第17話 捨てたことだけは、残ってる
第七地域振興公社の窓口には、事務員が一人きりだった。前に来たときと同じ年寄りで、レトたちが入っていくと、読んでいた新聞をたたむのに少し手間取った。
ミレアは財産処分の届出の様式を台に広げ、添付の欄を指でたどっていった。メイの寸法の対照表。サカドの意見書。指が、三つ目で止まった。
「建てたときの配置の図。補助で、何をどこに造ったかを示す図面です。こちらに保管があるはずですが」
事務員は首を横に振った。
「保存の年限が切れまして。だいぶ前に、まとめて捨てました」
「……捨てた」
「年限どおりです」
「捨てたという記録は、ありますか」
「それなら、ございます」
事務員は棚の下から分厚い台帳を引き出し、迷わず一つの頁を開いた。捨てた書類の名前と、捨てた日と、捨てた者の判が、一行ずつきちんと並んでいた。
「……捨てたことだけは、ちゃんと残ってるのかよ」
レトのつぶやきに、事務員はにこりともせず台帳を閉じた。
「それも、年限が来たら捨てます」
ミレアは付箋を一枚はがし、ペン先で小さく「なし」と書いて、欄の横に貼った。
レトは自分の左手を見下ろした。この一枚が出せなければ、財産処分の届出が出せない。十四種類のうちの一つが、いつまでも埋まらない。埋まらなければ、左手の担保も外れない。
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サカドが図面筒の蓋を抜き、ミレアの事務所の机に中身をあけた。黄ばんだ紙が、丸まりぐせのついたまま転がり出る。サカドは一枚ずつ頁の番号を確かめていき、途中で手を止めた。
「……ないな。配置の頁だけ抜けてる」
「抜けてるって、自分の図面だろ」
「若いころの俺に聞いてくれ」
最後の一枚だけ、紙の色が違った。振興会館の地下の水路が描いてあり、その端から、あとで描き足したらしい鉛筆の線が延びていた。線は会館の外へ出て、川をさかのぼるように山のほうへ向かっている。
「第四期だ。この水路を、鉱山町オクロの坑道まで延ばすはずだった」
メイが描き足しの線に巻尺の端を当て、縮尺の目盛りと見比べた。
「線は、途中までです。先は描いてありません」
サカドは鉛筆の線の終わりを、指で一度たたいた。
「延ばす見積もりには、元の水路の寸法が要る。それで第三期の報告の控えを、配置の図ごとオクロへ渡した。残ってるとしたら、あっちだな」
「オクロって、軌道車で半日だろ」
「ほかに当てがあるなら言ってくれ。で、誰が行く?」
サカドがレトを見た。ミレアは、もう手帳を開いていた。
「行きます。配置の図がなければ、財産処分の届出は出せません。届出が出せなければ……」
ミレアは手帳に「オクロ」と書いた。
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レトが工房に帰ると、作業台の上に封書が一通置いてあった。オクロの組からで、宛名は親父だった。坑夫を集めて鉱山へ送る組が、坑道の補強の見積もりを頼んできている。奥まで入って、柱と梁の寸法を測ってほしいという。
手紙の終わりに、二行添えてあった。坑道のいちばん奥は、柵の向こうになっております。杭を打って結界を張ってあるので、冒険者ギルドに登録した方でないと入れません。
「……柵の向こうかよ」
作業台の向こうで、ドーマが鉋を引いていた。崩落で脚を石に挟まれてから、遠出の仕事は断っている。
レトは手紙をたたんだ。どうせ、配置の図を探しにオクロへ行くのだ。
「親父の代わりに、俺が行く」
ドーマは何も言わずに、鉋を一度だけ止めた。それから、また引いた。
レトは手紙を工具帯に差して、ミレアの事務所へ引き返した。発つ前に、廊下の向かいの受付へ、包括許可の十四回目も出しておくつもりだった。
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冒険者ギルドの詰所では、セルマが窓口の机にひとりで座っていた。
ミレアが様式を埋めていった。パーティの欄に、あの夜、地下へ降りた五人。レト、ミレア、ネイラ、サカド、ガルム。ネイラとガルムの判は、ミレアが朝のうちにもらってきていた。寸法を測るメイには同行を頼んで、同行者の欄に名前を書いた。
セルマは様式を端から読み、角の丸い印鑑を出して、保証人の欄に押した。
「会員が六人のとこへ、五人も増えるさね。平均が、だいぶ若返る」
「ギルドに入るのにも、判がいるのかよ。何でもかんでも許可だな」
セルマは、控えを書き写しているミレアのほうを、顎で示した。
「許可のいらんもんも、一つだけあるさね。……惚れるのだけは、神様の許可がいらんさね」
「は?」
ミレアは様式から顔を上げず、眼鏡を指で押し上げた。
それから、セルマは印鑑の朱を指でぬぐいながら言った。
「修繕屋の子が柵の向こうへ入るのは、八つのとき以来さね。あのときは、うちが撃って、ガルムが手当てした」
ミレアがレトを見た。
「……レト、八つで何してたの」
「昔の話だろ」
セルマは印鑑を布にくるんで、引き出しにしまった。
「泣かなかったのは、褒めてやるさね」
「……いちいち言うなよ」
ミレアが、様式の陰で小さく鼻を鳴らした。
「午後は柵さね。撃ち方を見せる」
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町はずれの柵は、石の杭を等しい間を空けて立て、横木を二段渡しただけの、腰の高さの囲いだった。レトが据え直した杭も、その中に並んでいる。その横木の下を、レトはセルマについてくぐり、向こう側へ入った。
腐った土のにおいがした。草の伸びた空き地の奥に、錆びた鉄の枠が半分、土に埋まっている。振興事業の第一期に、試しの刺激陣を据えた跡だった。枠のまわりの地面は、布の端がほつれるように裂けていて、裂け目のへりから細い光の糸が何本も立っていた。
レトは思わず一歩寄った。石垣の割れ目なら、のぞけば奥の深さが分かる。この裂け目は、のぞいても、光の糸が下へ細く延びていくだけで、底が見えなかった。
「寄りなさんな。……綻びさね」
セルマの声で、レトは足を止めた。
そのへりの土が、ぼこりと盛り上がった。泥がしみ出すように寄り集まって、泥獣の形になる。
「綻びからこぼれたマナが、どの神様にも引き取られないまま固まったもんさね」
セルマが、単発の元込め銃をレトに渡した。
「この弾には、届けの文が刻んである」
「届けの文?」
「柵の向こうにいるもんは、見極めなくても魔物ってことになってるのさ。だから届けが通る。当たりゃ、当たった所だけ神様が引き取って、土に返るさね」
レトは、くぐってきた柵を振り返った。
「じゃあ、柵を越えて町のほうへ出てきたら?」
「柵の手前じゃ、ただの鉛玉さ。術士が見極めりゃ、丸ごと神様が引き取るがね」
セルマは、柵に並んだ杭へ目をやった。
「それより、出さんように直して守るのさ。……修繕屋の子の本業さね」
セルマは、弾を一発レトに渡した。
「撃ったら、しゃがんで帳面に付ける」
セルマは膝を折って、帳面を腿に乗せてみせた。七十を過ぎた膝が、少しも鳴らなかった。
レトは弾をこめ、銃身の下に左手を添えた。指が、最後まで回りきらない。狙いをつけるあいだ、銃口が小さく揺れた。
引き金を引いた。弾は泥獣の手前の土をはね上げた。
「しゃがみな」
レトはしゃがんで、セルマの帳面に刻と相手を書き、最後の欄の前で顔を上げた。
「……外れも書くのかよ」
「一発は一発さね」
「この弾、一発いくらすんだよ」
「今のは、修繕屋の子の払いさね」
レトは「外れ」と書いて、工具帯の脇から木の印鑑を出して、押した。
セルマが銃を取り返し、立ったまま一発撃った。泥獣の胴に穴が開き、泥の塊は形をほどいて、ただの土に崩れた。セルマはしゃがんで記帳し、印鑑を押してから、崩れた泥の中に指を入れた。
出てきたのは、親指の先ほどの濁ったかけらだった。
「泥獣の芯さね。所管外結晶っていう。勝手には使えんから、神殿へ届ける。届ければ、報労のマナが少し出るさね」
「届けるって、どこの神殿に」
セルマは、かけらを袋へ入れて口を縛った。
「明日の通り道にあるさね」
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翌朝、レトとミレアとメイ、それにサカドは、トワルから魔導軌道車に乗った。同じ車両の隅に、セルマも座っていた。昨日のかけらを届けるついでだという。
乗り換えの駅を出ると、目の前に大きな建物があった。軌道会社の建てた総合神殿だった。新しい石の壁に、磨いたばかりの真鍮の手すり。入口の案内板には、コクド、コーロー、ケイザーと、神々の名が階ごとに並んでいる。
乗り換えの軌道車が出るまで、まだ間があった。ミレアは書類鞄から、宛先の違う届けを三通抜き出すと、階段を上がっていった。
レトが案内板の字を読み終えるより先に、ミレアは戻ってきた。息も切らしていない。手には、受付の控えが三枚あった。
「……もう全部済んだって?」
「階段を上がって、窓口を三つ回っただけ」
ミレアは控えを書類鞄にしまいながら、少しだけ悔しそうな顔をした。
「トワルだったら、会館と治癒院の隣を行ったり来たりで、半日つぶれてたわよ」
サカドが、吹き抜けの天井を見上げていた。
「便利になる、ってな。昔も同じことを言って建てた」
メイが入口の床に水準器を置いて、気泡をのぞきこんだ。
「床は、水平です。ずれは一ミリもありません」
「今それ測る必要あったか?」
「建ったばかりの建物は、まず床を見ます」
メイは水準器を腰に戻した。
一階の窓口では、セルマが昨日のかけらを差し出していた。窓口の神官が受け取りを書くあいだに、セルマは自分の帳面を開いて、撃った泥獣の数を届けの紙に書き写していく。レトは横からのぞきこんだ。行は、思っていたよりずっと多かった。
セルマは最後の数を書き終えて、ペンを置いた。
「第一期の綻びの縁から湧くのが、このところ多いさね」




