step11 野球の華
step11
照明が落とされたセキドーム球場。ライトポールの止まり木でFBが翼をばたつかせた。満員の観客がガストンママの雄叫びで目を覚ます。
「準備はいいかい?今夜はリバーーーシリーーーズ!」
立ち上がった観客たちが拳を突き上げた。
「まずはお馴染み。セキの天然記念物、ピッチャーーーッ、ゲン!いくよーーー、ガッセ、ガッセ、ガッセ!ハイハイ!」
スポットライトの中、マウンドのゲン爺が手を振った。
スタンドにいる誰もが力一杯声を出す。木造の屋根はその声を倍にして吐き出した。
ボックは、ダグアウトの前に座って身体を伸ばしていた。いくつか継ぎ当てができたユニフォームに、また小さな穴が開いているのに気がつく。帽子はすっかり形が崩れてツバの部分が白く汚れていた。
場内が明るくなって、フェンスの隙間からイノシシが登場した。いきり立った巨体は観客に悲鳴を上げさせてゲン爺に突進する。糸を引くような速球が頭に命中して、イノシシはどすんと倒れた。いつものようにスタンドから大歓声が上がった。
「禁止した以上、どっかから見てるんだろうな」
じっとアトラクションを見ていたジョディーが、ニトロに向かっていった。
「だったら、もっとオシャレしてきたほうがよかったな」
ニトロは笑いながらステップを踏んだ。
「いってろ、アホ!」
「おい、また休憩時間がきたぜ」
足を組んだダイクが小指で耳をほじる。
「僕、ちょっとトイレいってきますね」
ショウタは通路に消えていった。
再び暗転した場内に、重苦しいブルースが流れてきた。レフトスタンドに陣取ったゴールデンシップスのファンたちが、床を踏んでリズムを刻む。センターのフェンスが開いて、タイヤがついた漁船と選手たちが入場してきた。
音楽が止んだ。いつもなら勝利を誓って胸を叩く選手たちが、あっさりとダグアウトに引き上げていった。スタンドのファンたちが顔を見合わせる。
ニトロが相手ベンチに向かって声を張った。
「ヘーイ!退屈なショーが短くなって嬉しいぜ!」
ちらりとニトロを見たマーチン監督がにんまりと笑った。
「何あれ?」
セイヤが船の上を指差した。パークビジョンの中、ピンスポットが甲板上の大きなオルガンを照らした。横には緊張気味のノザキが立っている。そこに身体をくねらせたオットセイがペタペタと歩み寄ってきた。
小さな笑い声がスタンドのあちこちから上がった。
「あらっ、かわいいわねー」
コジローが胸の前で両手を組んだ。
「禁止されてすぐに持ち込むなんて」
ボックがダイクにいう。
「ああ、完全におかしくなっちまったな」
苦い顔をしたダイクは首を振った。
ノザキに促されたオットセイが椅子に乗った。それから右のヒレを伸ばして、ぎこちなく演奏を始めた。
──シ・ラーソミ・ラソミレ・レソソラ
肝心なところでつかえるが、かろうじて童謡の『海』だとわかる。
──シシレ・シーシラ・ソミミレーラソ
間延びした演奏が終わると、ノザキは深々とお辞儀した。オットセイは、もらった魚を飲み込んで満足そうに一鳴きした。
「ママ、今の何?」
バックネット裏。そういった女の子の口を母親が押さえた。
静まり返った場内で、三塁側ダグアウトだけが盛り上がっていた。
「いいぞーーー!構想1年、訓練半年!見たか、これが海の新アトラクションだ!」
サルベージがガストンズの選手たちに向かって叫んだ。
「ワッハッハー!イノシシなんかクソ食らえ!」
ベンチの真ん中でマーチン監督が勝ち誇る。
「もうつまらんなんていわせないぜ!何だその顔は?驚いて声も出ないか?」
ノットは挑発するように腰をくねらせた。
ため息をついたショウタが、ゆっくりと観客席を見回した。
「こんなに静かな球場、初めて見ました」
腕組みして首を傾げる老人、眼鏡のレンズを拭く少年、ゆっくりと酒を流し込む男たち、レフトスタンドのファンたちさえ凍りついていた。
「……ダメだ、腹がよじれて動けねえ」
苦しそうに寝転んだニトロは、目に涙をためていた。
「あれは、冬鳥の旅立ちだね」
タカハシは手帳に何か書き込んだ。
「やる気をなくさせるのが目的なら、成功してるかもな」
アンガスの言葉に選手たちが大きくうなずく。
「いい演奏だったねー」
チャックだけは、うっとりと目を閉じていた。
「……マーチン、後で部屋においで……さあ試合開始だ!」
ガストンママのアナウンスが入ると、やっと球場に騒めきが戻ってきた。
4回表。0対1。ペイジとサルベージの投げ合いで、ゴールデンシップスがリードしていた。
「なあ、半年もオットセイと秘密訓練してたのか?」
左打席に入ったノザキにショウタがささやいた。
「ストラーック!」
初球のシュートが外角に決まる。
「そういえばお前、小5の時に飼育係だったよな?」
「……黙れ、この野郎」
2球目。ストレートが高めに外れた。
「ボール!」
ノザキは顔を真っ赤にして構え直す。その足の位置を見つめてショウタがサインを出した。
「あの時は、ニワトリだったか?」
「うるせえぞ!」
3球目の緩いカーブが真ん中に入る。
「ストラーック!」
「かわいがってたよなー、お前」
4球目。外角のスライダー。
ノザキがバットを滑らせて腰を曲げた。バントしたボールが真正面に転がる。ショウタはマスクを外して立ち上がった。
「くらえ!」
そう叫んだノザキが地面を蹴って宙返りを決めた。驚いたショウタがよろける。ボールをつかんでファーストに投げるが、一瞬早くノザキがベースを駆け抜けた。
「ハッハッハ、バーカ!バーカ!」
ノザキは何度も飛び跳ねて笑った。悔しそうにノザキを睨むショウタ。マウンドから降りてきたペイジが、その肩をグラブで叩いた。
「おい、遊んでんなよ!」
「はい、すいませんでした」
ショウタはキャッチャーマスクを拾い上げて、もう一度ノザキを睨みつけた。
7回裏。外角球を見極めたニトロが一塁に向かった。
「よお、ブラザー!」
待ち構えていたようにノットが声をかける。
「昼間にな、コユキからうちのカミさんに連絡があってな」
「ああ、そうか」
ニトロは生返事をしてリードをとった。
「それがな、大事な話らしくて」
マウンド上のサルベージがプレートを外して牽制球を投げた。
ベースに戻るニトロ。捕球したボールを投げ返すノット。
「お前、新しいバーに通ってるんだってな?」
「ヘイ、兄貴。あの店のことはワイフは知らないはずだ」
ニトロはピッチャーを見たまま顔をしかめた。
「それでな、コユキがまた怒ってるっていうんだ」
ノットは心配そうな顔をしてみせる。
「ブラザー、油断しないほうがいい。何か見落としてないか?」
サルベージがまたファーストにボールを投げた。
「ほら、思い出してみろって」
ニトロが考え込むのを見て、ノットがピッチャーに返球するふりをする。
「そういわれても、わからないな……」
ニトロは、またリードをとった。
腿の辺りにグラブが触れるのを感じた。
「アウト!」
塁審は淡々とコールした。場内に歓声と罵声が飛び交った。ノットは手を叩いて大笑いしている。
「ハッハッハー!いったばかりだろ、油断するなって!」
「汚ねえぞ、兄貴!作り話なんかしやがって」
噛みつきそうな顔をしたニトロは、帽子をとって握りしめた。
急に真顔になったノットがいう。
「いや、コユキの話は本当だぞ?」
固まったニトロは、背中を丸めてダグアウトへ帰っていった。
9回裏。スコアは2対2の同点だった。
先頭打者のザイオンがフォアボールを選ぶ。力投を続けていたサルベージの顔には汗が噴き出していた。
続くダイクが左打席に入った。
「おっと、誰だ?」
サルベージが、わざとらしく目を細める。
「なんだ、ダイクか。小さくて見えなかったぜ!」
ダイクは無言で構えた。
初球は外角低めのストレート。
「ストラーック!」
「おっと、腕が短くて届かなかったか!」
サルベージは肩で息をしながら大声で挑発した。
「ダイク、気にするな!ぶちかましてやれ!」
ボックがベンチから声を上げた。
2球目。内角をえぐるスライダーにダイクが後ずさった。
「ボール!」
「おいおい、親切で近めに投げてやったのに振らないのか?」
3球目。スプリットがワンバウンド。ミットにボールが入ってからダイクがフルスイングした。手から滑り出したバットがサルベージに向かって飛んでいく。
ぎりぎりのところでバットをかわしたサルベージは、グラブを叩きつけてダイクに向かっていった。ヘルメットを投げ捨てたダイクも猛然と突っ込んでいく。
両軍の選手たちが一斉にダグアウトを飛び出した。騒然とするスタジアム。興奮した一団が、ライトスタンドからフィールドへ降りてきた。同時にレフトスタンドの観客もフェンスを乗り越える。
「この野郎!」
「やりやがったな!」
「ふざけやがって!」
マウンドを中心に、両軍の選手とファンが揉み合う。ダイクとサルベージ、ショウタとノザキ、あちこちで殴り合いが始まった。
「やめろ!やめろって!」
ボックはコジローたちと協力して割って入るが、乱闘の熱は冷めない。酒瓶を抱えた男たちが、次々とグラウンドへ入っていく。ボックはライトポールを見上げた。FBはいつものように止まり木にとまっているだけだった。
選手も観客も、目を輝かせて大暴れしている。にやりと笑ったモグラが、そっとフェンスを開いてイノシシを放った。その後ろからオットセイもペタペタとついていく。
サルベージの胸元をつかんでいたダイクが、イノシシを見て慌てて走り出した。
「こっち来るんじゃねえよ!」
逃げた先にいた選手や観客たちがダイクに叫ぶ。小魚の群れを追うように、イノシシは右へ左へ牙を振り回した。
息を切らしてベンチに戻ってきたボックの横で、タカハシが忙しくメモをとっている。バットスタンドの上に立ったゲン爺は、腕組みしてフィールドを見渡していた。
「ボックや、何人殴った?」
水筒を手にしたボックは投げやりにこたえた。
「3人」
頭から水をかぶるボックにゲン爺がいった。
「野球は死なず、じゃな」
WBLのモニタールーム。物音ひとつしない部屋の中で、モニターのひとつが大乱闘を映し出している。「警告フラグLEVEL4」。赤い文字列が繰り返し画面を横切っていった。




