Ⅴ
『年頃の令嬢らしくあれたら』と、何度夢見たことか分からない。
そうでありながら『剣を握っていて良かった』と、矛盾したことを思う時がある。
「っ!」
無音の気合とともに、手にした剣を振り下ろす。
もちろん、振り下ろした先には何もない。剣の切っ先は何もない宙を裂くだけだ。
だがレティシアは脳内に思い描いた敵の動きに合わせて、続けざまに剣を振るった。ヒョンッと軽やかな風切り音を立てながら、レティシアが操る剣は水の中を泳ぐ魚のように優美な軌跡を描いていく。
──剣を操る術を知っていて、良かった。
昔からこうやって夢中で剣を振るっている時だけは、胸中のモヤモヤを忘れることができた。モヤの原因が何であれ、その部分だけは変わらない。
──それに今は、この剣で守りたいと、心の底から思う御方もできた。
だがそのことを考えた瞬間、剣の切っ先は微かに動きを鈍らせる。
──アンナ様。
意識して体のブレを修整しながらも、一度胸中で名前を呼んでしまうと、思考をそこから引き離すことはできなかった。そんなレティシアを叱咤するように、あるいは誘惑するかのように、シャツの下で跳ねるネックレスが存在を主張する。
──わたくしがアンナ様のお役に立てるとすれば、この剣の腕しかない。
だがレティシアが剣を握り、アナスタシアを背に庇って物理的に戦うことは、果たして本当にアナスタシアのためになるのだろうか。
アナスタシアは聖女であり王女だ。国で最も強い権力を握り、神の加護を一身に受ける存在でもある。ただの一臣民であり、凡庸な才しか持たないレティシアでは、アナスタシアの役に立てる部分は皆無と言ってもいいだろう。
だからせめて、アナスタシアとは無縁な『武力』で役に立てればと考えていたのだが、アナスタシアはどうやら己の身を自力で守れるだけの技量があるらしいということも、先日なんてことない会話から察してしまった。むしろレティシアが剣を握って前に出れば、アナスタシアの足を引っ張ってしまうかもしれない。それくらいアナスタシアが備えた力は強力だ。
──わたくしは、アンナ様のお荷物にはなりたくないのに。
きっとレティシアのこんな内心を知ってしまったら、アナスタシアは『レティはお荷物などではありませんわ!』と心を痛めることだろう。『レティがわたくしとともにいてくれるだけで幸せで、それだけでわたくしは百人力ですわ』とも言ってくれるかもしれない。そう信じて疑わないほどに、今のレティシアはアナスタシアからの愛情を確信している。
──でも。だからこそ。
それだけ愛してもらっているからこそ、役に立ちたい。自分も何かをアナスタシアに返したい。
そう願ってしまうのは、我が儘なことなのだろうか。
──幸せを感じれば感じるほど、欲も深くなっていく。
ビッ、と宙に静止させた剣の切っ先が、想像の中の敵の首を落とす。
その型がブレていないことを確認してから、レティシアは構えを解いた。その瞬間に唇からこぼれ落ちた溜め息は、鍛錬が終わった気の緩みとは違った思いも込められている。
だがレティシアがそのことについてウダウダと考え込む暇は与えられなかった。
「っ!?」
──誰っ!?
集中力が切れた瞬間、レティシアの感覚の端に人の気配が引っかかる。鍛錬に集中しすぎていて、途中から誰かに見られていたことに気付けていなかったらしい。
反射的にレティシアは剣の切っ先を気配のある方向へ向ける。
だがその剣の切っ先は、そこにいる人物が誰であるかを認識した瞬間、即座に地面へ向け直された。
「アンナ様っ!?」
レティシアが鍛錬に使っていた中庭を囲む通路の一角に佇んでいたアナスタシアは、頬を赤く染め、両手で口元を覆い隠しながらレティシアを見つめていた。レティシアの気のせいなのか、レティシアを一心に見つめているアナスタシアの満月の瞳は熱に浮かされたかのように潤んでいる。
「アンナ様、声をかけてくだされば良かったのに」
レティシアは剣を腰に下げた鞘に納めると、慌ててアナスタシアへ歩み寄る。
そんなレティシアへ、アナスタシアは熱を隠さないままポツリと呟いた。
「カッコいい……」
「え?」
「素敵……」
アナスタシアの目の前まで歩を進めても、アナスタシアは両手で口元を覆ったままポーッとレティシアに見入っている。
そんなアナスタシアの様子に、レティシアはパチパチと目を瞬かせた。
──はしたない、の、間違いではなく?
今のレティシアは、普段のドレスとは違った装いに身を包んでいる。
上はパリッとしたシャツにジャボタイとベスト。下はズボンに膝下まで丈があるブーツと、全身どこを見ても動きやすい格好だ。帯剣するために腰には幅の広いベルトが厳しく巻かれている。髪はそっけなく纏められているだけで、可愛らしさも華やかさも微塵も感じられない。
全身のラインが余すことなく出ている格好といい、女にはそぐわない厳しい装備といい、仮にも公爵令嬢であるレティシアが人目にさらしていい格好ではないだろう。少なくともバートネット公爵邸で似たような格好で鍛錬をしている時は、人目につかない場所と時間を選ぶようにしていた。
──アンナ様は稽古の場を見学されに来たこともあるし、そもそもこの服を用意してくださったのもアンナ様ではあるけれども……
「あの、……アンナ様?」
手を伸ばせば触れられる距離まで近付いても、相変わらずアナスタシアはレティシアに熱烈な視線を注いでいる。
さすがにレティシアもここまで蕩けた瞳を向けられていれば、アナスタシアが自分に見惚れているのだということが理解できた。
同時に、むずがゆくもトロリと甘い感情がレティシアの胸の内を埋めていく。
「アンナ様」
気付いた時には、両手がアナスタシアの頬に向かって伸びていた。
そっと左右からアナスタシアの頬をすくい上げるように手を添える。そこでようやくアナスタシアは我に返ったのか、満月の瞳が蕩けたままレティシアに焦点を結んだ。
無意識になのか、アナスタシアの両手がレティシアの手を包み込むように動く。
上気した頬とアナスタシアの手に挟まれた手が、熱い。
その熱に、自分の口元からジワリと、意地悪な笑みが広がっていくのが分かった。
「何を考えていらっしゃるのですか? アンナ様」
蕩けた満月の瞳の中に映り込んだレティシアが、意地悪く、どこか強気に微笑みかける。
その笑みに、アナスタシアの全身がカァッと熱を上げたのが、繋がった手から伝わる熱で分かった。
「目の前にわたくしがいるのに、他のことに気を取られるなんて。悪い御方」
「れ、レティのことしか」
嗜虐心を擽られるがまま、アナスタシアの耳元に唇を寄せて、そっと耳の中に吹き込むように囁く。その声にピクリと小さく体を跳ねさせたアナスタシアは、悲鳴のように上ずった声を上げた。
「レティのことしか見ていないし、考えてもいませんわ。そ、それだけしか、考えられない……」
「本当に?」
「ほっ、本当に……!」
そんなアナスタシアの反応が可愛くて、レティシアはアナスタシアの頬を両手で挟み込み、耳元に唇を寄せたままクスクスと笑う。
いつになく強気なレティシアの様子に、珍しくアナスタシアはタジタジになってしまったのだろう。頬を挟み込むレティシアの手を自身の手で押さえ込んだまま、アナスタシアは『う、うぅ〜!』と照れが滲んだうめき声を上げている。
「れ、レティ! お知らせしたいことがあって、鍛錬中のところにお邪魔しましたの!」
レティシアがしばらくモチモチとアナスタシアの頬の柔らかさと伝わる熱を堪能していると、アナスタシアはガバリと顔を上げた。その顔はいまだに上気しているが、瞳には真剣な光が宿っている。
「急報がふたつ。片方はどちらかと言えば朗報、もう片方は、どちらかと言えば不快なお知らせですわ」
「悲報、ではなく?」
「ええ」
自身の頬に添えられるレティシアの手を押さえ込んだまま、アナスタシアは真剣な声音で告げた。
「王太子アルバート・エルヴィス・アレスティアから、婚約披露宴への招待状が届きました」




