣の石へ、また隣の石へと伸びている。レトは膝をつき、槌を抜きかけてやめた。先に、手のひらを当てた。


冷たかった。それから、重かった。


手の下の石が、何かを支えて、内側から割れかけていた。叩かなくても分かった。申請書には、一度も書けなかった手ざわりだった。


「……ミレア」


書類鞄を抱えたミレアが、横にしゃがんだ。レトは石から手を離せないまま言った。


「水路の石と同じだ。俺がずっと直したかったものじゃん」


ミレアは、書類鞄の留め金をぱちんと外した。丸眼鏡に、ひびの走る光が映っていた。


うしろで、サカドが懐中時計の蓋を開け、すぐに閉じた。流量計の針は、さっきより下がっている。柵の向こうでは、泥獣(でいじゅう)がまだ寄ってきているはずだった。


レトは、石に当てた自分の左手を見た。指先が細かく震えていた。


「……怖い」


思ったより、かすれた声になった。


ガルムが、担架の柄の棒を壁に立てかけ、鼻から短く息を吐いて、レトの横に膝をついた。ランタンの明かりが、ガルムの左手の古い傷を照らした。


「死ぬのが怖いって言えるやつは、まだ大丈夫だ。……限界は、わしが決める」


太い指が、レトの左の手首に乗った。


ネイラは台帳を開いた。


「使うマナの上限を、出します」


それだけ言って、流量計の針と台帳の数字を見比べはじめた。一つの数字の上で指が止まり、列の頭からもう一度たどり直して、同じ所でまた止まった。サカドが、ネイラの横顔を見た。


ミレアが書類鞄から控えを抜き出した。地上で書いて、紙の鳥に持たせた申請の控えだ。膝の上に広げ、ペンの蓋を口でくわえて外す。


「言いなさい。何を」

「これだよ。この固まってるやつ」

「『これ』は書けないの」

「じゃあ、なんて書くんだよ」

「第七地域龍脈(りゅうみゃく)の閉塞点」ミレアのペンは、もう動いていた。「次。どの状態から」


レトは石の表面を指でなぞった。ひびは表だけではなかった。指の腹に、奥まで割れが続いている手ざわりが返ってくる。


「固まってる。叩いても鳴らない。ひびは中まで入ってる」

「硬直してひび割れた状態。次、どの範囲で」

「こっから、あの辺まで」

「『あの辺』は範囲じゃないの!」


声が地下に跳ね返った。手首を押さえたまま、ガルムが喉の奥で笑った。


レトは筋に沿って手を滑らせた。割れた石が、一つずつ手のひらの下を通っていく。四つ、五つ。割れが途切れて、ただの冷たい石に戻った所で、手が止まった。


「割れた石の筋の、端まで」

「閉塞点から、割れた石の筋の端まで」ミレアのペンが走った。「……書ける」


ペン先が、一つ飛ばした欄の上に戻った。


そこには、地上でミレアが書いた一行がある。振興事業の竣工時の状態。


レトがその行を見ているのに気づいて、ミレアが先に言った。


「どの状態へ。……規則では、時点を書く」


言い返す言葉を、レトはまだ持っていなかった。


サカドは図面筒を両手で抱えたまま、閉塞点の光を見ていた。


「……竣工の時点に戻したら、一本に寄せたあの線に戻るだけだ。また、ここで詰まる」


ミレアのペンが止まった。


いつもなら、ここで三倍の言葉が返ってくる。ミレアの指が、眼鏡のつるを押さえた。


「……」


それだけだった。


低い音が続いていた。針が、また少し下がった。


時点じゃないなら、何を書けばいい。


レトは、もう一度石に手を当てた。同じ重さが、手のひらに返ってきた。


「……無理が、かかってる。一つの石に、全部」


手を、隣の石へずらした。軽かった。その隣も、軽い。重さは、割れた一つにだけ乗っていた。


耳の奥で、昼の水路で聞いた親父の声がした。


「隣の石に、無理させてる」

「……どの石にも、無理がかかってない状態」


ミレアはペンを浮かせたまま、レトの顔を見た。


それから、レトは作業着の内側から、親父の古い申請書の控えを取り出した。工房から持ち出してから、初めて広げた。


様式は、今と同じだった。隅の日付は、二十五年前。何を、の欄に振興会館の地下とある。どの状態へ、の欄には、節の太い指で一字ずつ押しつけたような字で、こうあった。


石に、無理をさせていない状態。


「親父は、二十五年前にもう見つけてた」


ミレアが紙を受け取った。眼鏡の奥で、目がその一行を何度も往復する。それから自分の控えに向き直り、「どの状態へ」の行に、ペンで一本、線を引いた。その下に、レトの言った一行を書いた。


サカドが懐中時計の蓋を開けた。今度は、閉じなかった。秒針と流量計の針を見比べている。


「あと、いくらもない。針が底に着くな」


ミレアが立ち上がった。


「申請者、レト・ハイネ。特定修繕(とくていしゅうぜん)。何を、第七地域龍脈の閉塞点。どの状態から、硬直してひび割れた状態」


レトは親父の紙を見なかった。


「どの状態へ。……どの石にも、無理がかかっていない状態」

「どの範囲で、閉塞点から、割れた石の筋の端まで」


ネイラは台帳に目を落とし、一拍おいてから、いつもの平らな声で続けた。


「使うマナ、八百万マナまで。詰まりを抜くのに要る量です」


喉が渇いていた。石に当てた左手が、自分のものではないみたいに震えている。その手首の上で、ガルムの指が少しだけ強くなった。


口を開くと、声がかすれた。


『事前着手(じぜんちゃくしゅ)します』


一拍、何も起きなかった。


それから、左手の甲が焼けるように痛んだ。皮膚の上に、判子を押したような印が浮かんでいる。


ランタンの火が、風もないのに細くまっすぐ立った。天井から砂がひと筋こぼれ、足の下の石が、ほんのわずかに沈んだ。地下ぜんぶが、息をひそめて何かを待っていた。


石に当てたレトの手の横に、岩の手が置かれた。


人の頭より大きな手だった。腕をたどって見上げると、天井に届きそうな岩の体に、濃紺の作業羽織が一枚ひっかけてある。首から、巻尺が下がっていた。


岩の手が腰のハンマーを抜き、すぐ横の石を、軽く叩いた。


コン、と鳴った。岩の頭が、少し傾いた。音を聞いている。


「……コクド様」


ミレアの声は、ほとんど息だった。


レトが神様を見るのは、生まれて初めてだった。申請書の向こうにしかいないはずの相手が、手の届く所で石を叩いている。レトの手首をつかむガルムの指も、こわばっていた。


「図面を見せろ」


サカドが図面筒の蓋を開け、一度取り落としかけながら写しを差し出した。岩の指は、彫刻刀みたいに細い。図面をめくる指が、一枚の上で長く止まった。


「そのマナはどこから持ってくるのです?」


うしろから、声がした。


全員が振り向いた。通路の口に、もう一柱が立っていた。銀白の髪をきっちり結い、白と黒の端正な長衣をまとっている。左の目が金、右の目が青だった。


「……ザイム様」


ネイラの声だった。ザイムは天上府(てんじょうふ)で、マナの出し入れを受け持つ女神だ。金と青の目が、五人を順に見た。


レトもミレアも、ガルムもサカドも、台帳を開いたネイラを見た。


ネイラは流量計の針に目を落とした。


「浄水と治癒と結界には、手をつけません。町の灯りと電信と工房を止めて、七百万。残りの百万は、この町にはありません」


ザイムが言った。


「天税(てんぜい)の備蓄は、世界じゅうの非常の時のために積んであるのです。この区域のためだけのものではありません」


ネイラは、黙ってうなずいた。


ザイムは、固まった龍脈へ目を移した。


「百万を流して、十年先にまた、ここが詰まるのなら。それは、捨てるのと同じではありませんか?」ザイムの声は静かだった。「また詰まらないと、どなたが言えるのです?」


ネイラの指が、台帳の最後の行の下で止まった。十年先の行は、どこにもない。


サカドは図面筒を抱えたまま口を開きかけ、閉じた。


左手の甲の印が、じわりと熱を増した。手首の上で、ガルムの指が脈を数えている。


レトは石から手を離さなかった。手のひらの下の石は、まだ一つで全部を受けていた。


「……一つの石に、寄せない」


声がかすれた。かまわず続けた。


「全部の石で、持たせる。……そう、書いた」


ミレアが、手にした控えをザイムのほうへ向けた。ミレアの指は、線を引いた行の下の、新しい一行を押さえていた。


「どの状態へ」


コクドが、ミレアの控えをのぞきこんだ。


「……そう積めば、百年もつ」


ザイムはその一行を読むと、三歩こちらへ歩いてきて、ネイラの台帳に手を伸ばした。白い指が、列の頭から数字をたどっていく。さっきネイラがしたのと同じ所で、指が止まった。


「この区域の人口は」

「二万七千です」

「……二万七千。捨てる数では、ありませんね」


その目が、台帳からネイラへ上がった。ネイラは目をそらさなかった。ザイムは五人に向き直った。


「残りの百万は、天税の備蓄から出します」


ネイラが聞き返した。


「……よろしいのですか」

「このときのために、積んできたのです」


コクドが、図面を閉じた。


「石は、我輩(わがはい)が見る」

「流れは、わたくしが」


協議は、それで終わった。二柱の神は並んで、止まった龍脈を見下ろした。


コクドが、ミレアの手から親父の紙を取った。細い指が一行をなぞった。


「……現場の言葉だ」


手のひらの下で、重さが動いた。


一つの石にのしかかっていたものが、隣の石へ、その隣の石へ、少しずつ分かれていく。割れ目の奥で、固まっていた光がほどけはじめた。


左手の甲が熱くなった。印が手首を越え、腕のほうへ這い上がってくる。指を曲げようとすると、握りが途中で抜けた。槌を握るときの、最後のひと締めが入らない。


手首の上のガルムの指は、動かなかった。流量計の針が、上がりはじめていた。


曇った水晶が、端から澄んでいく。ひびの奥を、光が走った。直した水路に水が戻るときと、同じ音がした。


まだいける、と手が言っていた。もう少し流せば、筋の端の石まで一度に……


ガルムが、黙ってネイラのほうへ顔を向けた。


針は、台帳の八百万のすぐ手前にあった。ネイラは流量計を握りしめたまま、顔を上げて言った。


「……もう、誰も置いてかん。レト、止めて」


知らない島の訛りだった。レトは、止めた。


左腕が重くて上がらなかった。右手で左の肘をつかみ、石から引き剥がした。


手が離れても、光は止まらなかった。固まっていた川が、細く、静かに流れている。


コクドがもう一度だけ石を叩き、音を聞いた。ザイムは流れを見ている。どちらも、許可するとは言わなかった。気がつくと、二柱の姿はどこにもなかった。


流れる音だけが残った。


「……ネイラさん。針は……」

「八百万。超えていません」


ネイラは流量計を胸に戻した。ミレアは控えの余白に何かを書きつけていて、その字がひどく曲がっていた。


「……通った、のか?」

「……まだ、審査中よ」


ミレアは顔を上げなかった。


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