step2 理不尽な野球
step2
まだ春の夕日が残る空に、うっすらと半月が浮かんでいた。パークビジョンがボックの先発出場を告げると、満員の場内から低いどよめきが起こった。
オレンジと緑を基調にしたユニフォーム。ボックはベンチの前に座って、ワックスの缶でバットを擦っていた。
「どうだ、新人。燃料補給しとくか?」
背中にタンクを背負った男=モグラが、ネットの向こうから声をかけた。
「ありがとう。でも遠慮しておくよ」
手を上げる観客があちこちにいる。モグラは男たちの口に引き金のついたホースを突っ込んで、地酒『龍殺し』をむせかえるまで注入して回った。
この日の対戦相手はバンブルビーズだった。三塁側のダグアウトの上で、ハチを模した衣装の女たちが際どいダンスを披露していた。
「ねえボックちゃん。どうかしらー?」
ベンチに座ったボックに、コジローがピンク色になったアームを突き出した。
「いいんじゃないか」
「あら、ありがとう!この腕を作ってくれた娘に塗ってもらったのよ。やっぱり、かわいいわよねー!」
隣では、ショウタがニトロに話しかけている。
「今夜の相手は強いですかね?僕、打てますかね?」
ショウタは、ぼそぼそと話した。
「ヘイヘイ、いつもいってるだろ?お前には羨ましいほど才能があるって」
「で、でも……」
ニトロはショウタの胸を拳で叩いた。
「見ろよ、あのダンス。強いチームは色気になんか頼らない」
その時、場内の照明が落とされた。
「さあ、みんな待たせたね!そろそろ始めるかねーーー?」
ガストンママの威勢のいいアナウンスをかき消すように、木造ドームに歓声が響き渡った。
「まずはお馴染み。ガストンズの化石、ピッチャーーーッ、ゲン!いくよ、そーら、ガッセ、ガッセ、ガッセ!ハイハイ!」
スポットライトがマウンド上のゲン爺を照らし出した。
──ガッセ、ガッセ、ガッセ!ハイハイ!
観客たちは、ありったけの声を張っていた。真上の集団が足を踏み鳴らすせいで、ダグアウトの天井から埃が舞い落ちる。
「ヘイ、ボック。いつでも逃げられるようにしておけよ」
両手で耳を押さえたニトロがウィンクした。ボックは、わけもわからずスパイクの紐を確かめた。
──ガッセ、ガッセ、ガッセ!ハイハイ!
熱気が最高潮に達した時、場内の照明が灯った。センターのフェンスがゆっくりと開いて、隙間から黒い塊が飛び出してきた。
それは巨大なイノシシだった。場内の興奮に怯える様子もなく、牙を振り回して縦横無尽に突っ走る。スタンドも安全地帯とはいえない。フェンス際にイノシシが迫ってくると、子供ばかりか大人まで悲鳴を上げた。
ライトとレフトの間を行き来していたイノシシが、急に動きを止めた。そしてしっかりと方向を定めて、ただ一人フィールドにいるゲン爺に向かって突っ込んでいった。
ゲン爺はゆっくりと振りかぶった。真っすぐ上げた左足が伸び切ると、身体に巻きついた腕が鞭に変わった。指先を離れた豪速球が巨体を襲う。
ボールを眉間に食い込ませたイノシシが、どすんと倒れた。静寂が充ちる。一転して大きな歓声が球場を揺るがせた。
「ハッハッハ、その顔が見たかったんだ!」
口を半開きにしたボックを指差して、ニトロが大笑いした。
「イノシシが獲れない時は、クマが出てくるんですよ。たまに失敗するし」
ショウタはそういって困った顔をしてみせた。
「さあ、今夜も旨い酒を飲もうや!」
グラブを叩いたダイクが、真っ先にグラウンドへ出た。少し遅れてボックもファーストへ向かう。フォークリフトに乗ったモグラがイノシシを片付けると、いよいよプレイボールがかかった。
6回表。13対0。バンブルビーズの安打は、わずか1本。対するガストンズは、初回のザイオンのツーラン、3回にはボックの2点タイムリー、5回のニトロのソロホーマー、エンドランにダブルスチールとやりたい放題だった。
ボックは少し驚いていた。ガストンズは本当に強いチームだった。普段は山の労働者と変わらない選手たちが、試合では別人のように活きいきとプレーした。
「……野球だけで食っていけるのに」
ボックは思わずつぶやいた。
「おい、木こりをバカにするとジョディーが怒るぞ」
離れて座っていたダイクがいった。
「すまない、そういう意味じゃないんだ」
「確かにカントウリーグへでもいけば、今の5倍は稼げるだろうよ」
ダイクはボックに向き直った。
「俺も昔は世界リーグ=WBLにいたんだ。ザイオンもそうだ。気付いたらこの街にいた。でもな、いいチームだ」
「ああ、何となくわかるよ」
ボックはうなずいた。
「子どもの頃、空地で暗くなるまで野球しただろ?こいつらは、あのまんまなんだ」
そういうと、ダイクは立ち上がってベンチの裏へ消えた。
8回裏、先頭打者のボックが左打席に入った。
「やっちまえ、新人!」
「ホームランなら今夜は大儲けだ!」
あちこちから声が飛ぶ。ボックは少し安心して大きく息を吸い込んだ。
両肘を高く構えてバットを後ろへ引く。
相手は4番手の右ピッチャーだった。
初球。外角低めのストレート。
「ストラーック!」
審判の右手が上がる。
2球目は同じコースにスプリット。
「ボール!」
ボックは手を上げて打席を外した。
視線の先、バックネット裏の子どもが空を指差した。視界の端に真っ赤な光が揺れた。天井を見上げると、丸く切り取られた空から燃え盛る炎がふわりと降りてきた。ボックは初めて会った夜のニトロの言葉を思い出した。
──燃えるクジラ?
全身に火をまとった鳥は、場内を何周かしてライトポールの上にある鉄骨の足場にとまった。
──ギャアーーーーー!
そして尖ったクチバシを開いて、金属を擦り合わせるような声で鳴いた。
ボックは目を奪われる。美しいとも恐ろしいとも言い難い、妙な感覚だけがあった。たまらずスタンドを見渡した。観客は声を上げない。子どもでさえ親の袖をつまんで静かにしている。貴重な宝石でも眺めるように、誰もがただ静かに視線を上に向けていた。
「ファイヤーバード=FBに会うのは初めてみたいだな」
にやにや笑う主審に肩を叩かれて、ボックは慌てて打席に戻った。
「ストラーック!」
3球目。緩いカーブが決まった。
「集中しろ、集中しろ」
ボックはわざと口に出していった。
4球目。スライダーが真ん中に入ってきた。ボックの身体が反応する。乾いた音を残して打球は真っすぐに伸びていった。スタンドの観客たちが拳を突き上げた。ボックは立ち止まって、ボールの行方を目で追った。
止まり木の炎が大きく揺らいだ。飛び立ったFBは炎の尾を引いてセンターの方へ向かった。そしてクチバシを開いてボールをくわえると、あっという間に夜空へ消えていった。
球場に歓声がこだました。
「ホームランじゃないのか!」
ボックは主審に詰め寄った。
「タイム!あのな、これはローカルルールってやつだ。ツーベース!」
審判は当然のようにコールした。
ボックは首を振りながら、ゆっくりと走り出した。
◇
アスナロ亭は、球場から歩いてすぐの場所にあった。明るい店内の壁には、優勝ペナントや記念写真を収めた額がいくつも飾ってある。
テーブルに並べられた唐揚げや筑前煮など、色とりどりの料理から湯気が立ち上っていた。
「ボック、今夜は何度か驚いただろ?いろいろ内緒にしてた甲斐があったぜ。それじゃあ、今夜の勝利に乾杯!」
ニトロの音頭に合わせて、全員がジョッキを鳴らした。
賑やかな話し声が、店一杯に広がった。コジローはメカアームで料理を配るのに忙しい。ゲン爺は得意の手品で場を盛り上げた。
「アンガスだ。口は悪いが怒ってるわけじゃねえから」
「俺はハヤタ。ボヤキのハヤタって呼ばれてる、ったく」
「セイヤ。よろしくお願いします」
きちんと会話していなかったチームメイトが、次々とボックに挨拶した。ボックもジョッキを片手にテーブルを回った。
「ヘイ、ボック。重要人物だ」
ニトロが、奥の席で話し込んでいた若い女を指差した。
「ちょっといいか。ボックです、よろしく」
「あ、リンコです。ガストンズでエンジニアをしています」
ツナギ姿にポニーテール。クラブハウスの場所を教えてくれた女だった。
「ボックさん、リンコさんは球場の修理から中継システムの調整まで全部できるんです。あのピッチングマシンも作っちゃったんですよ!」
ショウタが自慢げに話す。
「いいえ、私はただの便利屋なんです」
テーブルに広げた図面を丸めながらリンコがいった。
「機械に電気に、何でもできるんだな」
「そ、そんなにすごい人じゃないですよ。ただ好きなだけで」
「リンコさん、たまに私は世界一のエンジニアだって威張ってる」
「こらっ、セイヤ!」
後ろのテーブルのジョディーやチャックたちが、大声ではやし立てる。リンコは顔を赤らめて小さくなった。
しばらく一緒に笑っていたボックが真顔に戻った。
「聞いてもいいか。あの鳥はいつからいるんだ?」
「2年くらい前でしょうか。大災害でできた裂け目から飛び出してきたんです。ああ、今は釣り堀ですが」
ボックはしばらく黙って、今度は小声できいた。
「あの炎が球場に燃え移る心配はないのか?」
目を輝かせたリンコが立ち上がって、ボックの両肩をつかんだ。
「それなんです!オーロラは火事を起こさないですよね?プラズマはイオンと電子に分離した状態なんですが、彼は自分の意思で調整できるっていうんですけど……」
「ちょ、ちょっと待ってくれ!」
「あ、ごめんなさい!私ったら」
「違うんだ。あの鳥は……言葉を話すのか?」
周囲で爆笑が起こった。
「彼こそがゲルラングリラン!神は人の地に降り立ち、人の子を導く!」
チャックが両手を広げて天を仰いだ。
「そうだぜ。FBは人間の言葉がわかるし普通にしゃべれる」
アンガスが手を叩いて笑った。
酔いつぶれる者が出てきた頃、立ち上がったニトロが窓を開けた。ゲン爺やザイオン、何人かは先に帰ってしまった。心地よい風が店の中へ吹いた。
千鳥足のダイクが徳利を片手に近づいてきた。
「おい、ジョディー。ボックが昼間の仕事についてききたいとよ」
「なんだ?木こりに興味があるのか?」
酔いが回ったジョディーは、だるそうに顔を上げた。
「興味はあるけど……ただ野球で稼げる力があるのに、別の仕事をもってるのが疑問だった」
「アタシはね、女はWBLに入れないってきいて絶望したんだ。でも、この街はプレーする場所をくれた。だから、どこへもいかない。どこへも……」
そういって、ジョディーはテーブルに突っ伏してしまった。
ダイクはその背中に上着をかけてから、ボックの隣に座った。
「珍しいな。飲み過ぎるなんて」
ニトロが小声で言った。
溶けた氷がグラスを鳴らす。
「たぶん、この街の人間でいたいんだろうよ。野球選手なんて無茶な商売だけやってたら、落ち着かねえしな」
ダイクが徳利の酒をグラスに注いだ。
「ヘイ、かっこつけんなよ整備士。おれは材木運びが嫌いじゃないぜ。たまに腰がいうことをきかなくなるが」
ニトロがおどけてみせた。
「俺は、丸太50本の皮を剥いた後に先発したことがある」
アンガスは無表情だった。
「ボックちゃんは、いろんな街を見てきたのよね。この街はサイテーでしょ?道は凸凹だし電気はよく切れるし、ひどい事件だってある。でもね、何だか居心地がいいの」
そういってコジローは目を閉じた。
選手たちが、いつまでも文句をいったり笑ったりしている中、ボックだけは沈んだ顔をしていた。その日の記憶が酒でかき混ぜられる。球場に響き渡る歓声、横たわるイノシシ、それから夜空へ消えていったFBの姿が浮かんだ。
アスナロ亭のマスターが食器を片付けながらどやす。
「さあ、もう店を閉めるぞ!酔い覚ましにサウナでもいってこい!」
みんなに続いて、ボックもゆっくりと席を立った。
◇
セキドーム球場。ガストンズのオーナー室。部屋の中は、ロココ調のランプやシロクマの剥製、戦国時代の甲冑などで飾り立てられている。
「おや、また計算が合わないじゃないか」
ガストンママは、大きな机に札束を積み上げて算盤を弾いていた。
「やはり、賭けのテラ銭は入場料と別に計算したほうがいいよ」
オーナーはお茶を一口すすった。
「やかましいね、こっちのほうが手っ取り早いんだ。あの賭け屋の間抜けどもが!」
「まあいいじゃないか、ママ。ぼちぼち鉄橋を直す資金が貯まりそうだ」
「それはそれは。ついでにクラブハウスの冷蔵庫も直していただけたら嬉しいんですが」
タカハシが、ちらりとママを見た。
「調子に乗るんじゃないよ!あんなのはリンコにやらせればいいだろ」
ママは老眼鏡を外して目を擦った。
「それで、どうだいあの坊やは?」
「あれは嘘をつく人間の目じゃありませんよ。あの目はチャーハンのグリーンピースです。それも少し小さめで皮にシワが寄った……」
「タカハシ、もういい」
オーナーが遮る。
「ママ、古い友人の情報に間違いはないよ。ちょっと疑い過ぎなんじゃないかな」
「疑い過ぎ?ふん、あんたはお人好しが過ぎるんだよ。とにかくね、アタシは八百長だけは許さないよ」
ママは札束を乱暴につかんで麻袋に詰め始めた。




