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step10 胸騒ぎ

step10


 セキドーム球場。オーナー室。

 窓際に立ったリンコが外を見ていた。

「これは、また急な話だね」

 ソファーに座ったオーナーが机の上の書面を見つめた。

 リンコが不安そうにいった。

「IBLに所属する全球団に送ったということです」

「興行における安全基準の統一について、ねえ」

 整然と並ぶ条項。オーナーはその中の一文を読み上げた。

「安全管理上、球場に生物を持ち込むことを全面的に禁止する」

「つまりイノシシですかね?」

 オーナーはゆっくり首を振った。

「それもそうだけど……空を飛ぶ方だろうね、きっと」


 乱暴にドアが開いた。

「ふざけんじゃないよ!」

 通知書のコピーを手にしたガストンママが、足早に入ってきた。

「何なんだい、これは!うちのやり方にケチつける気かい!」

「ママ、まあ落ち着いて」

 オーナーはソファーから腰を上げた。

「冗談じゃないよ!わかってるのかい?財布に手を突っ込まれてんだよ?」

 ママは思い切り机を叩いた。

「危険だって?当たり前だろ!だから面白いんだよ!」

 オーナーとリンコは顔を見合わせた。

「だいたい怪我人なんて出してないだろうよ!」

 ママの怒りは収まらない。

 おずおずとリンコがいう。

「あのー、イノシシなら去年ダイクさんが骨折しましたよね?」

 リンコを睨みつけたママが、急に目を細めて腰を曲げた。

「忘れたねー、はいはい。年寄りは忘れっぽいんだ。それと……」

 ママは手にしていたコピーを真っ二つに破った。慌てるオーナーとリンコ。

「小さい字は読めないんだよ!」

 そういってママはにやりと笑った。

「しかし、うちだってIBL所属だよ」

 オーナーは自分の持っている書面を後ろ手に隠した。

「ああ、そうだね」

 ママはそれを奪おうとする。

「相手はWBLだ」

 オーナーはその手をかわす。

「だから何だい?」

「野球どころか、世界を仕切ってる連中のお仲間だよ」

 鼻で笑ったママが、ついに通知書を奪い取った。

「だから気に入らないだよ!」

 そういって書面を勢いよく破って、くしゃくしゃに丸めてゴミ箱に叩き込んだ。

 ママは二人の肩に手を置いた。

「いいかい、ビビるんじゃないよ?坊やたちにも、そう伝えな!」

 オーナーとリンコは仕方なくうなずいた。


 ラジオ局の狭いブース。軽快なダンス音楽が流れている。

「それは辛かったねー。ミーなら立ち直れないよ、きっと」

 ドレッドヘアのDJが悲しんでみせた。

「ああ、そうね。でもチャック頑張ったよー!」

 チャックは上を向いて涙を堪えていた。

「でもでも、その後は大活躍。IBLの選手になったじゃない」

「そうよ。故郷のママにでっかいでっかい家を建ててあげたよ」

「くーっ、いい話しだぜ!おっと、ではここで……」

 DJはガラスの向こうにいる白シャツの男と目を合わせた。

「質問コーナーいってみよう!まずはマリアちゃん11歳。常連さんですね、いつもありがとう!えー、ガストンズのキャプテンはやっぱりニトロさんですか、それともゲン爺?」

 チャックは、少し考えてからこたえた。

「どっちでもないよ。キャプテンはいないね」

「ということです。では次。ゴメスさん24歳。FBについて質問です。FBはやっぱりゲルラングリラン様なんですか?」

「残念だけど、違うね。この前きいた時はがっかりしたね」

 DJの目つきが鋭くなった。

「えー!グレイト!お話したんだね。まさかFBの家にいったとか?」

 チャックは迷いながらこたえた。

「うん、まあね」

 間を置かずDJがきく。

「やっぱりセキの街のどこかに住んでるの?」

 期待に満ちた目をしたDJに向かって、チャックは唇の前に人差し指を立てた。

「ノーコメントね」

「そ、そう。はい、じゃあ次。クルーンさん35歳からの質問。FBはどこから来て……」

「ちょっと待って。FBの質問はもうダメよ」

 真顔になったチャックがDJを睨んだ。

「あー、ソーリーソーリー!で、ではここでホットなナンバーをお送りします」

 DJはまたガラスの向こうに目をやった。白シャツの男はいつの間にか消えていた。


 街はずれの温泉施設。

 染みが浮いた杉板に囲まれたサウナの中で、ザイオンが膝をマッサージしていた。

 ドアが開いて太った男が入ってきた。

「……よお」

 隣に座った男がいった。

 一瞬手を止めたザイオンは、また膝を揉んだ。

「用があるなら、正面から来い」

 男は軽く笑って座り直した。

「相変わらずだな」

「出ていってくれないか?あんたが出ないなら俺が出る」

 ザイオンが静かに立ち上がった。

「まあ待てよ。あの赤い針が真上にくるまで時間をくれ」

 男はそういってサウナタイマーを指差した。

 じっとりと汗をかきながらうつむく二人。

「実は、WBLのチームで監督の席がひとつ空いたんだ」

 ザイオンが驚いたように上体を起こした。

「下位チームだけど、もちろん環境は整ってる。望むなら今のチームから若いのを何人か連れていってもかまわない」

「……興味ないな」

 太った男は肩をすくめてからロッカーの鍵をザイオンに渡した。

「そういうと思ったよ。だけどわかってるはずだ。ここにいる限り腐っていくだけさ」

 ザイオンは、歯をくいしばって下を向いた。

「好きにいえ」

 男は立ち上がってドアに向かった。

 脱衣所。帰りかけたザイオンが立ち止まって、受け取った鍵でロッカーを開けた。頭の中にショウタやセイヤの顔が現れては消えた。ザイオンは迷いながら連絡先が記された紙をポケットにしまった。


 賑やかな夜の街。ボックは一人で大通りを歩いていた。

「あっ、ボックさん、こんばんは!」

「よっスラッガー、またでかいの打ってくれよ!」

 すれ違う人たちから次々に声をかけられる。

 ボックは石橋の上までくると立ち止まった。そして欄干にもたれてぼんやりと川を眺めた。

──来シーズンもガストンズにいるよな?

 屋根の上でダイクにいわれた言葉が浮かんだ。ボックは考えた。わからないんだ、ダイク。俺は野球をやめるためにこの街に来た。だけど今、迷ってる。たぶん迷ってるんだ。

 街の明かりを映す水面を火の玉が横切った。空を見上げると、山の方へ飛んでいくFBの姿が目に入った。

 突然、唸りを上げるエンジン音が聞こえた。川沿いの道から黒い高級車が飛び出してきた。屋根の上から見たWBLの券売所に停まっていた車だった。車は橋の上に躍り出ると、FBが飛んでいった方角へ向かっていった。


 胸騒ぎがした。ボックは急いで来た道を引き返した。車は人混みをクラクションで散らしながら強引に進んだ。ボックは立ち止まって、神社の脇の路地に入っていった。

 裏道を全力で走ったボックは、破れたフェンスを飛び越えて坂の下に出た。

「来たな」

 両膝に手をついて息を整えていると、黒い車が猛スピードで坂を下ってくるのが見えた。辺りを見回したボックは、ブロックの欠片を拾い上げた。

「何だ、あいつは?」

 運転している白シャツの男がいった。

「火の鳥だろ?」

 上を見たまま助手席の男がこたえた。

「違う、目の前のあいつだ!」

 急ブレーキ。ライトに照らし出されたボックが、振りかぶってブロックを投げた。鈍い音とともにフロントガラスに大きなヒビが入る。タイヤから煙を上げながら、車は街路樹に激突した。

 ハンドルに顔を打ちつけた運転席の男が、やっとのことで身体を起こした。

「なんだ、あの野郎は!」

 隣の男が起き上がって、はっとした。

「見てくれよ」

 運転席の男が乱暴にこたえる。

「どうした?」

 助手席の男は、悲しそうに腕時計を指差した。

「壊れた」


 肩で息をしながら裏路地を歩くボック。

「やっちまった……」

 そうつぶやいたボックの背中が、暗闇の奥へ消えていった。


   ◇


 WBL管理局調査部。薄暗い会議室の隅でクルーンがコーヒーをすすっていた。

「この前は悪かったね。あの役できるのさ、君しかいなかったんだよ」

 迷惑そうな顔をしてみせたのは、サウナでザイオンに接触した太った男だった。

「まあ、同期の助け合いってことで。ただ現場はこれきりにしてくれよ」

 クルーンは男の肩に手を回した。

「冷たいこといわないでよ、カナイちゃん。そっちにもメリットがあるようにするからさ」

 男は、その手を払いのけた。

「それでクルーン君。要請はどうだった?」

 クルーンは、椅子を左右に揺すりながら天井を見た。

「もうすぐ期限なのにまだ返答なし。つまりノーってことでしょ」

 カナイはポケットから錠剤の瓶を取り出した。

「そうか。アジアカップには引っ張り出せないと」

 上を見たままクルーンがこたえる。

「そりゃそうでしょう。あれだけ怪しい動きが続けば、田舎チームだって警戒するって」

 カナイは錠剤を噛み砕いた。

「焦り過ぎだな」

「そうそう、忠犬リーンは尻尾振り過ぎ」

「やめろってクルーン君。犬って言葉は俺にも堪える」

「ハハハ、ごめんね。まあ同じ犬でも僕らの首輪はだいぶ緩いでしょ?」

 椅子から立ち上がったクルーンの顔つきが変わった。

「確かにあのチームもあの街も異常だよ。だからこそ部長さんの次の一手は読める。それがどう影響するかだね」

 カナイは強張った笑いを浮かべた。

「それはTシスの判定が予想できるってこと?まさか潜り込んだとか」

 クルーンは手を打って笑った。

「それができれば最高なんだけどねー」

 カナイの顔から緊張の色が消えた。

「まあ、ただの勘さ。これからも力を借りるよ、広報部副部長さん!」

 そういってクルーンは両手を合わせた。



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