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 二週間前は自分が立っていた大広間を、今のアルバートは中二階に張り出したテラスから見下ろしていた。


「……ふん」


 景色は二週間前の舞踏会とさして変わりはない。むしろ招待に応じなかった客が少なからずいたせいで、二週間前よりも貧弱になっていた。広間の装飾や招待客の服装が以前の使い回しというのも、場の貧弱さに拍車をかけている。


 ──せっかくの晴れの場だというのに。


 どいつもこいつももう少しまともな支度ができなかったのかと、高みから人波を見下ろしたアルバートは鼻を鳴らす。


 そんなアルバートの腕に、そっと柔らかな熱が寄り添った。視線をそちらへ向ければ、妖精のごとき繊細な美少女がアルバートを見上げて微笑みを浮かべている。


「アルバート様、どうしたの? そんな険しいお顔をなさって。何だか怖いわ」

「ソフィア」

「私達の婚約披露宴だもの。もっと笑ってちょうだい?」


 柔らかな金色の髪に、透き通った青色の瞳。触れればフッとかき消えてしまいそうなほどに繊細な容貌に反して、打ち解けてみれば中身は中々なお転婆娘。その性格が滲(にじ)み出るような砕けた口調は、いつだってアルバートの心を甘くくすぐっていく。


 場の全てが凡庸な中、アルバートに寄り添うソフィアだけが今日も完璧だった。柔らかな緑色のドレスはソフィアの妖精のような美しさによく似合っているし、ドレスに併(あわ)せて揃えられた装飾もよく映えている。今日のソフィアの装いは、まるで野で遊ぶ妖精のように可憐だった。


 ──さすが僕のソフィアだ。


 他の有象無象とはデキが違う。これだけ完璧な装いをこの短時間で揃えることなど、前婚約者であるレティシアにはできなかっただろう。


 ──そもそもレティシアの装いは、いつでもどこでも厳(いかめ)しくて好きじゃなかったんだ。


 不意に思い出してしまった前婚約者の姿に、アルバートは思いっきり眉間にシワを寄せる。


 思えば、本当に可愛らしくない女だった。


 アルバートより身長が高かったせいでダンスでペアを組んでもまったくサマにならなかったし、下手に剣の腕があったせいか、アルバートがエスコートをしていてもなぜかいつもアルバート側がエスコートされているかのような雰囲気があった。


 口を開けば話題はいつも国政に関わることばかりで、流行りを取り入れた面白い話題はおろか、愛の言葉のひとつまともに口にできない。そうでありながらアルバートに賢(さか)しらな口を利き、アルバートの側近達と一緒になって話題についていけないアルバートを嘲(あざ)笑(わら)っていた。


 服装も規定をカッチカチに守っただけの面白みもない古臭いもので、愛想笑いもしなければ、アルバートを立てることもしない。勉学でも剣の腕でも社交でも、レティシアが隣にいるといつも勝手に主役の座はレティシアの方へ移っていた。


 あんなのを隣に置いて一生を過ごせなど、どんな拷問かと何度思ったか分からない。事あるごとに投げかけられた『レティシア嬢が妃になってくだされば、殿下の御代は安泰ですね』という言葉は、間違いなくアルバートに対する侮辱だった。


 ──だがもうそんな目障りな女はどこにもいない!


 ソフィアに出会って、アルバートの世界は変わった。文字通り、世界に色がついたような心地がした。


 ソフィアが紹介してくれた『お友達』は、皆、側近達よりもアルバートの話を親身になって聞いてくれた。『分かりますよ、殿下。お辛かったでしょう』『我々は殿下の味方ですよ』と、事あるごとにアルバートを鼓舞してくれた。


 固いことしか話さず、事あるごとに頭ごなしに意見してくる側近達よりも、ソフィアの『お友達』の方がずっとずっと話が合った。『彼らこそが側近であれば良かったのに』とこぼせば、『あら、できますよ?』とソフィアが力を貸してくれた。


【だって、貴方こそが、アレスティア王国の次の王ですもの】


 ソフィアがアルバートの耳元でそう囁(ささや)いたのは、どこの寝台の中でのことだっただろうか。


【レティシア・バートネットよりも、貴方を囲う側近どもよりも、貴方の方が握っている権力は上。貴方が命じれば、彼らは従うしかない。……違う?】


 ──その通りだ。


 実際、そうなった。目障りなレティシアも、側近どもも、もうアルバートには近付けない。全員まとめて遠くへ追いやってやった。


 今宵、この場でアルバートとソフィアの婚約を大々的に宣言すれば、実際の手続きがどうであれ、周辺各国はソフィアこそがアルバートの妃であると認識するだろう。一度公示してしまったものを撤回することは国王であっても難しい。外堀さえ埋めてやれば、あとは『お友達』がどうとでもしてくれる。


 ──まぁ、その場をレティシアにも見せつけてやれば、あれの鼻っ柱も折れるだろう。


 ずっとずっと自分を下に見てきたレティシアを、今日こそアルバートが上から思いっきり見下してやれる。


 前回、この場でレティシアに婚約破棄を突きつけてやった時、レティシアの身柄はアナスタシアによって保護された。


 その後もレティシアはアナスタシアのところに身を寄せているらしいが、アナスタシアは積極的に国政には絡んでこない。確かに聖女としての権力は強いが、アルバートに言わせればただの引きこもりだ。修道院に入るのも、アナスタシアの側仕えになるのも、境遇としては大して変わりはないだろう。


 ──『慕っていた』だの、『伴侶として』だのと言っていたが、どうせあの場を収めるための芝居だろうしな。


『聖女』から見ても、バートネット公爵家が持つ権力は魅力的だったのだろう。あるいはただの個人的な感情から救済に走ったのかもしれない。アナスタシアは昔から妙にレティシアに懐(なつ)いていた。可能性はないとは言えない。


「アルバート様、お時間のようよ」


 そんなアルバートの物思いは、ソフィアの言葉で打ち切られた。チラリと傍らに視線を向ければ、確かに『お友達』の一人が懐中時計を片手にこちらへ目配らせをしている。


 アルバートはその視線にひとつ頷いてから、グルリと階下のホールを見回した。


 大広間の中には、アナスタシアらしき姿も、レティシアらしき姿も見えない。レティシアだけならば凡庸すぎて人波に埋もれてしまっているのかとも思えたが、一際目立つアナスタシアまで見つからないということは、二人揃って欠席したということだろう。


 ──逃げたか。まぁ、いいさ。


 次代の王たるアルバートの誘いを断ったのだ。それだけで十分に処罰の対象にできる。


『後で正式に沙汰を出してやる』と心に決めたアルバートは、第一声を上げるために深く息を吸い込む。


 だがアルバートが声を上げることはできなかった。


「皆……」


 アルバートが声を上げようとした瞬間、まるでタイミングを計っていたかのようにチリンチリンと鈴の音が鳴り響く。細く繊細でありながら空を切り裂くような調べに、場に集った面々はおろか、アルバートまでもが口をつぐんだ。


 その静寂の中に、アルバートよりも階上に控えていた侍従が、高らかに声を張る。


「静粛に。『白銀の聖女』アナスタシア・ヴェルデ・アレスティア猊下、および聖伴レティシア・バートネット様の御入来です」

「な……っ!?」


 目を瞠(みは)ったのはアルバートだけではなかった。アルバートに寄り添ったソフィアも、この場の進行を取り仕切っている『お友達』も、アルバートよりも高い場所に王宮の正式な侍従が控えていたことや、その侍従が発した声に驚きを顔に広げている。


 だが大広間に控えている招待客達は、アルバートの反応に反してひどく従順だった。


 階下をまばらに埋めた人々は、アルバート達のように動揺を露わにすることもなくサッと畏(かしこ)まった。男も女も膝をつき、アルバート達が控える中二階を通り越したさらに上に向かって頭(こうべ)を垂れる。


 皆の敬意が集中しているのは、二階に設えられた出入口だった。国王とその伴侶のみが使うことを許されている扉は今、高い天井から垂らされた緞(どん)帳(ちょう)によって覆い隠されている。


 アルバートでさえ立つことを許されないその場所に今、王に侍(はべ)る侍従が控えていた。聖女の入来を告げた侍従は、サッと緞帳を脇へどけると、その先にある扉を恭(うやうや)しく開く。


 その瞬間、アルバートは確かにカツリという軽やかなヒールの音を聞いた。


 国王が立てるにしては軽すぎる音とともに、一度目にしたら忘れられない白銀がフワリと揺れる。


 だがアルバートの視線を引きつけたのは、いつでも目障りなその白銀ではなかった。


 ──あれは、誰だ。


 夜空のようなドレスを纏い、白銀の髪をなびかせて姿を現したアナスタシアは、一人の女性をエスコートしていた。


 ──まるで、暁の女神だ。


 アナスタシアの夜空の色彩を映し込んだドレスと対になることを意識しているのか、傍らに並んだ女性は柔らかな茜色のドレスに身を包んでいた。


 胸元から膝上まではピタリと体の線に沿い、それよりも下はスリットからあふれる同色の薄衣がフワフワとたなびいている。生地には金糸銀糸が織り交ぜられているのか、女性が動くたびに全身がキラキラと光り輝いて見えた。


 全体的にラインはシンプルなのに、背が高くスラリとした体型である女性が纏うと、高貴さがにおい立つような心地がした。剣を吊るすためのものなのか、腰に掛けられた太いベルトさえどこか艶(なま)めかしく目に映る。


 柔らかな印象に纏め上げられた赤みが強い茶色の髪は、銀の装飾によって彩られていた。そのせいでスラリとした項(うなじ)から白い背中までがしっかりと見えてしまっている。そんな男達の無意識の視線を牽制するかのように、胸元と耳元にはアナスタシアの瞳と同じ色の宝石が揺れていた。


「皆、楽になさい」


 アナスタシアの凛とした声を受けた客達が、ソロリと体を起こす。同時に視線をアナスタシアへ向けた彼らは、皆一様に目を瞠ったようだった。アルバートと同じく、その意識は皆、アナスタシアではなくその傍らにある女性へ向けられている。


 あれは誰だ。聖女に侍る女性の中に、あんなに美しい娘がいたのか。


 全員の疑問の声が、アルバートには聞こえるような心地がした。


 だがアナスタシアはその視線に応えることをしない。


 はるか高みから一度グルリと大広間を見渡したアナスタシアは、次いで傍らの女性を見上げた。


 その瞬間、いついかなる時も冷静な表情を崩したことがないアナスタシアが、トロリと甘く瞳を溶かす。


 ──は?


 そんなアナスタシアの表情に、傍らの女性も同じ温度の笑みで応えた。女性からの笑みを受け取ったアナスタシアはさらに目を細めると、そっと女性へ左手を差し出す。


 アナスタシアの手は小さく、繊細で、触れれば溶けて消えてしまいそうなほどに儚(はかな)かった。エスコートのために触れることさえ躊躇(ためら)われるような華奢な手は、間違ってもエスコートをする側のものではない。


 だが女性はアナスタシアが手を差し出すのを見ると、嬉しそうに笑みを深めた。さらには迷いなく右手が持ち上げられ、フワリと柔らかくアナスタシアの手に指先が預けられる。


 その手を受け止めたアナスタシアは、ふんわりと、それでいてしっかりと女性の手を取ると、見た目の雰囲気からは想像できない安定感でその手を支えた。


 触れ合った手を確かめあうように、ギュッと繋がった手に力が込められる。


 さらに甘く視線を交わし合った二人は、アナスタシアの優美な足運びに合わせて優雅に歩を進め始めた。


 まるで夜空の女神と暁の女神が、手を取り合って天上から降臨する様を目にしているかのようだった。夜空の女神に導かれて、暁の女神が人々の世界へ降り立とうとしている。


 そう、二人並べばアナスタシアの方が明らかに庇護の対象になる容姿をしているのに、明らかにアナスタシアの方が女性をエスコートしていた。


 頭ひとつ分以上の身長差を階段の段差がさらに広げているというのに、アナスタシアのエスコートはそこらの男どもよりも様になっている。


 自身の優美な挙措を揺らがせないまま、アナスタシアはしっかりと女性を支え、導いていた。フワリ、フワリと二人が進む様はこの上なく優雅で、同じ空間にいるはずなのにまるで違う世界を垣間見ているかのような心地がする。


 大広間に並んだ招待客達も、同じことを思っていたのだろう。アナスタシア達が階段の中ほどまで移動してくる間、話し声はおろか、身動ぎの音さえ上がることはなかった。


「ごきげんよう、お兄様」


 登場しただけで場を圧倒したアナスタシアと伴侶は、中二階へ降りる階段の途中で足を止めた。


 話しかけるには十分な、だがしっかりとアルバートとソフィアを見下ろす位置で足を止めたアナスタシアは、『白銀の聖女』としての顔で、……先程の甘さなど微塵も感じさせない冷徹な顔でヒヤリとアルバートに笑いかけた。


「先程から視線がうるさいから、紹介して差し上げますわ」


 本来ならば、もっとふさわしい挨拶があるはずだ。『本日はお招きいただき』とか、『真におめでたく』とか、何だっていい。


 だが忌々しくもアルバートの上に立つ妹は、圧倒的な存在感で場を支配したまま、凛と別の言葉を言い放った。


「彼女はレティシア・バートネット。わたくしの生涯唯一、最愛の伴侶ですわ」


 だがそんな些末なことは、告げられた名前に全て吹き飛ばされる。


「れ、レティシア?」


 確かに、言われてみれば、侍従もその名を述べていた。レティシアがアナスタシアに保護されているということも知っていた。よくよく見てみればその髪の色も、顔立ちも、背丈ばかりが高すぎて魅力に乏しい肢体も、確かに嫌になるほど見知った元婚約者のものだ。


 だがしかし。だがしかし、である。


 ──こんなに綺麗で、魅力的な娘が、あ(・)の(・)レティシアだというのか?


 愕然と見入るアルバートの内心を、ソフィアは察しているのだろう。アルバートの腕を取ったソフィアは、爪が食い込むほどアルバートを掴んだ手に力を込めている。


 そんなアルバートとソフィアの様子に気付いているのか否か。


 不意に暁の女神が真っすぐにアルバートを見据えた。その表情から甘さが抜けきった瞬間、ゾクリとアルバートの背筋に悪寒が走る。


「お久しぶりです、アルバート殿下」


 そこにいたのは、間違いなくアルバートが知っているレティシアだった。


 アルバートが心底嫌い、見下してきた女だった。


「何もかもお変わりないようで」

「……っ!!」


 そんな女に、魂を引き抜かれそうになるほど見惚れていた。


 その事実に、アルバートは思わず軋むほどに歯を噛み締めた。


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