step9 夏の出来事
step9
ヒグラシの鳴き声がセキドーム球場を包む。丸い屋根が夏の夕日に赤く染まっていた。
スタンドはすでに満員に近かった。バックネット裏にはガストンズのユニフォームを着た老夫婦、両親に連れられた子どもたち。外野席に陣取った作業着の男たちは、早くも酒盛りを始めていた。どの顔も試合が始まるを待ち望んでいた。
内野、外野、場内の照明が順番に落とされた。
「さあ待たせたね、ぼちぼち始めるかねーーー!」
がなり立てるガストンママの声が、木造ドームに響き渡った。
ゲン爺のイノシシ倒しが終わると、ダグアウトから駆け出た選手たちがフィールドに散らばった。
「つまらないアトラクションがないのは大歓迎だ」
ボックにボールを回しながら、ジョディーがいった。
「流れ者のチームなんだってな」
ボックは返球しながら相手ベンチを見た。濃紺のユニフォームにフクロウの顔がデザインされた帽子。デルタオウルズの選手たちは静かに座っていた。
「いつもあんなにおとなしいチームなのか?」
ボックはファーストミットの紐を固く結んだ。
「知らない。滅多にやらないチームだからな。たぶんゲン爺にビビってんだろ」
そういってジョディーは何度か屈伸した。
1回表。1番打者が打席に入った。
「ストラーック!」
ゲン爺のスライダーが外角低めに決まる。
「ストラーック!」
2球目はストレート。バッターは目線ひとつ動かさない。
「ストラーック!アウト!」
3球目もストレート。男は何事もなかったようにベンチへ帰っていった。ビジョンに映るデルタオウルズの監督は、帽子を深く被ってただ座っていた。
4回裏。ボックが水を飲んでいたダイクにいった。
「何かおかしくないか?」
「ああ、気持ちが悪いな」
打席にはコジローが立っていた。初球は内角の速球。コジローが身体を引いてピッチャーを睨みつけた。
「さっきの打席とまったく同じ球だ」
口を拭ったダイクがボックの横に座った。
「あの野郎、またアームを狙ったな」
ボックもピッチャーをじっと見た。
「そうだな。ぎりぎりのところに投げてる」
「おい、監督さん。何なんだ、ありゃ?」
ダイクは振り返ってタカハシにきいた。
「4年前と違うね。うん違う」
タカハシは古いノートを見ながら、分厚い手帳に何か書き加えた。
画面の中のコジローが、センターに鋭い打球を飛ばした。横の画面には打球の速度や方向、賭けのレートから歓声の音量まで、あらゆるデータが表示されていた。
「なるほど」
壁一面を埋める数十台のモニターが青白く光る部屋。
「彼はもういいでしょう。機械の腕のせいで内角が苦手なようです」
リーンの眼鏡に反射した数値が目まぐるしく変わる。
「了解、次の指示を出します」
頬杖をついたクルーンの合図で、白シャツの男がキーボードを打った。
「しっかし、ナイスなバッティングですねー」
「きちんと仕事をしてください」
リーンはモニターから目を離さない。
次の打者が打席に入った。背番号24。メインモニターに赤いランプが灯った。
「何でボックなんて名前にしたんでしょうね、あの元エリートは」
リーンの表情が険しく変わった。
「知りません。知る必要がありますか?」
「いえいえ、ございません。失礼しました」
クルーンはきちんと座り直してモニターを見た。
画面の中のボックが外角の球を叩いた。打球はライトスタンドへ一直線。ダイヤモンドを回るボックが一瞬カメラを睨んだ。
「おお、怖い怖い!」
クルーンは大袈裟にいって両手で顔を隠した。
8回裏の攻撃。
ニトロがベンチのボックに向かって口笛を吹いた。
「客も退屈してるだろ。ちょっと、からかってくるぜ」
そういって、軽快な足取りで左バッターボックスに入った。
「タイム!」
それまで淡々とプレーしていた捕手が立ち上がった。
「ニトロさん、いつからスイッチヒッターになったんですか?」
ショウタが嬉しそうにいった。
「アホ!そんなわけねえだろ!」
ジョディーが吐き捨てた。
「動いたか。ミットに何か仕込んでやがるな」
ダイクがじっと目を凝らす。
「ああ、俺にも見えた。だけど意味がわからない」
ボックはゆっくりと首を傾げた。
「プレイ!」
「ワッ!」
打席のニトロがいきなり大声で叫んだ。
「ボール!」
狼狽えたピッチャーが周囲を見回した。
グラウンドに明るい光が落ちた。観客たちが一斉に上を見る。丸く開いた屋根から舞い降りる炎。FBは場内を大きく回って、いつものようにライトポールの止まり木に落ち着いた。
異常値を感知したことを知らせる電子音が鳴った。
「出たー!出ましたよ、部長!」
立ち上がったクルーンは手を叩いた。
「静かにしてください」
冷たい声でいったリーンは、身を乗り出してメインモニターを見つめた。上下左右、球場中のカメラがあらゆる角度からFBの姿をとらえる。
「おー、よくできてますねー!どこから操作してるんだろう」
「静かに!部屋から出ていってもらいますよ?」
「失礼しました」
クルーンは頭を下げると、何事もなかったようにFBの姿を観察した。
「これは……本物なの?」
リーンは受話器をとると一拍おいて話し始めた。
「ああ局長、申し訳ありません。お時間大丈夫でしょうか?はい、例のアレが現れました。すぐに映像を送ります。はい……はい……」
試合は7対1でガストンズが勝った。繁華街の端に居並ぶ賭け屋。手前の店で、男たちが互いのコップにビールを注ぎ合っていた。
「今夜はつまらなかったな。でもまあ、いいか」
「そらそうだ。儲けは少ないがガストンズが勝ったんだからな」
隅のテーブルで売上金を仕分けながら、店主がぼやいた。
「チームのお嬢ちゃん、よく映るようになるっていってたのになー」
棚の上のテレビ。ノイズが走る画面に飛び去っていくFBの姿があった。
◇
夏の陽射しが砂埃を上げる道を白く照らしている。昼下がり、ボックは混み合う伊勢屋でビールを飲んでいた。開け放した引き戸の外では、大勢の人々が賑やかに行き来していた。
「それでボック。セキに落ち着く覚悟はできたのか?」
カウンターの中で親父が鍋を振る。
「どうだろう。親父さん、俺はここで生きていけるんだろうか?どこを手伝ってもうまくいかないんだ」
「何をいってんだ、お前さんは」
親父は鍋を置いてタバコをくわえた。
「野球があるだろ?野球ができるうちは野球で稼げ。若い奴がそんな顔すんなよ」
風鈴がひとつ鳴った。ボックはビールを一口飲んで、壁に据えられた油まみれの扇風機を見た。木材加工場やアスナロ亭のキッチンが浮かんでくる。自分はどうしたいのか。何ができるのか。ボックは、ぼんやりと考えた。
急に外が騒がしくなった。
「ヘイ、ヘイヘイヘイ!」
顔中に汗をかいたニトロが、息を切らして駆け込んできた。
「おい、どうしたんだ?」
ボックは驚いて立ち上がった。店中の客が何事かと注目する。ニトロはコップに残っていたビールを飲み干して、ボックの腕をつかんだ。
「いいから一緒に来てくれ!」
そういって親父にウィンクすると、ニトロは強引にボックを引っ張って店の奥へと走った。
続いて、同じように息を切らした小柄な女が飛び込んできた。
「お、おう、コユキさん、いらっしゃい!」
親父の目は泳いでいた。
「うちの旦那、来たわよね?」
迫力に満ちた低い声。親父は震える手でタバコを吸った。
「き、来てねえよ。ハハハ」
奥から出てきた手伝いの娘が、あっさりと店の裏口を指差した。
「コユキさん、あっちです」
「ひぃーーー!」
コユキに睨まれた親父が悲鳴を上げた。走り去るコユキの背中を見送りながら娘がいった。
「あれは本気ですね」
店を出てひたすら走る二人。すれ違う人々みんなが振り返った。
「どうした大将たち!借金取りかー?」
「暑いのにトレーニングお疲れさん!」
露店の客たちが指笛を浴びせた。
髪を振り乱したコユキが立ち止まって、店先にあった木刀を手にとった。あまりの殺気に誰も声を出せなかった。
「おい、ニトロ。いい加減に離してくれよ!」
ボックはニトロの手を振りほどいた。
「それで、何で俺たちは逃げてる?」
ニトロは後ろを気にしながらこたえた。
「バーの女を送っていくところを、ワイフに見られちまったんだ」
「それで、何で俺まで逃げないとならないんだ?」
そういってボックは振り返った。木刀を握って追いかけてくるコユキの姿が見えた。
「あんたの奥さんは忍者か?」
「ヘイ、ボック。謝るには大人数のほうがいいんだ」
「勝手なこというなよ!」
つまづきながら石畳の道を抜けて、苔だらけの石橋を渡る二人。川で遊んでいた子どもたちが二人を見上げて笑っていた。
「よし、ダイクの所へいこう!朝まで一緒に飲んでたんだ」
両腕を大きく振りながらニトロがいった。ボックはまた後ろを見た。少し引き離したものの、まだコユキが追ってきている。
「わかったよ、付き合おう」
老人たちが体操している広場を突っ切って、二人は操車場へ向かった。
駅を過ぎて崩れかけたビルの横道をいくと、急に視界が開けた。小石が敷き詰められた広大な土地に、無数の引き込み線が伸びている。
二人はいくつか並んだ作業小屋を探すが、ダイクの姿は見当たらない。
「ヘイ、見ろ!いたぞ!」
ボックはニトロが指した方を見た。ずっと先に停車している紅白の機関車の横に、作業をしているダイクがいた。
「お前ら、何の用だ?こっちは仕事中だぞ」
作業服姿のダイクが袖で汗を拭った。
「ワイフが追ってくるんだ。あんた一緒にいたじゃないか。頼む、証言してくれよ」
両手を合わせるニトロを見ながら、ダイクがため息をついた。
「またいつものやつか……わかったよ、ここのボルトだけ締めちまうから待ってろ」
ダイクは面倒そうにいってレンチを片手に作業に戻った。
パネルを閉じたダイクが運転席に合図を送った。年代物のディーゼル機関車。キュルキュルとゴムが擦れるような音が長く続いて、エンジンが始動した。鼻が焼けるほど重油の匂いを漂わせて、黒い煙が空へと消えていく。
「いい燃料があれば、もう少しまともに動くんだがな」
そういってダイクは車体を叩いた。
機関車は無骨な巨体を震わせて、重い不規則なリズムを刻み続けた。
「すごいもんだな……」
ボックは息を飲んで機関車を眺めた。
「ヘイヘイ!見ろ、見ろ!」
ニトロが目を見開いて遠くを指差した。線路の上を走ってくるコユキが見えた。
「人の女房のこと悪くいいたくはないが、ありゃ正気か?」
ダイクは手早く道具を片付けた。
「仕方ねえな。逃げるか!」
にんまりと笑ったダイクが急に駆け出した。ニトロもまだ機関車に見惚れていたボックの腕をとって後に続いた。
街の中を走り回った3人は、塀をつたって花屋の屋根の上に登った。息を潜めて下を見ると、少し離れたところでコユキがきょろきょろと周りを見回していた。
「やっと逃げ切った」
ニトロがいった。
「ああ、逃げ切った」
ボックがいった。
「もう大丈夫だ」
ダイクがいった。
3人は小さく笑い出した。笑い声はだんだんと大きくなって、そのうち全員が屋根に寝転んで爆笑した。
「なあ、ボック」
笑いながらダイクがいった。
「来シーズンもガストンズにいるよな?」
笑いが止まらないニトロは涙を拭った。
「ヘイ、ダイク。当たり前だろ」
ボックは一瞬真顔になるが、こたえずにただ笑い続けた。
花屋の女から梯子を借りたコユキが屋根に登っていく。青空の端に、大きな入道雲が浮かんでいた。




