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step8 教えるということ

step8


 アスナロ亭のキッチン。メモを片手に、真剣な顔つきのボックが寸胴鍋を見守っていた。


「見ろよ、ララ。ボックが切ったやつを」

 調理台の前にいたマスターがいった。

「あらあら」

 ララがイチョウ切りのダイコンをつまみ上げると、万国旗のようにつながっていた。

「ママ、私にも私にも!」

「こら、マナ。危ないから向こうで座ってなさい」

「キャハハ、ボック切るの下手!」

 マナがボックにじゃれついた。エプロン姿のボックは、しゃがんでマナと目線を合わせた。

「俺が下手なんじゃない。パパが天才なんだよ」

「天才?パパ天才?」

 マナは目を輝かせた。

「ああ、天才だ。パパの作る料理はどれも旨いからな」

 マスターが上から二人を覗き込んだ。

「いいや、ボックが下手なだけだ」

 立ち上がったボックは顔を赤くした。

「出汁はとったんだよな?」

「はい、いわれた通りに」

 マスターは鍋の蓋をとると首を振って、鷲掴みにしたカツオ節を足した。

「そんなに入れるのか」

「何いってやがる。料理っていうのはな、食う奴らの身体に栄養を叩き込むんだ。ケチケチしていられるか」

 ボックはうなずきながらメモをとった。

「それにしても」

 笑いを堪えたララが口元に手をやる。

「こんなにエプロンが似合わない人もいないわね。ユニフォームはチームの誰より似合うのに」

「違いない!」

 マスターが豪快に笑った。


 夕時のクラブハウスには、昼の仕事を終えた選手たちが集まっていた。

「待たせたな!」

 ドアを開けたマスターの後ろから、ワゴンを押すボックが続く。

「おっ、待ってました。今日はなんだ?」

 読んでいたファッション雑誌を放り投げて、ジョディーが立ち上がった。

「こいつは、練習より飯が目当てで来てるからな」

 爪にヤスリをかけていたアンガスが近づいてきた。

「今日は特製の豚汁だぞ。ボックに手伝ってもらって作った」

「えっ、ボックさん料理までできちゃうんですか?」

 ショウタが尊敬の眼差しを向けた。

「いいや、できないことを思い知らされた」

 ボックは顔の前で手を振った。

「なかなかのもんだったぞ。とにかく、味つけはボックに任せた」

 マスターは寸胴鍋をテーブルに乗せながらにやにや笑った。


「では、いただきます!」

 最初に箸をつけたのはジョディーだった。

「どうかな?旨いか?」

 おずおずとボックがきく。目を閉じて味わってからジョディーがいった。

「うーん、何というか……」

 一口食べたアンガスが続ける。

「うんうん、何というか……」

「どうなんだよ、二人とも」

 ボックは不安そうにきいた。

 少し考えてからジョディーがこたえた。

「これだけはいえる。マスターのとは違うな」

「気がついたか?隠し味にケチャップを入れてみたんだ」

「まあ、隠れてないけどな。とりあえず自分で食ってみろ」

 アンガスが椀を差し出した。みんなに見守られながらボックが口をつける。

「うーん……85点くらいかな」

 アンガスがボックの顔をまじまじと見た。

 遅れてきたセイヤが、豚汁を一口すすってからつぶやいた。

「不味っ」

 耐え切れず、みんなが吹き出した。


 奥の応接セットで、リンコが誰かと話している。

「これが新しい中継システムの仕様書です」

 背中を向けて座っている男が、リンコに冊子を渡した。

「ありがとうございます」

「街の賭け屋を何軒か回ってきましたが、うまく受信できないという声がありまして」

 お茶をすする作業服姿の男はクルーンだった。

 リンコは冊子をテーブルの上に置いて、眉間にシワを寄せた。

「正直いいまして、財政状況が苦しくて……」

 クルーンは満面の笑みでこたえた。

「でしたら、今回は特別に無償で提供しましょう。大人気のガストンズさんに採用していただければ、宣伝にもなりますから」

「そうですか……では、お願いします」

 クルーンは腰を浮かせて、握手を求めた。

「いやー、ありがとうございます!では、最短で取り付け作業をします」

 わいわいと料理の感想を言い合いながら、豚汁を頬張る選手たち。ドアの前で深々とお辞儀したクルーンは、ボックの背中をしばらく眺めていた。それから小さく笑った。


   ◇


 夜のセキ木造ドーム球場。バックネットに「よい子の野球教室」という手書きの横断幕が括りつけてあった。グラウンドに立つ参加者たちは、それぞれバットやグラブを手にしていた。


「はーい、みんな!集まってねーん!」

 コジローが手を上げて、全員を横一列に並ばせた。ガストンズの選手たちも対面に並ぶ。

「ヘイ、みんなよく来たな。今日は楽しもうぜ!」

 参加者の顔を端から見ていったニトロは、よれよれのジャージにたすき掛けをした老婆に目を留めた。

「おい、あんたサウナ屋のギンさんだよな?」

「誰じゃそれは?ワシはキン、17歳じゃよ」

 婆さんは慌てて顔を隠した。

「いろいろ嘘吐くんじゃねーよ!ここは健康センターとは違うんだぞ」

 ダイクが舌打ちした。

「あれ?」

 ショウタが見つけたのは、マッケンジーと呼ばれた青年だった。

「婚約できたお礼にスイカを持ってきたんだけど、野球教室やるって聞いてさ」

 ジョディーがマッケンジーを指差した。

「おいお前、まさかこの前のでいけるとか思ったんじゃねえだろうな?野球なめんなよ?」

 他にも混ざっていた数人の大人が、自分は違うというように顔を背けた。

「あー、もういい。さあ始めるぞ!」

 面倒そうにニトロが叫んだ。


「うぇーん!」

 顔を覆って泣きじゃくる女の子。困り果てたアンガスが頭を撫でる。

「おい、頼むからもう泣くなって」

「あーあ、アンガスが泣かせちまった」

 腰に手を当てたジョディー笑う。

「俺じゃないだろ!お前の言い方が怖かったんだよ!」

「何だと!そんなわけないだろ!」

 頭にグラブを乗せた小さな男の子が進み出てきた。

「ウルトラチョーップ!」

 足を攻撃されたアンガスは慌てる。

「お、おい!違うんだ。悪の手先はこのお姉さんだぞ。さあ遠慮なくやっちまえ!」

 男の子はジョディーを見ながらしばらく考えて、また無表情でアンガスにチョップした。

「あははは!やられろ、悪者め!」

 勝ち誇るジョディー。通りかかったショウタがいった。

「何やってるんですか、顔が怖いコンビで」

 二人はものすごい形相でショウタを睨んだ。 


「はいっ、あと10!」

 ダグアウトの前では、コジローの号令に合わせて子どもも大人も腕立て伏せをしていた。

「ラスト3、2、1!」

 神妙な面持ちのコジローがアームを伸ばして、マッケンジーの背中を地面に押し付けた。

「あら残念!あんたはあと10回ね!」

 汗だくで突っ伏したマッケンジーが振り向いていった。

「今、誰か押しただろ!」

 後ろにいた参加者たちが首を横に振る。マッケンジーは納得がいかない表情で腕立てを続けた。

「ラスト3、2、1!」

 再びコジローのアームが背中を押した。

「誰だ!いい加減にしてくれよ!お前だろ?」

 息を切らしたマッケンジーが怒鳴った。横にいた女の子が、そっとコジローを指差した。

「てへっ!ごめんなさいね!アタシったら幸せな人がいると妬けちゃうのよねー!」

 舌を出すコジローを見たマッケンジーは地面にへたりこんだ。


 「ほい、次!」

 サードにノックをするダイクの前に現れたのは、ギン婆さんだった。

「ちっ!来やがったな」

 しばらく睨み合う二人。寂しげな風の音、丸まった枯芝がフィールドを横切った。

 ダイクが動いた。ありったけの力でボールを叩く。三塁線に鋭い当たりが飛んだ。

「おほほほ!」

 サイドステップしたギンは華麗に打球をつかむと回転して立ち上がった。

「……やるじゃねえか、婆さん」

 苦い顔をしたダイクに向かって、ギンが親指を立てる。

「年寄りなめんなよ!」


「あの、お願いします!」

 ティーバッティングの指導をしていたボックのところに、緊張した様子の少年がやってきた。

「君は、この前の」

 いつか街で握手した坊主頭の少年だった。

「はい!」

「じゃあ、まず打ってみてくれ」

 ボックはティーの上にボールを置いた。少年は深呼吸するとボールを叩いてボックを見上げた。

「そうだな、まずバットは振り回すものじゃない。腕にくっついた棒なんだ。そう思いながらもう一度」

「はい!」

 少年はうなずいて、またボールを叩いた。少しだけスイングが鋭くなった。

「そうだ、その調子」

 3球、4球、テンポよく打ち続ける。


ボックは不意に子どもの頃に父親とした練習を思い出した。日暮れまで続けたティーバッティング。だが父親の顔がうまく浮かんでこない。親父もこの街で野球を見ていたんだろうか。我に返ったボックは、思わずその時かけられた言葉を口にした。

「よし、いいぞ!このまま頑張れば10年後にはスター選手だ」



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