第24話 七つ目の箱
振興会館の地下の古い刺激陣をやめるには、その前に、ケイザーへ財産処分の届出を出さなければならない。それに添える配置の図は、まだ見つかっていなかった。
組の事務所の棚を、勘定係がもう一度端から開けていった。綴りを抜いては戻し、抜いては戻す。最初に頼んだときと同じ手つきだった。
棚の段には、紙の札が貼ってある。「坑夫」「日当」「雑」「雑 二」。いちばん下の段だけ、札に「その他」とあった。
レトは横目でミレアを見た。
「ほら。その他って書く人、ここにもいるだろ」
「レトの申請と一緒にしないで。ここは棚でしょ」
勘定係が、その他の段から顔を上げて、すまなそうに首を振った。
「やっぱり、第三期のはありませんねえ。古いのは鉱山のほうの倉庫へ回しちまうんで」
「その倉庫は、どちらに」
ミレアが聞くと、男は首をかしげた。
「さあ。倉庫は鉱山の持ち物なんで。……そんなに大事な図面なんで?」
「届出に要ります。図がなければ届出が出せません。届出が出せなければ、その先の手続きが一つも進みません。一つも進まなければ……」
男の目が、だんだん遠くなっていった。ミレアは眼鏡を押し上げて、そこで口を閉じた。
「……要るんです。とても」
「はあ。でも倉庫は、十や二十じゃききませんよ。掘った石を置くのも倉庫ですから」
図が、鉱山のどこかの倉庫の、どこかの箱に入っている。分かっているのは、そこまでだった。
レトは天井を仰いだ。
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昼の休みに、坑道の入口でヨルンをつかまえた。
ヨルンは番の小屋の陰に腰を下ろして、黒パンをちぎっていた。うしろの男たちは、レトの顔を見ても、ゆうべほどは目をそらさなかった。いちばん若い男だけが、レトとうしろのミレアとサカドを見比べて、パンを持ったまま半歩下がった。
「古い書類?」
ヨルンはパンを口に入れたまま、しばらく考えた。
「振興のころのなら、鉱山の事務所の裏の倉庫だ。崩れたあと事務所を片づけたときに、俺らが運んだ。箱ごとな」
「中は見た?」
「字は読まん。重かったのは覚えてる」
サカドが一歩前に出た。
「箱は、いくつだ」
「数えとらん」
「中身の順番は」
「置けた所に置いた」
サカドは次の問いを飲みこんで、懐の上からチョークを押さえた。
ヨルンはパンの残りを口に押しこみ、膝の粉を払って立ち上がった。
「鐘が鳴るまでなら、案内する」
鉱山の事務所の裏の倉庫は、板壁の小屋だった。錠は錆びて、鍵を回しても動かない。ヨルンが扉に肩を当てて一度押すと、蝶番ごと軋んで開いた。中は暗く、木箱が壁ぎわに積んであって、息を吸うと埃が喉に貼りついた。
サカドが懐からチョークを出した。
「開けた箱から番号を振る。中身は一冊ずつ表紙を読み上げてくれ。二度開けるのは無駄だからな」
「カナールさん。番号より先に、窓を開けてください」
ミレアが袖で口を押さえて咳きこんだ。レトが板戸を押し上げると、上の蝶番が外れて、戸が斜めにぶら下がった。レトの手が、勝手に蝶番の釘へ伸びた。
「直さないで」
「……直してない。見てただけだろ」
「指が釘を回してたでしょ」
差しこんだ光の中で、埃がゆっくり回っていた。
一つ目の箱は選鉱場の日誌で、二つ目は坑夫の日当の帳面だった。サカドが蓋に一、二と書き、レトが表紙を読み上げる。選鉱場日誌、十二冊目。十三冊目。十四冊目。
「全部読むって、これ」
「全部だ」
三つ目から六つ目までは、大魔泡がはじける前の年の出入りの記録が詰まっていた。六つ目を閉めたころには、レトの鼻の頭が黒くなっていて、ミレアがハンカチを差し出した。
七つ目の箱の、いちばん上の綴りを、ミレアが持ち上げた。表紙の埃を指で払うと、字が出てきた。龍脈活性化協議会、振興事業分科会、第四期、議事。振興事業の中身を決めていた、龍活協の分科会の綴りだった。
ミレアは綴りを膝に載せて、頁をめくりはじめた。書類を読むときの、一行も飛ばさない速さだった。レトは横から、のぞけるところだけのぞいた。工事の区間に年度ごとの額、出席した者の名前が続いていて、分かるのは数字が多いということだけだった。
半分ほどめくったところで、ミレアの指が止まった。
計画を書き直した一枚だった。右上の隅に小さな四角い囲みがあって、その中に「(改)」と書いてある。
「振興会館の廊下の絵の隅にあったのと同じ『改』でしょ。分科会だけで変えて、天上府には出してない。神様の台帳じゃ、元の計画のままよ」
その(改)の一枚の真ん中に、ほかより太い字で一行だけ書いてある。第四期は一年目の範囲で完了。
ミレアはその行を指で押さえたまま、戸口に立っていたヨルンを見上げた。
「坑道の奥の、陣が半分のままの所。工事はあそこで止まったんですね」
「ああ。二年目の工事は、あそこで止まったきりだ」
ヨルンはそれだけ言って、外へ目をやった。
レトの頭に、半分だけ据えた陣の先の、岩の割れ目に光っていた小さな綻びが浮かんだ。
「止まったのに、完了なのかよ」
サカドは綴りの上にかがみこんでいた。チョークを持った手が、七と書くはずの箱の蓋の上で止まっていた。返事は、なかなか来なかった。
「補助は後払いだ。終わったと報告しなきゃ、一マナも出ない」
サカドは綴りから目を上げなかった。
「大魔泡がはじけて、借りるマナが止まった。一年目のぶんだけでも回収するには、そこで終わったことにするしかなかった。……あの年は、どこでもやってた」
レトは何か言い返そうとして、やめた。
ミレアが黙って次の頁をめくると、また(改)があった。その頁の事業の名前は、レトの知らない町のものだった。その次の頁にも、またその次にも、同じ小さな囲みが並んでいる。ミレアの指は、どの(改)の上でも止まらずに、紙の端だけを送っていった。
「……ここにも。ここにも」
声は低かった。数えているのか、数えるのをやめたのか、レトには分からなかった。
ミレアは綴りを閉じて、表紙の上に手のひらを一度だけ置いた。
蓋をかぶせる前に、レトは空になりかけた七つ目の箱の縁に手をかけて、何の気なしに傾けた。綴りはもう何冊も残っていないのに、重さが底に寄っている。
レトは、その箱をのぞきこんだ。
底のほうは暗くて見えない。手を入れると、指先に、紙とは違う硬い角が当たった。綴じ紐の結び目だった。引き出すと、細い綴りがもう一冊、ほかの綴りの下敷きになって出てきた。
表紙の字は半分かすれていたが、読めた。振興事業、第三期、実績報告の控え。その下に、もっと小さな字で、水路延伸の見積もりのため、とあった。
「……おっさん。これ」
サカドが顔を上げた。チョークは、まだ手の中だった。
「延ばす見積もりのときに、うちの商会が渡した控えだな」
ミレアが受け取って、綴じ紐をほどいた。いちばん上に、折りたたんだ大きな紙が綴じてある。広げると、振興会館の一階と地下の、四角い区画が並んだ配置の図だった。その下に、もっと線の細かい図面がもう一枚重ねてあって、隅に第三期、完成図面と刷ってあった。
ミレアが、詰めていた息を吐いた。
「……ありました」
サカドは図面のほうへ手を伸ばしかけて、その手をチョークごと膝に戻した。
窓から入った光が、図面の上の埃を照らしていた。七つ目の箱の蓋には、まだ番号が書かれていなかった。




