閑話3 売れ残りの串
主神の机には、毎朝、天上府じゅうの報告書が束になって上がってくる。読み終える前に、たいてい昼になる。
その日、主神ソーリエの手を止めたのは、束のいちばん下の報告書の、最後の一行だった。
トワル市の灯火、全区域にて復旧を確認。
読んだとたん、腹が鳴った。トワルの旧市街の市場には、たれを二度づけする串焼きの屋台があったはずだ。前に食べたのがいつだったか、思い出せなかった。
ソーリエは報告書を伏せた。
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昼過ぎの市場は、通りの奥へ行くほど静かだった。
濃い色の上着の、四十がらみの痩せた男が、炭のにおいをたどって通りを歩いていく。黒い髪に、白いものが少し混じっている。振り返る者はいなかった。
串焼きの屋台は、前と同じ角にあった。屋根の布だけが新しくなっている。
「二本ください」
「あいよ」
主人は網の上の串を返しながら、隣の豆売りと話の続きをしていた。
「だから、止めたのは配分所だって。灯りも、電信も、工房のマナも」
「なんでまた」
「知らねえよ。所長が王都から戻ってくるってよ。もう電信で、えらい剣幕だってさ。誰か首が飛ぶんじゃねえか」
豆売りは鼻を鳴らした。
「井戸は止まる、町はずれの柵じゃ泥のやつらが出る。そんな晩に灯りまで消して、何してたんだか」
主人はそれには答えずに、焼けた串を二本、紙にのせて差し出した。
ソーリエは一本目をかじった。たれは前と同じで、甘くて、端が少し焦げていた。
「うまい」
「だろ」
主人は少しだけ胸を張った。
「あの晩も、うちは焼いてたんだ。炭だからな、マナが来なくても火は落ちねえ」
「真っ暗な中で?」
「真っ暗な中で。通りで明るいのは、うちの網だけさ。灯りのない家の連中が、みんな寄ってきてな」
主人は網の端の、黒く冷えた串を箸でつついた。
「あの晩だけだよ、全部売れたのは。ふだんは魔冷えでね、誰も財布を開かねえ。夕方まで串が売れ残る」
ソーリエは二本目を食べ終えて、網の端を指さした。
「それも、一本」
「売れ残りだぞ」
「売れ残りがいい」
主人は妙な顔をして、冷えた串をもう一度網に戻した。
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三本目をかじりながら坂を上ると、大きな建物が見えてきた。
石の階段は立派なのに、二階の窓はどれも板が打ちつけてある。玄関の札には、振興会館とあった。日の当たる石段に、年寄りが一人で腰かけていた。
ソーリエは少し離れて、同じ石段に腰を下ろした。しばらくして、年寄りの目がソーリエの手の串に来た。
「角の屋台のか」
「ええ」
「あそこのたれは、親父の代から変わらん」
年寄りは首を回して、板の打たれた二階の窓を見上げた。
「あの陣が回ってたころはなあ。この石段にも、夜まで人が座ってて……」
続きを待ったが、年寄りはそれきり黙って、膝の上で指を組み直した。
玄関の前の広場では、子どもが三人、地面に棒で線を引いていた。
まっすぐな一本から枝が分かれ、その枝からまた枝が分かれていく。網の目のような線の上に、いちばん小さい子が、焼き菓子の包みの銀紙を細く裂いて並べていった。日が当たると、地面の線が銀色に光った。
「それ、何の遊び?」
「刺激陣ごっこ」
年長の子が、棒を持ったまま答えた。
「刺激陣って?」
「知らない」
子どもはあっさり言って、石段のほうをあごで指した。
「あそこのじいちゃんが描いてくれた」
年寄りは、聞こえないふりをして空を見ていた。
三人は網の目のまんなかに集まり、声をそろえて跳んだ。着地した拍子に風が吹いて、銀紙が一本残らず舞い上がった。子どもたちは叫びながらそれを追いかけて、広場の向こうへ散っていった。
年寄りが、一度だけ笑った。
ソーリエは最後の一切れを食べて、串を紙に包んだ。靴の先に、銀紙が一本ひっかかっていた。
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天上府に戻ると、執務室の前にカンボーラが立っていた。
主神の妻で、神々のあいだの話を、会議より先にまとめてしまう女神だ。
ソーリエの上着を受け取って、袖のあたりにちらりと目をやった。
「トワルの、角の屋台でございますね」
「……なんで分かるの」
「袖に、たれが」
ソーリエは袖を見た。何もついていなかった。
「坂の上の石段にも、お座りになりました」
「誰に聞いたの」
カンボーラは答えずに、執務室に入って上着を掛けた。
「串焼きは二本まででございます」
「三本目は、売れ残りだったんだよ」
「天上府としては、売れ残りも一本と数えると考えております」
ソーリエは何か言いかけて、靴の先の銀紙をつまみ上げた。少し迷ってから、それを、伏せたままの報告書の上に、そっと置いた。
"サカドの診断
診断の対象:天上府の主神
所見:報告書の束のいちばん下の一行で腰を上げて、屋台の主人と石段の年寄りから、紙に載らない話を拾ってきた。自分の足で見に行く主神は、悪くないな。ただ、見に行く口実が串焼きなのは、記録には残せないだろう
処方:神様たちの話が気に入ったら、下の★で教えてくれ。次の話から地上に戻る。どこまで読んだか分からなくならないように、ブックマークを一枚挟んでおくといい"




