step20 それぞれの意地
step20
4回表。1対4でベンジャーズがリード。スタンドでは色とりどりの団扇を持たされた観客たちが、大人しく試合を見守っていた。
ゲン爺は本調子とはいえず、速球にも変化球にも切れがない。ベンジャーズは、WBLから与えられたデータに従って得点を重ねた。対するガストンズは、ザイオンのソロホームラン以外はビショップに抑えられていた。
1アウト、ランナー一塁二塁。
初球。セットポジションから足を上げるゲン爺。外角のスライダーに吸い寄せられるように、ノザキのミットが激しく移動した。
「ストラーック!」
「いいぞ、やっちまえ!」
一塁側のダグアウトの上から、ニトロやアンガスたちが声援を送っていた。
2球目。同じ球が決まる。
「ストラーック!」
返球したノザキが左肩をさすった。
薄暗いロッカールーム、ノザキの前に立ったリンコが紙包みを押し付けた。
「前に開発した捕球補助装置付きミットです。これを着ければ、どんな球でも捕球できるはずです」
ノザキは包みを受け取って首を傾げた。
「そうか。でも何で俺に?」
リンコの後ろで、車椅子に乗ったショウタがつぶやいた。
「……お前がキャッチャーだからだよ」
驚いたノザキは、包みとショウタの顔を何度も見比べた。
「文句なんていわせないからな!お前に頼みたいんだ!」
ショウタは、涙で顔中くしゃくしゃにして叫んだ。その表情がノザキの中で少年時代のショウタに重なった。
「私からもお願いします!」
リンコは頭を下げたまま動かない。
長い時間が流れた。
「……ふざけんなよ」
ノザキは静かに包みを抱きしめた。
「それにしても、これ重過ぎだろ」
左腕が細かく震えている。ミットにつながった金属部分は肘まで続いていた。
3球目。ゲン爺のシンカーが右バッターの内角に落ちる。ノザキの手首を捻って、ミットが下向きになった。
「ストラーック!アウト!」
「ナイスキャッチ!」
拳を上げるニトロとアンガスの横で、車椅子のショウタとリンコがハイタッチした。
貴賓室のテラス席に、リーンとクルーンが並んで座っている。
「今夜は工作員の出番はなさそうですね。さすがに力が違う。ゴーゴー、ベンジャーズ!」
クルーンは双眼鏡を覗いたままいった。
リーンはため息をつく。
「Tシステムのフラグはまだ消えていません。なのに、あなたは」
「失礼しました。ご指示があればいつでも動かしますので」
クルーンは神妙な顔をしてみせた。
「まあ、私もセキのチームに勝ち目はないと考えていますが」
「幹部候補がそう予測されるなら、きっとそうなりますよ」
クルーンは組んでいた足を解いて前のめりになった。
「部長の優秀さは、組織の全員が知るところです。先日の燃え上がる球場の中継、視聴率が70%を超えたそうじゃないですか」
リーンの口元が歪んだ。
「当然でしょう。あなたと違って常に結果を予測しながら動いていますから」
「いやー、お恥ずかしい!私も見習わないと」
リーンの視線がフィールドに戻ると、クルーンはまた双眼鏡を目に当てた。
6回表。1アウト一塁三塁。
豪快に素振りをしたサンタナが左打席に入った。
「外野フライ狙いだ!初球気をつけろ!」
ダグアウトからザイオンが大声を張った。
「プレイ!」
額に汗を浮かべたゲン爺がサードランナーを見る。
初球。真ん中に投じた球がベース直前で沈む。
「ボール!」
2球目。ゲン爺がまた足を上げた。
「ストラーック!」
ストレートが外角低めに決まる。
「クソが……」
打席を外したサンタナは、そっと野手の位置を観察した。セカンドで目を止めたサンタナ。ジョディーが前に出ていた。
3球目。腕を振るゲン爺。低めのスライダーが内角に食い込む。
「舐められたもんだな!」
サンタナが放った打球がジョディーを襲う。強烈なライナーがグラブをすり抜けて腹に直撃した。ジョディーは、素早くボールをつかむとセカンドベースに向けて投げる。捕球したダイクが、ベースを踏んで高くジャンプする。目一杯足を踏み出したボックのミットにボールが収まる。
「3アウトチェンジ!」
ホテル・マグノリア。地下室でナトリの人々が声を上げた。
「頑張りましたね、よく……」
画面の中で苦しそうに腹を押さえるジョディーを見つめながら、エルダが唇を噛んだ。
7回裏。スコアは1対4のままだった。2アウトからコジローがセンター前ヒットで塁に出た。
テラス席で、リーンがクルーンを睨みつける。
諦めたような顔をしたクルーンが、インカムから何か指示を出した。
左打席にボックが入った。
キャッチャーのサインを見たビショップが眉を上げた。
初球。身体を丸めるようなフォームから、外角に大きく外れるストレートが投じられた。
「ボール!」
2球目。ビショップが力を込めてボールを投げる。
突然、ボックの右腿に激痛が走った。同時に速球が左肘の辺りに直撃する。ボックはその場に崩れ落ちた。
「どうだ痛いだろ?元スター候補さんよ」
口元をグラブで隠したビショップが笑った。
スタンドでは、ニトロたちが怒り狂っている。ガストンズの選手たちがベンチから飛び出した。だがベンジャーズのベンチからは誰も出てこない。ビショップは、すかさず帽子のツバに手をやって頭を下げてみせた。行き場を失った選手たちは、倒れて動かないボックに駆け寄った。
「肘じゃない、足だ」
ジョディーがつぶやく。右腿に小さな黒い穴。その周りだけユニフォームが焦げている。
「なめやがって、ったく」
ハヤタがビショップを睨んだ。
「立てるか?」
ザイオンが手を差し伸べた。
「……ああ、平気だよ。包帯だけ山ほど用意しておいてくれ」
よろよろと立ち上がったボックは、一塁へ歩き出した。ビジョンのアニメーションに合わせて、観客たちの団扇がそよぐように揺れた。
バットを引きずりながら、ノットがのろのろと右打席に向かった。
「ヘイ、兄貴!スリーランだ!頼むぞ、兄貴!」
ネットにしがみついて叫ぶニトロに目をやることもなく、ノットはゆっくりと構えた。目深に被ったヘルメットのせいで、表情が見えない。
「こいつ、震えてやがる」
嘲るようにつぶやいたキャッチャーがサインを出した。
第1球。大きなスローカーブが決まる。
「ストラーック!」
2球目。外角に逃げるスライダー。
後ろに引いていたノットのバットが動く。波を打ったスイングが空を切って、腰砕けになったノットは尻もちをついた。
「ストラーック!」
「はぁ……」
大きなため息をついたノットは、絶望したように首を振った。
「やっとわかったようだな。野球ごっこの田舎者が!」
ビショップは、ロジンを叩いて薄ら笑いを浮かべた。
3球目。ビショップの身体が躍る。2球目と同じ軌道でスライダーが曲がっていく。スタンドのニトロが顔を背ける。
ノットの目に光が戻った。
──ガシュ!
鋭いスイングがボールを潰す。立ち上がるガストンズの選手たち。空気を切り裂いた打球がパークビジョンを突き破った。
スタンドが驚きの声に包まれる。
「騙しやがったな!」
ビショップは鬼の形相でノットを睨みつけた。
ダイヤモンドを回るノットは、舌を出してスキップしてみせた。
まずコジロー、続いて足を引きずったボックがホームに帰ってきた。
「うおーーー!」
最後にベースを踏んだノットが、天に向かって吠えた。
街の人々であふれかえったアスナロ亭。その場の誰もが喜びの声を上げていた。赤ん坊を背負ったコユキが、テレビの前で涙を堪えている。
「叔父ちゃん、すごいね!打ったね!」
ニトロの二人の息子たちが飛び跳ねている。
「ああ、まったくだね。まったくふざけた男たちだよ……」
コユキは、ネット越しに言葉を交わすニトロとノットを見つめた。
9回表。4対4。2アウト満塁。
ゲン爺は大きく肩で息をしていた。
マウンド上に内野陣が集まっている。ベンチを出たタカハシが、その輪に向かってゆっくりと歩いていった。
「ハヤタもペイジも信用できる投手です」
タカハシは短くいって右手を差し出した。
「見てわからんか?休憩しとるだけじゃよ」
ゲン爺は目を逸らして、ボールを渡そうとしない。
「手遅れになるぜ。うちのチームならとっくに交代してる」
ノットの言葉にノザキもうなずいた。
「打たれたとしても俺は何もいえない。好きなようにしてくれ」
ボックがゲン爺の肩にそっと手を置いた。
「同じく」
「ああ、勝手にすりゃいいぜ」
ジョディーとダイクは腰に手を当ててタカハシを睨んだ。
「しかしね、このピンチは土曜日の天狗です」
タカハシは真剣な目でゲン爺を見た。
「天狗?天狗とは……」
ゲン爺はしばらく黙り込んでから、急に目を輝かせた。
「なるほど、なるほど。では、ワシも妖術でも使うとするか」
ゲン爺はマウンドからタカハシを追い払って、何度も右肩を回した。それからスタンドで見守っていたニトロたちに向かって指笛を吹いた。
「おい、見ろ!何かやってるぞ」
ニトロが車椅子のショウタをつついた。こちらを向いたゲン爺が、右手で作ったキツネの口をぱくぱくさせてから自分の首筋に噛みつかせた。
「意味……わかりますか?」
ショウタが首を傾げる。
「他の奴ならともかく、ゲン爺の頭の中なんてわかるわけねえだろ」
苛ついたアンガスがいう。
「ですよね。でも、きっと何かやりますよ」
そうつぶやいたショウタは、食い入るようにゲン爺を見つめた。
「さあ、年寄りは寝る時間だ」
左打席に入ったサンタナが大きく構える。
「プレイ!」
緊張した面持ちでノザキがサインを出す。
「はて?」
ゲン爺は不思議そうに球場中を見回した。
──ガッセ、ガッセ、ガッセ!ハイハイ!
ライトスタンドで、マッケンジーや伊勢屋の親父、ギン婆さんたちが声を張り上げていた。後ろに座っているナトリの子どもたちも、楽しげに声を合わせている。
ゲン爺は目を閉じてネックレスを握りしめた。セキドーム球場。ダグアウトの上から応援する孫娘の姿が浮かんでくる。
「見ていてくれるじゃろか……」
そうつぶやくと、ゲン爺は打者に向き直った。
初球。高く左足を蹴り上げたゲン爺は、残った力すべてを込めて腕を振った。唸りを上げる豪速球がサンタナの顔めがけて伸びていく。
「ヤバい!」
しゃがみ込むサンタナ。ミットに引っ張られたノザキが立ち上がる。
その瞬間スタンドから叫び声が上がった。
「捕るなーーー!」
ショウタの声を聞いたノザキは、右手でミットをつかんで必死に引き戻す。それを見たサードランナーがスタートを切った。
振り返るノザキ。バックネットに向かう豪速球が急降下して、フェンスに当たった。跳ね返ったボールが真っすぐ飛んでくる。がっちり捕球するノザキ。地面を蹴って身体を伸ばし、ミットをランナーに叩きつける。
「……アウト!」
球場が騒めいて、やがて歓声が湧き上がった。
脱力した顔のノザキに向かってショウタが親指を立てた。
「ありがとう……」
ゲン爺は涙を浮かべながら、またネックレスを握りしめた。




