step12 禁断の一手
step12
じっとりと湿気がまとわりつく夜。コジローが経営するバーに、ガストンズの選手たちが集まっていた。あらゆるものがピンクの店内で、全員がガラステーブルを囲んでいた。
「ヘイ、みんなこれを読んだか?」
言いづらそうに口を開いたニトロが、テーブルの上に新聞を投げ出した。
──IBL人気球団に八百長の疑い?
全員の視線が大きな見出しに集まった。
「何だ、この記事は」
驚いたボックが声を上げた。
「誰が信用するのよ、こんなもの」
エプロン姿のコジローが指先で新聞を弾く。
少し考えてからショウタがつぶやいた。
「この街の人間以外……でしょうか」
「観客が減って、賭け屋が手を引いて……ちょっと、冗談じゃないわよ!」
コジローは慌てていった。
「流れ者チームと試合したあたりから、妙なことが続いてるな」
ダイクはボックを見た。
「ああ、あの試合はおかしかった。全部つながってるような気がする」
頭の上で手を組んだアンガスがいう。
「でもな、今までだってWBLに睨まれるなんて何度もあったじゃねえか」
「それはそうだけどな」
ジョディーは小皿のナッツを口へ放り込んだ。
「まあ、また俺の勘違いかもしれない。とりあえず飲みながら話そうぜ」
ニトロが静かにジョッキを持った。
口々に意見をいったり悪態をついたりしながら、選手たちは酒をあおった。キッチンではコジローが忙しく料理を作っている。酔いが回ったニトロが、カラオケで古いポップスを歌い始めた。
「そういえばチャックさん、この前のラジオ聞いた」
セイヤが箸を置いた。
「おー、サンキュー!サインなら書くよ?」
チャックは誇らしげに胸を叩いた。
「……僕もFBの家いきたかった」
セイヤは恨めしげな顔でじっと見る。
「お?お、おー!また今度ねー、次こそはねー!」
チャックはセイヤの皿に次々と料理をよそった。
「ニトロ、ひとついいか?」
ミラーボールに照らされたニトロに向かって、ダイクが人差し指を立てた。
「リクエストか?」
「違う、アホ!ここにはザイオンがいねえ。呼ばなかったのか?」
「声はかけたけど来なかったんだ」
「そうか。それならいいんだ」
ダイクはうなずいて徳利を振った。
「だからな、海の奴らはクソだっていうんだよ」
アンガスが新しいジョッキに手を伸ばした。
「そうだな。この前なんか、こっちが切った木が曲がってるって文句いいやがった」
ジョディーの前にも空のジョッキが並んでいる。
「わかるぜ、あいつらは文句が多い!」
悔しげな顔をするアンガス。
「でもなジョディー、俺たちは野球選手だ。仕事の恨みは試合で晴らそうぜ」
「いいこというじゃんか。さあ、飲め飲め!」
ジョディーはアンガスの肩を叩いた。
アンガスは一息にビールを飲み干した。
「よしっ、決めたぞ!次の試合でサルベージの頭にぶつけてやる!」
動きを止めたジョディーが冷ややかにいった。
「そういう意味じゃないだろ」
アンガスは、ますます顔を赤くしてうなだれた。
いつもの賑やかさが戻った頃、すっかり酔っ払ったボックが立ち上がった。
「あの、あのさ、聞いてくれ。俺のせいかもしれない!」
「ヘイ、何だ急に?」
気持ちよく歌っていたニトロがカラオケの音量を下げた。
「みんな聞いてくれ!この前、FBを追いかけていく怪しい車を見た!」
コジローがジョッキを置いた。
「それでどうしたの?」
「……追いかけた」
ジョディーが唾を飲んだ。
「追いかけて?」
ひとつしゃっくりをしたボックが小声でいった。
「……ブロックをぶつけて事故らせた」
アンガスが吹き出した。
「お前ヤバい奴だな!」
「ハッハッハー!このクソ記事は、そのせいかもしれないな!」
ニトロが腹を抱えた。
「おいおい、まずいだろ。大丈夫なのか、それ」
ジョディーだけは心配そうに眉をひそめた。
◇
セキドーム球場。稲妻型の水面に三日月が揺れていた。外野の芝の上を、のそのそとセミの幼虫が歩いている。
ザイオンはフェンスに沿ってゆっくりとランニングしていた。
バックネットに差しかかったところで、後ろから声がする。
「足は前に出とる。だが、心は同じところじゃな」
どこから現れたのか、ゲン爺が立っていた。
走り続けるザイオンの顔から汗が滴り落ちる。
「ザイオンや、お前は止まっておる」
「確かに遅いが、俺は走ってる」
「走っておるのは、悩みだけじゃ」
思わず立ち止まったザイオンは、じっとゲン爺を見つめた。
「わかるか?そこからは動けん」
ゲン爺は穏やかな目をしていた。ザイオンはサウナで受け取ったメモを思い出してその場に座り込んだ。
──ガシャン!
三塁側から大きな音が響いた。立ち上がったザイオンが歩き出す。
ダグアウトの中を見回すが何の異変もない。通路を進んで真っ暗なウォーミングアップ室に入った。濡れた床から鼻をつく匂いが立ち上っていた。
壁の鏡に小さな光が映った。
「誰かいるのか?」
そういった瞬間、白いシャツを着た二つの人影が飛び出してきた。ザイオンは、とっさに片方の前に足を出した。つんのめった男の布袋から円筒形の装置が床に落ちた。
「バカ、まだ早い!」
もう一方の男が叫ぶ。目を見開いたザイオンは、男たちの後を追って球場の外へ続く通路を走った。
装置のランプが点滅する。蓋がゆっくりと開いて青白い光が弾けた。
──ドン!
轟音とともに三塁側ベンチから炎が噴き出した。衝撃で天井が吹き飛んで、赤い波がスタンドを包んでいった。
燃え上がった炎はバックネットにも絡みつく。炙られた繊維が縮れて糸のように垂れ下がった。
火がついた座席から樹脂が染み出している。三塁側から一塁側まで、あっという間に炎の壁ができた。
「クソっ!」
警報音が鳴り響く。別の通路からグラウンドに戻ったザイオンは歯を食いしばった。湧き上がる黒煙の中に目を凝らすと、マウンドで立ち尽くしているゲン爺が見えた。
「大丈夫か?」
ゲン爺は返事をしない。スタンドを駆け上がった炎は、壁を伝って無数の触手を天井に伸ばした。杉板の継ぎ目に入り込んだ炎が梁から梁へ伝って、天井の一角を飲み込んでいった。
「あれを使おう!」
ザイオンはゲン爺の背中を押した。
「……ここにいさせてくれんか」
ゲン爺はすがるような目で、一塁側ダグアウトの上に何かを見ていた。
「何をいってるんだ!早く!」
ザイオンは声を荒くした。大木が切り裂かれるような崩落音。燃えた梁が折れて、火の粉を撒き散らしながら落ちてくる。ザイオンはゲン爺を抱えて身をかわした。
「……今度こそ、あの娘を助けんと」
ゲン爺の記憶が、目の前の景色に重なる。大災害。崩れ落ちるビルに消えていく孫娘の姿。助けを求める叫び声が聞こえる。ザイオンの腕をすり抜けたゲン爺は、ダグアウトまで駆けていってそのままスタンドの炎へ飛び込んだ。
「ゲン爺!」
ザイオンはグラウンドに埋め込まれている放水銃を両手で持ち上げた。重いレバーを引いて噴き出す水を必死にゲン爺が消えた方へ向ける。
──ギャアーーーーー!
金属を擦り合わせるような音が聞こえた。
ザイオンは目を細めて上を見た。黒煙を割って青い炎が突っ込んでくる。すぐ横にFBが降り立った。
「頼む……ゲン爺を助けてくれ!」
ザイオンが叫んだ。FBは大きく翼を広げて、力強く地面を蹴った。そして渦を作りながらスタンドの炎に溶け込んでいった。
球場の外では旧式の消防車が並んで、消防団が懸命に放水していた。夜空に立ち上る黒煙の間で、異様に明るい炎が躍っている。
「何してるんだ!車をどけろ!」
場違いなテレビ中継車が作業を妨げて、若い団員に怒鳴られていた。
長い時間が過ぎてから、火は消えた。
引き上げてくる団員たちの顔は真っ黒に汚れていた。焼け焦げた樹脂の匂いと白く立ち上る煙。崩れた屋根の骨組みから、ボタボタと大粒の水滴が落ちる。
規制線の向こうに、駆けつけた街の人々が立っていた。どの顔にも表情はなく、ただお互いを支え合っていた。
年老いた団員が球場を見上げてつぶやいた。
「俺たちの宝物が……」
汚れた顔に涙の筋ができた。




