第12話 守ったかどうかは、聞いていません
「チョウセイヲ マテ ゲンドウ ツツシメ」
所長は電報を読み上げると、その紙を、机に広げた綴りのいちばん上に置いた。
配分所の古い石の庁舎の、二階のいちばん奥の部屋だった。窓は閉めきってあって、壁の石に残った昨日の熱がまだ引いていない。長い机の真ん中に所長が座り、端では書記がペンを構えている。机の前にぽつんと置かれた椅子に、ネイラが一人で座っていた。首に下げた真鍮の流量計は、長衣の胸で揺れもしなかった。
王都から戻ってきた所長を、レトは初めて見た。髪の薄くなった年配の男で、上着の肘がてかっている。偉い人というより、窓口に長く座っていた人に見えた。
所長は電報の紙を指で押さえた。
「灯りが消えた夜に、私が王都から打ったものです。課長の手に届いたのは、電信が戻った朝でした」
その一枚なら、レトも知っていた。あの朝、窓口でネイラに見せられた電報だ。
所長は綴りを一枚めくった。
「配分所長のクーネです。配分課長、ネイラ・アデル。本件の代決について、査問を行います。結果によっては、配分課長の職を解きます」
書記のペンが走った。
レトのところにも、きのう呼び出しの紙が来ていた。代決の判が押されたとき、その部屋にいた者として、と書いてあった。それで今、後ろの長椅子に座らされている。隣にはついてきたミレアがいて、長椅子の端には、治癒院から抜けてきた治癒師のガルムが、薬草のにおいのする治癒衣のまま腕を組んでいた。
「後ろの方。ハイネ工房の、レト・ハイネさん」
所長は綴りから目を上げずに呼んだ。
「判が押されたとき、課長の机の前にいましたね」
「……俺は、いた。いました」
書記のペンが、レトの言い直しの分まで律儀に走った。
「記録は、いました、で取ります」
所長が言うと、書記はどこかに一本線を引いた。ミレアが横で、小さく額を押さえた。
「判を押したのは、課長本人でしたか」
「本人だよ。……本人です。俺の目の前で、自分の手で押してた」
「わかりました」
所長はそれだけ書きとめさせて、綴りをめくった。呼ばれた用は、それで済んだらしかった。
「待てと打ちました。その夜のうちに届かなかったのは、あなたが電信を止めたからです」
所長は書類をめくりながら、ネイラに向き直りもせずに続けた。
「灯りも工房も止めて、マナを地下へ回した。誰の判で」
「代決の判です」
ネイラの声は、窓口で数字を読み上げるときと同じだった。
「あの夜、町には二万七千人がいました」
レトの背中が、長椅子の背から浮いた。
親父を後回しにされたとき、レトが配分所の机越しに噛みついた数だった。
椅子の脇に下ろしたネイラの手が、長衣の裾をつまんでいた。その指先が白くなっていた。
所長は書類を一枚めくった。
「二万七千人を守ったかどうかは、聞いていません。その代決が規定上どうだったかを、聞いています」
書記のペンの音だけが続いた。
「……ふざけんなよ」
レトは口の中で言ったつもりだった。所長の目は書類から動かなかったが、声だけがこちらへ来た。
「後ろの方。ここでの発言は、記録されます」
書記が手を止めずに一行書き足し、ミレアの肘がレトの脇腹に入った。端のほうから、ガルムの低い声がした。
「座ってろ、坊主」
立ってないって、と言い返しかけて、レトは自分が長椅子から半分腰を浮かせているのに気づいた。
ネイラはそれきり、その数を口にしなかった。
所長は綴りから一枚抜いて、書記に見えるように机に置いた。
「代決の規定を読みます。所長に連絡がつかず、待てば浄水、治癒、結界のいずれかが保てないときに限り、配分課長が代わって決する。……代決の前の、所長への照会について聞きます」
「三回です。一回目、七時五分。二回目、七時五十分。三回目、八時四十分」
「文面は」
「三回とも同じです。龍脈閉塞、指示を請う」
「返信は」
「ゼロです」
所長は綴りの欄に、小さな印を一つつけた。
「本局へは」
「確認中との返事が、一回です。指示はありませんでした」
「浄水、治癒、結界は」
「三つとも、日没から流入が下がり続けていました。八時四十分の時点で、治癒院は平常の四割です。結界は、夜明けまででした。返信を待てば、間に合いません」
四割、とレトは口の中でくり返した。
治癒院で見た寝台の上の光は、細かった。親父はその光の下にいた。
「電信を止めたのは」
「九時二十分です。止めると打ったあと、判を押し、止めました」
所長が一つ聞くたびに、ネイラは時刻と回数と割合だけを返した。地下で誰が何をしたかは言わず、所長も聞かなかった。
レトは長椅子の端を、指が木に食いこむほどつかんだ。
「休憩します。再開は十五分後」
書記がペンを置いて部屋を出ていっても、ネイラは椅子から立たなかった。小さな手帳を開いて、何かを書きつけている。肩越しに、縦に細かく詰まった行が見えた。
レトは立ちかけて、やめた。ネイラさん、と呼んだところで、そのあとに続ける言葉が見つからなかった。
「なあ」
代わりに、隣のミレアに顔を寄せた。
「これ、ネイラさんが悪いってことになんのかよ。町、助かったじゃん」
「規定どおりなら、ならない」
ミレアは前を向いたまま答えた。
「規定どおりだったかどうかを、いまここで決めてるの。助かったかどうかは、聞かれてないの」
「なんだよ、それ」
ミレアは答えずに、膝の上の書類鞄から用紙を一枚抜いて立ち上がった。ゆうべのうちに書いたらしく、欄はもう埋まっていて、端から付箋が一枚のぞいている。ミレアはそれを持って、まっすぐ長い机の前へ歩いていった。
「行政術士のトセラです。アデル課長の代理人を、申し出ます」
差し出された用紙を、所長は受け取らなかった。一度だけ目を上げて、ミレアの胸の資格章を見た。
「行政術士の代理は、許可の手続きに限ります」
所長の目は、それで書類に戻った。
ミレアは用紙を持ったまま、唇を引き結んだ。いつもならすぐ出てくるはずの言い返しが、出てこなかった。眼鏡は、鼻の上でずれたままだった。
「……受け取りもしないのかよ」
レトは小声で言った。
ネイラのペンは、手帳の上をさっきと同じ速さで動いていた。
ガルムは腕を組んだまま、ネイラの背中を見ていた。
そのとき、長椅子がきしんだ。
ガルムが腕をほどいて、立ち上がっていた。重い足音が、ミレアの後ろまで近づいてきた。
「なら、わしが出る」
ミレアが振り向いたときには、ガルムはもうその横を抜けて、所長の前に立っていた。胸に並んだ二つの資格章のうち、深緑の縁取りが一本多いほうを、太い指でこつんとたたいた。
「治癒院主任、ガルム・オウガ。ネイラ……アデル課長の代理人を、自分が務める」
所長が、今度は書類を机に置いた。
部屋の真ん中の椅子で、ネイラのペンが手帳の上で止まっていた。




