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step6 街の心臓

step6


 次の朝、ボックは球場のロッカールームで目を覚ました。タカハシの長い話の後に練習に戻って、そのまま寝てしまった。

 ボックは顔を洗ってから外へ出た。

 爽やかな空気の向こうから、エンジン音が聞こえてきた。

「あっ、おはようございます、ボックさん」

 リリーフカーを運転するリンコが現れた。後ろにつながれた台車は、木の板や工具で一杯になっていた。

「昨夜は、お見苦しい所を……すいませんでした!」

「いや、大丈夫だ」

 ボックは目を擦りながらいった。


「なんだ、あんたか」

 今度は背後から声がした。振り向くと角材を担いだザイオンが立っていた。朝の光を背に受けて、その影が長く伸びている。

「背が高いのが必要だ。付き合え」

 ザイオンは淡々とした口調でいった。


 球場の屋根の上に出るには、まずバックスクリーンの裏から階段を上る。踊り場の先からは急な梯子が続いていた。

「もう何枚か持てるか?」

 角材を背負ったザイオンが六角形の板を顎で指した。

「ああ」

 ボックは板を抱え直した。樹脂で固められた屋根材は見た目よりずっと重い。二人はそのまま梯子に向かった。

 屋根の上は強い風が吹いていた。縦横に渡した木材は細く、足元が揺れる。ハーネスを着けた二人は、その上を屈みながら進んだ。


 ノットの打球が破った場所は、ちょうどレフトの定位置の真上だった。

「派手にやられたな」

 そうつぶやいたザイオンは、後ろを向いて梯子の方へ戻っていった。

 ボックはささくれた穴の縁に近づいて、そっと覗き込んだ。遥か下のグラウンドでは、モグラが散水装置で芝に水をやっていた。稲妻型の水面に穴から漏れた光が反射していた。

 ボックは顔を上げて街の方を眺めた。手前の温泉街から立ち上る湯煙の向こうに、繁華街の露店が並ぶ。ゆっくり川を進む船、線路が交錯する操車場、火力発電所の煙突、そしてWBLの券売所が見えた。真四角の建物の横に黒い高級車が停まっていたが、ボックは気に留めなかった。


 足場が軋む音がした。

「大丈夫ですか?」

 修理道具を背負ったリンコがふらついていた。ボックは思わず手を差し伸べた。

 ザイオンが戻ってきて修理が始まった。

「そこ、押さえてくれ」

 板を吊るしたロープを引きながらボックがいった。ザイオンが上端を押さえボックが下側を合わせた。一瞬、板が斜めになる。

「上、もう少し右。違う、そっちから見て右だ」

 板がいい位置に落ち着いた。すかさずザイオンが釘打ち機を構えるが、打ち込む前にまた板がずれる。

「もう一度だな」

 ボックがロープを握った。

 風が止んでいた。だんだんと霧が立ち込めてきて、進まない作業を続ける3人を包んでいった。


 やっとのことで仕事を終えた3人は、踊り場で黙々と片付けをしていた。

 ボックが口を開く。

「あの裂け目に水を張ったのはどうしてなんだ?」

 ロープを束ねながらリンコがこたえた。

「オーナーの指示でやったんです。私は反対したんですが」

「客寄せの名物を帰らせたくなかったってことか」

 ボックも手を止めない。

「いろいろ考えがあったんだと思います。思慮深い人なので」

 また沈黙が続く。

「この球場は、街の心臓だな。良くも悪くも」

 不意にザイオンがいった。


   ◇


 セキの街が、ゆっくりと止まる。


 線路の脇で油にまみれた男が、のっそり立ち上がった。魚を捌いていた女は静かに包丁を置く。酒を飲みながら大声で話していた男たちは店の前へ出た。

 十字路の雑踏にいたボックは、見知らぬ人々の列に入っていった。

 加工所では、ショウタとセイヤが帽子を脱いで背筋を伸ばしている。

 球場の外周路で、立ち止まったリンコがうつむいた。


 正午。鎮魂のサイレンが小さく鳴り始めた。雲ひとつない広い空。やがて大きくなった音は、街から川へ、川から山へ、うねるように渡っていった。

 南向きの草原を埋め尽くす数百の墓標に風が吹いた。悲しみで叫び出しそうになるのを誰もが耐えている。


 20数年が経とうとしていた。海が割れ、山が砕け、世界の地形が変わってしまった日。

 子どもたちと並んだコジローは、遠くを見つめながら左腕をさすった。

 球場のマウンドにいたゲン爺は、打ちひしがれたように座り込んで一塁側ベンチの上に小さな女の子の幻影を見る。

 赤ん坊を背負った女と二人の少年。ニトロは家族の肩を抱きながら静かに涙を流した。


 サイレンが徐々に消えていく。

 みんなが目を開いて顔を上げる。

 そして、街は再び動き出した。


 その夜、ボックは橋のたもとにいた。街中の通りに提灯が吊るされて、賑やかな音楽が流れている。屋台の煙を夜風が運んで香ばしい匂いが漂っていた。

「お待たせしました」

 浴衣姿のリンコは髪を下ろしていた。ショウタとセイヤは、両手にイカ焼きとトウモロコシを持っている。ボックも並んで歩き出した。


 広場には、すでに踊りの輪ができていた。真ん中のステージで、和太鼓とホーンの編成が力強い音を出している。民謡とスカが溶け合ったような曲。バンドの中でチャックが無心にコンガを叩いていた。

 ヒョットコの面をつけた男とオカメの面をつけた女が飛び出して、何かに取り憑かれたように踊り狂う。人間離れした動きに周囲から大きな歓声が湧いた。

「ほら、ボックさんも!」

 ショウタが背中を押した。

「いや、俺は……」

 言い終わる前にセイヤが腕をつかんだ。

 踊りの輪を作る街の人々は、一心不乱に振りを合わせていた。

「おっ、ガストンズじゃねえか」

 伊勢屋の親父が4人に気がついた。ボックは軽く頭を下げる。

「あんたも踊ってくれるのか。嬉しいねー!」

 そう笑った顔もすぐに真剣な表情に戻った。


 祭りの灯りの外、ザイオンが神社の石段に座っていた。背中を丸めたザイオンは大きくため息をつく。それから何かを断ち切るように頭を左右に振った。

 しばらくすると、ガストンズの帽子を被った子どもたちが駆け寄ってきた。

「あっ、ザイオンだ!」

 女の子が腕を引く。

「早くこっち来いよ!」

 ザイオンは少し戸惑ってから子どもたちに従った。

 小さな手は容赦なく広場へ引っ張った。

「待て、待ってくれ」

 ザイオンは、そのまま踊りの輪の端に押し込まれた。

「さあさあ、こっちだよ!」

 周りの人々から温かい声がかかった。ヒョットコが近づいてきて、古く擦り切れた扇でザイオンの頭を撫でた。地面に落ちた一際長い影が、やがて控えめに踊り出した。


 河原では、大事そうに灯籠を抱えた子どもたちが列を作っていた。先頭の姉妹の灯籠に火が入って、柔らかい光が生まれた。二人は川に向かって屈むと、優しく灯籠を押し出した。それから両手を合わせて祈った。

 ひとつ、またひとつ。美しい光が川面に浮かんで、ゆっくりと流れていく。リンコが静かに手を合わせた。ボックは、ただ無心にその光景を眺めていた。


 不意に大きな光の筋が天に昇って、大輪の花が咲いた。遅れて空気を震わせる轟音。次々に打ち上げられる花火が、スローモーションのように重なっていった。口を開いて見惚れる子どもたちと、その横顔を見て微笑む両親。見上げるボックたちの瞳にも、七色の光が映っていた。

 最後の三尺玉が開いた。丸く飛び散った光の粒が闇に戻る時、空を炎の筋が横切った。FBは残光と戯れるように自由に宙を舞った。

「……ありがたい」

 その姿に手を合わせる老夫婦の頬に涙が伝った。


 祭りが終わった。FBが飛び去った夜空に、ぼんやり光る三日月と無数の星々が浮かんだ。


   ◇


「おい、何エラーしてんだチビ!」

 9回表ツーアウト。三塁側の内野席にいた客が叫んだ。相手チームの打者が引っかけた打球を、ショートを守るダイクが弾いたのだ。

「アホだな。ダイクの背丈に触れていいのはママだけだ」

 そういったジョディーが、セカンドベースに座り込んだ。

 ダイクは、ドクロの刺青を入れた青年に向かって一直線に走っていった。

「おいこらお前!そこのクソ野郎、今なんていいやがった!」

 フェンスに身体をあずけたダイクが、青年の鼻先で怒鳴る。駆けつけたボックが間に入った。ニトロやコジローは、のろのろと歩いてくる。大差のゲーム展開に緩んでいた球場に騒めきが広がっていった。

「こういったんだ!チビ!」

 青年の汚れた作業服を若い女がつかんでいた。

「やめろ!」

 ボックが大声を上げた。

「いいや、やめねえ!俺は、今夜ゲン爺さんの完封に賭けたんだ。この女の親父と勝負してる。俺たちは絶対に一緒になるんだ」


 ボックが押さえていたダイクの身体から力が抜けた。思い切り吹き出してからニトロがいった。

「ヘイ、そいつは仕方ないな」

 そうにやつきながら、コジローを見る。

「そうねー、仕方ないわね」

 同じような顔をしたコジローがゲン爺を見る。

「そうじゃな」

 ゲン爺はうなずいてから青年にいった。 

「おおマッケンジーや、お前はこの老体に期待してくれとるのか。ただし大の大人が他人任せじゃ、ちと困るな。よし、お前がショートをお守り」

 青年は驚いて、考え込んだ。

「わ、わかったぜ。だけど、俺はそんな名前じゃないぜ」

 ゲン爺は黙ったまま、むくれたダイクからグラブを奪い取った。


 場内には何のアナウンスもない。

「もういいだろう」

 煽るような騒めきの中、バックネット裏に座っていた二人組が席を立った。セキの街では珍しい上等な白いシャツを着た男たちは、早足で出口へ向かった。


 フェンスの隙間から、竹の束を抱えたモグラが現れた。

「これは?」

 そうきいたボックに、モグラが竹竿を押し付けた。

 バッテリーを除く野手全員が、裂け目の縁にぐるりと座った。

「さあ、フィッシングタイムだ!」

 ニトロが仕掛けを投げ込んだ。セイヤとチャックは、水中に小さな魚を見つけてはしゃいでいた。ダイクはぶつぶついいながら、木枠に飛び出した釘を脱いだスパイクで打ち付けた。


「プレイ!」

 スタンドの騒めきは、指笛混じりの歓声に変わっていた。がらんとしたフィールド。ショートの守備位置で、入れ墨の青年が青白い顔をしてグラブを構えている。

 ゲン爺が振りかぶった。憮然とした打者はバットを短く握る。

「ストラーック!」

 アウトローのストレートに空振り。釣り竿を置いたジョディーが、ホームに背中を向けたまま拍手した。当然のように、一塁ランナーは一気にサードまで進んだ。

 2球目は、沈むボールにタイミングを外されて空振り。場内にどよめきが広がる。

 ゲン爺が手招きして、青年を自分の横に立たせた。

「さあ、決めるぞい」

 3球目。ゲン爺は高く足を蹴り上げる。内角低めのシンカー。ボールが縮こまったバットに当たった。スタートを切っていた三塁ランナーが突っ込んでくる。青年は必死に目の前のボールをつかんで、ショウタのミット目掛けて身体ごと倒れ込んだ。


「アウト!ゲーーームセット!」

 球場中から大きな歓声が湧き上がった。肩で息をしている青年が、ゲン爺に促されてスタンドの女に手を振った。

「いいぞー、マッケンジー!」

「ふざけんな、マッケンジー!」

 あちこちから祝福と罵りの言葉が飛んだ。パークビジョンの中で、青年が拳を突き上げる。踏み鳴らす足音でスタンドが揺れた。ゲン爺が、得意の手品でグラブから花を出して青年に渡した。

「終わったみたいだな」

 ニトロが釣り竿を置いた。

「けっ、クソガキが!」

 ダイクが立ち上がった。

「愛ね、愛の力ね」

 コジローが胸に手を当てた。

「別れればいいのに」

 ぼそっとつぶやいたセイヤを全員がじっと見た。


 帰り道、アスナロ亭に向かう選手たち。ボックは立ち止まってゆっくり振り返った。照明が落とされたセキドーム球場は、いつものようにそこにあった。

「勝負にもいろいろある……か」

 そういったボックの口元が少しだけ緩んだ。



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