第25話 作成者の欄
窓から斜めに入った光の中で、ミレアは配置の図を膝の上に広げ直した。インクで汚れた指が、四角い区画を一つずつたどっていく。
「一階が受付と事務所と広間。地下が旧水路と新水路と、陣の区画。区画の番号は台帳の地番と合ってるし、縮尺も入ってる。建てたときの配置の図として、このまま添えられる。メイ・エオカさんの寸法と並べれば対照表が作れて、対照表ができれば届出が……」
そこで息が切れて、ミレアは一度だけ肩を上下させた。
「……出せるわよ」
「お、笑った」
「笑ってない」
ミレアは眼鏡を押し上げたが、口の端はまだ少し上がっていた。それから、咳払いを一つした。
「図面は、誰が引いたかまで見るの。作成者の欄が空いてたら、受付で突き返されるんだから」
配置の図の下に重ねてあった完成図面を抜き出して、その上に折り目の端まで広げた。
右下の隅に、四角く区切った作成者の欄があった。刷られた商会の名前の下に、ペンの署名が入っている。
サカド・カナール。
紙の上の字のほうが、今より少し右上がりだった。
サカドはチョークを持った手を、膝に置いたままだった。
「……それを書いたのは、二十五のときだ」
誰も、返事をしなかった。戸口のヨルンが、ちらりとこちらを振り返っただけだった。
レトは、ミレアの膝の上の完成図面をのぞきこんだ。
図面の陣は、元の計画どおりの細かい網の目になって、地下の床を隙間なく埋めていた。泥獣が出たあの夜に、レトが駆け抜けた地下の床では、銀の線は歩幅で跨げるほど間が空いていた。
指で、図面の線を奥へたどった。地下の突き当たりで、本物の線は一本に寄せられ、そこで龍脈が詰まっていた。親父を石の下敷きにした、あの詰まりだ。図面のその場所では、線はほかと同じに、きちんと網の目に分かれていた。
図面の端に置いた左手に、力がこもった。紙が、指の下でくしゃりと鳴った。
「……現物は図面と違うのに、簡単にして造ったのかよ」
レトはサカドを見た。サカドは、図面から目をそらさなかった。
「……知ってた」
いつもの、番号を振るときの声より、ずっと低かった。
「現物と違うのを知ってて、署名した。簡単なほうに変えたのは俺じゃない。変えた届けは、分科会が出すもんだと思ってた」
指の中で、チョークの先がぽきりと折れた。
「……それでも、名前を書いたのは俺だ」
レトは、なんで、と言いかけて、やめた。図面の端から左手を離すと、紙に指の形の皺が残っていた。
ミレアは何も言わずに書類鞄から帳面を出し、図面の皺のついた所を指で伸ばした。完成図面の作成者の欄から、第四期の議事の綴りの(改)の一枚まで、一行も飛ばさずに写していった。
ペン先の音だけが、倉庫の中で続いた。その手もとを見ながら、サカドがまた口を開いた。
「商会はあのあと、借りたマナで機械を買い足した。そこへ魔泡崩壊が来た。……全部借りて、全部なくした」
サカドは短くなったチョークを持ち直し、七つ目の箱の蓋に七と書いた。遠くで、鉱山の鐘が鳴った。ヨルンが柱から背を離して、「鐘だ」とだけ言った。
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宿の食堂は、仕事を上がった坑夫たちで埋まっていた。卓のあいだを、おかみが煮込みの皿を両手に持って抜けていく。酒とランプの煤のにおいが、天井の梁の下にこもっていた。
おかみはレトの前に皿を置くと、聞かれる前に言った。
「神様の手紙なら、今日は来てないよ」
「聞いてないって」
「顔が聞いてたよ」
同じ卓の窓ぎわで、ミレアは皿を脇へ押しやり、昼の写しを広げてペンを動かしていた。焼き菓子の紙袋は、口を折ったまま書類鞄の上に載っている。
サカドは品書きも見ずに、いちばん安い酒を頼んだ。駅前で芋の値段を褒めていたおっさんが、今夜はどの値段も口にしない。届いた杯にも、ほとんど口をつけていなかった。
レトは匙を持ったまま、ミレアの帳面をのぞいた。完成図面の作成者の欄も、(改)の一枚も、昼より丁寧な字で、もう一度並んでいる。
「それ、届出に付けるのかよ」
「付けない。(改)のいきさつは、財産処分の届出には要らないの」
「じゃあ、なんで写すんだよ。二回も」
ミレアは、ペン先をインク壺のふちで一度しごいた。
「写しとかないと、また誰かの倉庫の、七つ目の箱の底に戻るでしょ」
それきり、ミレアは顔を上げなかった。
レトは煮込みをかきこんで、帰り道から続けていた話に戻った。
「坑道の奥は掘りかけなのに、入口の柱の札には、完了って焼いてあるんだ」
「それ、三回目」
「三回言っても足りないだろ」
匙の先で、皿の縁をたたいた。
「第四期は、書類の上で終わらされたんだ」
「声、大きい」
ミレアがペンを止めずに言ったとき、隣の卓で椅子がきしんだ。
振り向いたのは、髭に石の粉をつけたままの年寄りの坑夫だった。首まで酒で赤くなって、節くれだった手に杯を握っている。
「あれが悪かったって?」
食堂のざわめきが、少し遠くなった。年寄りは杯を卓に置いた。
「うちは一年目の工事で稼いで、家を建てたんだ。町に道も通った」
窓の外を、顎でしゃくった。駅から宿まで上ってくる、石を敷いた坂のほうだった。同じ卓の男たちが、杯を持ち上げた。
「道ができるまでは、素石を背負って峠を越えたんだ。あんたくらいの歳からな」
年寄りは、太い指でレトを指さした。
「あれで食えるようになったんだ」
「でも、奥は……」
言いかけたレトに、年寄りは白い眉を上げた。
「奥がどうした」
札を掛けずに坑道へ入っていく男たちの、日に焼けていない顔が浮かんだ。名簿のどこにも名前のない顔だ。こっちの名前で呼んでくれ、と言ったヨルンの声も、まだ耳に残っている。その隣に、目の前の年寄りの赤い顔が並んだ。
どっちの顔に向けても、返す言葉が見つからなかった。年寄りはしばらくレトを見ていたが、やがて鼻を鳴らして、自分の卓に向き直った。
安い酒のにおいの中で、サカドが杯を置いて立ち上がった。椅子を卓の下へ戻しかけて、その手が止まった。
振り返った顔は、年寄りではなく、レトのほうを向いていた。
「全部が悪かったわけじゃない。明日、数字を見せる。当時のな」
本日の受理
申請:★による先払い
申請者:安い酒のにおいの中に、まだ座っているあなた
結果:受理(理由:お代はマナではなく、★でお受けします)




