第19話 整理屋って、何を整理すんだよ
「コル・ネスタさん。番の方は、札も顔も見たことがないそうです。日当は毎日ついています」
組の事務所の台に写しの帳面を広げて、ミレアは印をつけた行を、ペン先で上から順にたたいていった。
「ディト・アーヴェンさん。足を折って郷へ帰られた方です。日当は、今朝の分までついています。様式も、判の位置も、つけた方の筆跡も、ほかの日と同じです。次のカルン・ベスさんも」
「ちょ、ちょっと待ってください」
勘定係は、手ぬぐいで額を拭いた。坑道から戻るなり、ミレアはこの調子で、印のついた名前を一つずつ読み上げている。一人ごとに日付と様式と判の位置まで添えるので、やたらに長い。レトは台の端に肘をついて、男の手ぬぐいがだんだん湿っていくのを眺めていた。
「……そのへんにしとけよ。おっちゃん、もう半分泣いてるだろ」
「泣くのは、名簿の出どころを聞いてからでいいの」
「うちは坑夫を送るのが商売でして、書類のことは、その……」
「書類のことは伺っていません。人のことを伺っています」
「あの、お茶でも……」
「お構いなく」
「もらっとけよ、お茶くらい」
ミレアは帳面から目を上げずに、次の行へペン先を移した。
「この名簿は、どなたがお作りになったんですか」
「作るのはうちですよ。ただ、人のほうは……紹介で」
「どちらの紹介です」
男はしばらく手ぬぐいを握っていたが、ペン先がもう一行下りたのを見て、観念したように息を吐いた。
「駅の裏に、看板を出したばっかりの……整理屋さんで」
ミレアはもう帳面を閉じて、書類鞄を抱えていた。
「来なさい」
「俺もかよ」
「あんたが見積もりを頼まれた坑道でしょ」
メイは坑道に残って、途切れた溝の寸法を取っている。表へ出ると、事務所の前の縁台でそろばんをはじいていたサカドが、何も聞かずに腰を上げてついてきた。
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駅の裏へ回る道で、レトはサカドに聞いた。
「整理屋って、何を整理すんだよ」
「借りマナだな。表向きは」
サカドはそれきり、そろばんを腰に戻して黙った。
駅の裏手は、表のにぎわいが嘘のように静かだった。空の籠が積み上げられ、閉めたままの倉の戸が続く。その突き当たりに、看板が一枚掛かっていた。塗ったばかりのペンキのにおいが、まだ残っている。
借財のご整理 ご相談はお気軽に。
「気軽に、って書いてあるぞ」
「気軽に来る場所じゃないって意味よ」
戸口の前で、サカドが看板を見上げたまま、小声で言った。
「名前を売り買いする商売だ。魔泡崩壊の後始末で、湧いて出た」
レトは聞き返そうとしたが、ミレアがもう戸を開けていた。
中は机も棚も新しく、壁の暦まで今年の刷りだった。サカドは戸口の内側で足を止めて、壁にもたれた。勘定台の奥から、身なりのいい男が笑顔で出てきた。揉み手をする指はつやつやしていて、たこが一つもない。
「これはこれは。どういったご整理で」
ミレアは胸の資格章に指を添えた。
「行政術士のトセラです。坑夫の組の名簿のことで、伺いました」
行政術士と聞いても、男の笑顔は少しも崩れなかった。
「ああ、あの組さんの。ええ、うちでお世話してますよ。どうぞ、ご覧ください」
男は棚から、紐で束ねた証文を下ろして、机の上でほどいた。
「判は全部ご本人のものですよ。名前をお貸しになった方の借りマナは、うちが肩代わりする。名簿に載れない事情のある方には、そのお名前をお世話する。組は名簿の人数ぶん、コーロー様のマナ助成がもらえる」
男は一つ言うごとに指を折り、三本目を折ったところで、手のひらを開いてみせた。
「名前を貸すのも借りるのも、違法じゃありません」
名前一つで、組は助成を取り、整理屋は肩代わりした分を取り戻し、名簿に載れない男は仕事にありつく。一本の釘で三枚の板を留めてるようなもんだ。
うまいこと考えるもんだ、とレトは感心しかけた。誰も損してないだろ、と言いかけて、やめた。
札を掛けずに奥で掘っていた男たちの背中が浮かんだ。日に焼けていない顔のまま、レールの先の暗がりへ消えていったあの男も、きっと誰かの名前で数えられている。
「……借りてるほうの、本当の名前は。どこに書いてあんだよ」
男は、気の毒そうに首を振った。
「どこにも書きませんよ。名簿に載れない事情がおありなんですから。書いたら、お世話した意味がありません」
工具帯の上で、レトの左手が勝手に閉じた。
いつものミレアなら、ここで書類の穴を早口で並べて、相手を黙らせるところだ。
けれど今日のミレアは、何も言わなかった。証文を一枚ずつめくっては、借りマナの額の横に押された判をにらんでいる。朱肉の濃い判もあれば、かすれて二度押し直した判もあった。めくる手が、一度だけ止まった。コル・ネスタ。帳面に印をつけた名前だった。
レトは横から、その判を見た。紙がへこむほど強く押してあった。押した手が、そこで一度止まって、それから体の重さをかけたのが分かる押し方だった。
「おい」
レトは小声で、ミレアの袖を引いた。
「やんないのかよ。いつもの、穴を並べるやつ」
返事はなかった。
整理屋の男は、そのあいだも愛想よくしゃべりつづけた。
「皆さん、助かったとおっしゃいますよ。載れない事情があると、どこも雇ってくれませんからね。お名前一つで、明日から食べていける」
ミレアは最後の一枚までめくると、頭からもう一度めくり直した。インクで汚れた指が、紙の端をつまんだまま白くなっていた。
しまいに、ミレアは束を机へ叩きつけた。乾いた音が、新しい壁に跳ね返った。
「名前は、帳尻を合わせる道具ではありません」
声が震えていた。
整理屋の男は、少しだけ眉を上げた。
「お気持ちは分かりますがね、先生。どの一枚に、不備がございます?」
ミレアの指が眼鏡のつるに伸びて、途中で止まった。答えは出てこなかった。
男は肩をすくめ、証文をそろえて紐をかけ直し、棚へ戻した。
ミレアは口を固く結んだまま、書類鞄を抱えて、先に事務所を出ていった。戸が閉まると、整理屋の男は笑顔のままレトに言った。
「お若い先生ですねえ」
レトが戸口を振り返ると、サカドは壁にもたれたまま、何も言わずに、顎で外を示した。
路地を抜けると、表の通りのにぎわいが戻ってきた。ちょうど着いた軌道車から、包みを背負った男たちが降りてきて、駅の裏のほうへ流れていく。その流れに逆らって、ミレアの紺の長衣が、表の通りをどんどん遠ざかっていった。書類鞄の上で、蜂蜜の焼き菓子の紙袋が揺れていた。
「待てって」
呼んでも、紺の長衣は止まらなかった。レトは人をよけながら小走りで追いついて、その背中に聞いた。
「……ミレア、なんでそこだけ怒るんだ」
ミレアは振り向かずに、足を速めた。
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