第18話 名前のある坑夫
乗り換えた魔導軌道車に半日揺られて川をさかのぼると、山のあいだが急にひらけて、オクロの町に着いた。
駅を出たとたん、音とにおいが押し寄せてきた。選鉱場の槌が、どこかで休みなく鳴っている。駅前の通りには屋台が並び、揚げた芋の油のにおいが風に乗ってくる。道ばたには掘ったばかりの素石が腰の高さまで積まれ、その脇を荷車がひっきりなしに抜けていった。
戸を閉めた店ばかりのトワルとは、逆の町だった。
「……人、多くないか」
「増えてるんだ。掘れるあいだの鉱山町は、景気がいい」
サカドは屋台の値札を一枚ずつ眺めて、満足そうにうなずいた。
「芋が、トワルの倍の値で売れてる。いい町だな」
「値段で褒めるなよ」
サカドはそれから咳払いを一つして、指を二本立てた。
「一つ、控え。二つ、坑道」
「芋の値段のあとで言われてもな」
「坑道の寸法は、測ります」
メイは腰の巻尺を軽くたたくと、素石の山の前で足を止め、積み方をしばらく見てから、山の崩れそうな側をよけて歩きだした。ミレアはいつのまにか屋台で蜂蜜の焼き菓子を買っていて、小さな紙袋を書類鞄の上に乗せている。
「……経費じゃないから」
「聞いてないって」
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組の事務所は、駅から坂を上った所にあった。勘定係は、レトの差し出した手紙を見ると、ああ、と声を上げた。
「ハイネさんとこの。見積もりの坑道なら、ちょうど振興事業の水路を引いた坑道ですよ」
ミレアが一歩前に出た。
「そちらに、振興事業の第三期の実績報告の控えをお預けしていると聞いています。配置の図が添付されたものです。拝見できますか」
男は奥の棚を端から開けていった。綴りを抜いては戻し、抜いては戻して、しまいに埃をかぶった一冊を抱えて戻ってきた。
「第三期のは、見当たりませんねえ。古いのは鉱山の事務所の倉庫へ回しちまうんで。同じ水路のなら、これが」
表紙には、第四期とあった。
ミレアが綴りを開くと、指が一行目から下りていった。水路を坑道の奥まで引いて、刺激陣を据える工事。その最後の欄で、指が止まった。
「……一年目で、完了」
完了の字の横には、検査の印がきちんと押してある。ミレアの声が、少し早くなった。
「検査の印もあります。完了の検査を通して、補助の精算まで済ませた書き方です。様式も、添付の順番も合っています」
「じゃあ、水路はもう流れてるってこと?」
「書類の上では」
勘定係が、申しわけなさそうに頭をかいた。
「うちは坑夫を送るのが商売でして。水路のことは、さっぱり」
サカドが横からのぞきこみ、綴りの日付を一度だけ見た。それから窓の外の選鉱場のほうを向いた。
帰りぎわに、ミレアは坑夫の名簿も写させてほしいと頼んだ。
「坑道に入るなら、中に何人いるのかを知っておきたいので」
勘定係は、なんでまた、という顔をしながら、分厚い名簿を台に置いた。ミレアのペンは、レトが手紙をたたみ直すより早く動きだしていた。
坑道の入口は、山の腹に四角く口を開けていた。左右に太い柱が立ち、右の柱の目の高さに、焼き印の札が打ちつけてある。
振興事業 第四期工事 完了。
その横に、細い釘の並んだ板が下がっていた。坑道に入る者は、ここに自分の名札を掛けていく決まりだという。入口の小屋では、番の年寄りが膝に毛布をかけて座っていて、レトたちに木の札を四枚よこした。
札には、どれも「客」としか書いていなかった。
「……名前、書いてないのかよ」
「客は客だ。出るときに外せ」
レトは「客」を釘に掛けた。
中は、思ったより明るかった。壁がうっすらと青白く光っている。石の中に残ったマナが、にじんでいるらしい。灯りなしで歩けることに驚いて、レトは壁に手のひらを当てた。冷たくて、少し湿っていた。
入って少し行くと、壁ぎわに枕木が積んであった。どれも黒ずんでいる。その脇から、床に溝が一本、奥へ向かって掘ってあった。水路の溝だ。
溝は、すぐに途切れた。掘りかけの土が、溝の端にそのまま盛り上がっている。
メイが巻尺の端を溝の終わりに当て、入口のほうへ延ばしていった。
「溝は、入口から十三メートル三十四センチで終わっています」
ミレアが手帳から顔を上げた。
「陣は、どこにありますか」
メイが溝のまわりを見回した。
「据えた跡がありません」
レトはしゃがんで、溝のへりを指でなぞった。
「鑿の跡が、角のまま残ってる。水が一回でも通ってたら、ここはもっと丸くなるんだよ。こっちの枕木も、黒いのは湿気だ。一度も敷かずに、置いたまんまだ」
途切れた溝の横を、レールが二本、奥の暗がりへ延びていた。こちらは新しく、枕木の木口がまだ白い。
サカドがレールの継ぎ目を靴の先で軽く蹴った。
「掘るほうには、マナがちゃんと出てるな」
レトは、入口の札を振り返った。
「……完了したんじゃなかったのかよ」
ミレアは答えずに、手帳に何か書きつけた。
奥から、つるはしの音が聞こえていた。
完了の札の先で、人が今も掘っている。レールに沿って、壁の光の届く所に男たちの背中が見えた。素石を割っては籠に放りこみ、籠がいっぱいになると、トロッコに空けている。
入口へ戻ると、ミレアは組の事務所で写させてもらった名簿の帳面を開いた。番の年寄りの前にしゃがみ、名前を一つずつ読み上げていく。
「アルベ・トゥース」
「おう。今朝も来た」
年寄りは釘の板のほうへ顎をしゃくった。その名の札が、ちゃんと下がっている。
「ハンス・ローダ」
「来とる。腰が悪いのに、よう来る」
「コル・ネスタ」
年寄りは、少し考えてから首を振った。
「知らん名だな」
ミレアは名簿の上でペンを止め、その名の横に小さく印をつけてから、次の名前を読んだ。
「ディト・アーヴェン」
「そいつは足を折って、郷へ帰った。もう来ん」
ミレアは、その名の横にも印をつけた。年寄りは、来とる、知らん、来とる、と同じ調子で答えていく。
読み上げが二十を過ぎたころ、ミレアは立ち上がって、帳面をレトの鼻先に突き出した。
「このコル・ネスタって人、名簿では毎日入ってることになってる。でも番のおじいさんは、札も顔も見たことないって。名前だけで、ここには来てない人よ」
「近いって。読めないだろ」
レトは帳面を押し返して、印のついた行を数えた。一つではなかった。
「病気で休んでるだけじゃないのか」
「休んでる人の日当まで、毎日つけてあるの」
「……来てないのに、払ってんのかよ」
「払ったことになってるの」
反対に、奥で掘っていた男たちには、札を掛けていない者が何人もいた。
レトは板の札を数え、奥に見えた背中を思い出して数え直した。合わない。札のほうが、ずっと少ない。
「名前だけ来てるやつと、名前なしで来てるやつ、両方いるじゃん」
落盤があったら、奥にまだ人がいると、誰が気づくのか。
親父が石の下になった日を、レトは思い出した。あのとき穴へ下りたのは、親父と作業員が二人だった。誰が下にいるか分かっていたから、全員を出せた。ここで崩れたら、まず見るのはこの板だろう。掛かっていなければ、下には誰もいないことになる。
見積もりの仕事を思い出して、レトは入口の右の柱の前に立った。工具帯から槌を抜いて、柱の根もとを軽く叩いた。
コン、と乾いた音がした。少し上を叩いても、乾いている。
焼き印の札のすぐ下を叩いたとき、音が少しだけ鈍った。
中が湿ってるのか。レトはもう一度叩こうとして、顔を上げた。
坑道の奥から、男が一人歩いてくるところだった。肩に空の籠を担ぎ、札の板の前を素通りして、外へ出ていこうとしている。
目が合った。
日に焼けていない顔だった。青白い壁の光が、頬の片側にだけ当たっている。男はレトの手の槌を見て、それから名札の板を見た。自分の札がないことを、見とがめられたと思ったのかもしれない。
レトは何か聞こうとして、口を開けた。
男は何も言わずに背を向けた。籠を担ぎ直して来た道を戻り、途切れた溝の横を過ぎ、新しいレールの上を歩いて、その先の暗がりへ消えていった。




