step4 この街で生きる
step4
ひんやりした朝の空気。湿った針葉樹の匂いがボックの鼻をくすぐった。
「おはようございます!」
斜面を下ってきたボックの姿を見つけて、ショウタが手を振った。
川沿いの木材加工場は、思っていたよりもずっと大きかった。ボックはショウタに案内されて建物の中へ進んだ。
甲高い音をたてて回転する刃、材木を引きずる音、大きな怒鳴り声、男たちはとっくに仕事にとりかかっていた。
「おーい、来たのか?」
声がした方に向かってショウタが手を上げた。
「あれが工場長、僕の父ちゃんです」
奥からごつい男が近づいてきた。
「ようこそホームラン王!息子は俺よりあんたを尊敬してる」
日焼けした太い腕には無数の傷跡があった。
「ボックです、よろしく」
握手した手を離さず力を込める二人。
「おお、ここの仕事にも向いてそうだ」
「頑張って働きますよ」
「材木はバットみたいにはいうこときかねえぜ」
ボックは笑みを浮かべてうなずいた。
「とりあえず、あっちで角材を運んでもらおうか。おい、教えてやってくれ」
工場長が、すぐそばにいた青年に声をかけた。
「……あ、はい」
顔を上げたのはセイヤだった。
「なんだ、いるならいってくれよ」
「実は地元の後輩なんですよ。ガキの頃から一緒で」
ショウタが照れくさそうにいった。
「じゃあ、早速手伝わせてくれ」
ボックとセイヤは、息を合わせて材木を持ち上げた。あまりの重さによろめくボック。担ごうとするがうまく肩に乗らない。
「これは……いいトレーニングになるな」
「ボックさん、意外と不器用」
セイヤはくすりと笑った。
加工場の外が騒がしくなった。木材を運ぶ船が真っ黒い煙を上げながら桟橋についた。
「おーい、セイヤ!」
髪を短く刈った青年が、ずかずかと入ってきた。
「ノザキ……」
セイヤが消え入るような声でいった。
「なんだよ、その顔は。相変わらず変な奴だな」
青年はボックに視線を向けた。
「ああ、あんたが噂の」
「噂?」
「ガストンズの新入り。元WBLのスター候補」
ボックが軽く睨みつけても、ノザキは口を閉じない。
「へえ、いいご身分だな。野球やって気が向いたら労働体験か」
駆けてきたショウタが慌てて口を挟む。
「黙れよ、ノザキ!」
「俺たちはこれが毎日だ。野球は仕事の次だ」
「うるさい!とっとと今日の分を積んで帰れ!」
ショウタが怒鳴りつけた。
「いわれなくたって帰るさ。火がついた鳥の化け物に食われる前にな」
ノザキはそう言い放って戻っていった。
「ボックさん、すいません!」
ショウタが頭を下げる。
「あいつは海の奴で、山と海は仲が悪いんです」
「そうなのか。でも……あいつは間違ってないよ」
そういってボックはノザキの後ろ姿を見た。
太陽が真上に来る頃になると、ボックの全身は汗と木屑で覆われていた。真っ赤になった手のひらが熱をもって、指先がじんじんと痺れた。
「みんな、ぼちぼち昼休憩だ!」
工場長が大声でいった。
外に出ると、川から吹き上がってくる風が心地よかった。誰かのラジオが、デッドボールを受けたハチジョウが入院したと伝える。
「そういうことにしたのか」
ボックは吐き捨てるようにいった。
眉間にシワを寄せたまま腰を下ろしたボックは、握り飯を頬張って水を飲んだ。
「ボックさん!」
走ってきたショウタが隣に座った。
「どうですか、この仕事?」
ボックは少し考えてからこたえた。
「きついな。でも、ちゃんと形に残る。ここの材木はどこかの街の一部になるだろ?野球は終わったら消えるだけだ」
ショウタは目を丸くした。
「そんなものでしょうか」
ボックは立ち上がって工場を見た。この街で生きるということは、こういうことなんだ。そう感じた。
「もう少しやります!」
工場長に向かってボックは大声でいった。
「もう少しとはいわず、毎日でも頼むぜ!しかし、あんた物好きな野球選手だな!」
周りにいた男たちが笑った。
午後には、生木の皮剥きや長さを揃える加工、束にした木材をトラックに積み込む作業を手伝った。どれもうまくいかなかったが、ボックは懸命に仕事をこなした。夕方になると、少しだけ早く上がったボックたちは球場へ向かった。
◇
ユニフォームに着替えて、グラウンドに入っていく3人。
ボックの足が止まった。ファーストベースの辺りに炎の揺らめきが見えた。クチバシを開いて翼を広げるFBの横に、ノートを抱えたリンコが立っていた。
赤い陽炎の向こうで、二人は何か話している。しばらくすると、FBは納得したようにうなずいてライトポールの止まり木に向かった。
ボックは早足でリンコに近づいた。
「大丈夫か?」
「えっ?」
リンコは意外そうな顔をした。
「もちろん大丈夫です。ボックさん、彼はいい子なんですよ?」
ボックは安心したように息をついた。
「何か話を?」
「ええ、いつもの世間話ですが。あっそうだ、ボックさんにも用があるそうですよ」
リンコは慌てて付け足した。
「おお、今日は来とるのか」
二人の足元に、いつの間にかゲン爺が立っていた。
「ボックや、火の鳥とはなんじゃ?」
考え込むボック。
「わからないけど……いや、やっぱりわからない」
「いいか、あいつはただの火の鳥じゃ。火は珍しいか?鳥は珍しいか?いる、いない、いる……」
そう歌うようにいいながら、ゲン爺はどこかへ消えてしまった。
ニトロ、ザイオン、ジョディー、チャック、昼の仕事を終えたチームメイトたちが次々と現れた。まるで初めて球場に来たように、どの顔も楽しげだった。
各々が軽いダッシュやキャッチボールをする中、ボックは抑え投手のペイジを相手に打撃練習をしていた。スタンドには打ち込まない。止まり木のFBを意識して、センターからレフトへ流し打っていた。
不意にFBが空中に飛び降りて翼を広げた。それからフィールドに降り立って、転がっているボールをくわえて回った。
よそ見したボックの手が止まった。
「バッターアウト!」
ペイジがおどけて笑う。FBはジョディーとダイクの間を低く飛んで、マウンドのバケツにボールを入れた。
「サンキュー!」
ペイジが軽く手を上げる。
ボックは打ち続けるが落ち着かない。FBの動きに気を取られてボールが前に飛ばなかった。
ベンチでは、ザイオンが右膝にテーピングしていた。
「ヘイ、調子はどうだ?」
ニトロが声をかける。
「まあまあってところだな」
「ボックが来てからも、前と変わりはない。そろそろ信頼してみたらどうだ?」
ザイオンは手を止めてフィールドを見た。ボックの打球が力なく上がって、二塁ベースの手前にぽとりと落ちた。
「あれを、か?」
ザイオンはボックを指差した。
「何してんだ、まったく」
ニトロは肩をすくめた。
ダグアウトの前で、ショウタがリンコに駆け寄った。
「例のやつ、できましたか?」
「ちょっと待ってね」
リンコは大きな道具箱を漁った。
「じゃーん、捕球補助装置付きミット!」
取り出したのは、キャッチャーミットにコジローのアームをつなぎ合わせたような物体だった。
「これはね、ミットのセンサーが球を追って腕の筋肉に信号を送ることで、どんなコースでも……」
「はいはい、わかりました」
ショウタは奪い取ったミットを左腕に着けた。
「……かっこいい!」
リンコが優しく笑った。
「理論上は、ゲン爺の豪速球でもハヤタさんのスライダーでも対応できるわ。これでしっかり練習してね」
「さすが天才エンジニア!ありがとうございました!」
ショウタは嬉しそうに走っていった。
かなりの球数を打ってケージを出たボックは、ベンチの前に座ってストレッチをしていた。
上体を地面につけたボックの目に、何か明るいものが映った。少し顔を上げると、鱗に覆われた細い脚が見えた。
「……ホームラン……ゴメンナサイ」
鼓膜に触られるような声。FBが目の前に立っていた。ボックは起き上がろうとして、思い直してそのまま体を伸ばし続けた。
「い、いや、気にしないでくれ」
ボックが言い終わらないうちに、FBは飛び上がってライトの止まり木に戻っていった。
セカンドの辺りでニトロが叫ぶ。
「さあ、ぼちぼち海の奴らが来る!今夜もぶちかまそうぜ!」
「おう!」
グラウンドにいる全員がこたえた。




