step18 破壊作業
step18
煤で黒く汚れたテレビ中継車。モニターが並ぶ車内にスーツ姿のクルーンとカナイが座っていた。
「これで充分かな。どう思うクルーン君?」
カナイは、試合後のメディアの動きを一覧にした表をモニターに映し出した。テレビ、新聞、ラジオ、クルーンは紙コップのコーヒーをすすりながら丁寧にチェックしていった。
「いいんじゃないの。まだまだ考えつくけど、余計なことしたらまた部長に怒られちゃうしね」
「後でちゃんと署名してくれよ。知りませんでしたはダメだよ?」
「何をいってるの、カナイちゃん。大切な同期は裏切りませんよ」
「それならいいけど」
そういうと、カナイは大きなため息をついた。
「ところで……バカな奴だと思わないでくれよ。ここ禁煙だよな?」
クルーンは目を見開いた。
「あれー、成功したっていってたじゃないの?」
カナイは気まずそうに小さく笑った。
「と、思ってたんだけどさ。ストレスでつい、な?」
「わかるよ、わかります。でもね、車内は本部にモニターされてるし、球場まで待ったほうがいいよ」
「だって、この街じゃもう吸える場所がないだろ?」
しばらく考えたクルーンは、立ち上がってパネルの右端のスイッチをオフにした。
「はいよ、これで大丈夫」
驚いた様子のカナイがいう。
「ありがとう。でも大丈夫なのか?」
クルーンはにやりと笑った。
「火事場の中継の時、飛んできた火の粉でショートしたんでしょ。ああ、あれリーン部長の命令だから覚えておいてね。ああ、僕にも1本頂戴」
二人は無言でタバコに火を点けて、ゆっくりと煙を吸い込んだ。
「ありがとう、クルーン君」
「じゃあ、僕らの試合開始は3回表ってことで」
クルーンは、ゆっくりと煙を吐き出した。
◇
準決勝の相手は、キュウコクリーグ所属のシリコンドッグスだった。
3回表。4対1でガストンズのリード。
マウンド上のアンガスは、ロジンバッグを地面に叩きつけた。そして、打席に向かう先頭打者を睨みつける。
「プレイ!」
「はい、こっちもプレイ!まずは〝平凡なフライを落球〟ですよー」
パイプ椅子に座ったクルーンが、インカムのマイクに向かっていった。球場全体を見渡せる、バックネット裏の貴賓室。部屋の一角に、マルチモニターや計測機器が並べられていた。
三塁側の内野席。白シャツの二人組が穴のないメガホンをそっと水平に構えた。
サインにうなずいて振りかぶったアンガスは、外角にカーブを決める。
「ストラーック!」
バッターは動かない。
2球目は内角のストレート。鋭く振り出されたバットがボールの下を擦った。
「オーライ!」
アンガスは、右手でジョディーを制しながら落下地点へ向かった。
球場の騒めきが消える。二人組のメガホンの先から赤い光の筋が伸びた。ボールがグラブに収まる瞬間、アンガスの顔が歪む。
グラウンドに転がったアンガスは、右腕を押さえて身体を丸めた。
「どうした?大丈夫か?」
ジョディーが真っ先に駆け寄った。ボック、ニトロ、ダイク、内野陣も集まってくる。
「右腕が……熱い」
布が焦げる匂いがした。ジョディーが傷口を押さえるアンガスの左手をそっと持ち上げた。二の腕の辺りに焼けた針を刺したような黒い穴が開いていた。
「おい、これ何だよ?審判、こっち来いよ!早く来てくれ!」
いくらジョディーが叫んでも、審判は背中を向けたままだった。
険しい顔のボックが、満員のスタンドを見回す。倒れたアンガスに、取材席から何度もフラッシュが浴びせられた。
「おい、ニトロ。たぶん奴らの仕業だろうよ」
目を剥いてうつむいたニトロは、ダイクにこたえなかった。
アンガスを支えてベンチに向かうボックとジョディー。ビジョンのアニメーションにこたえて、まばらに拍手が起きる。二人の目に、せせら笑うような表情を浮かべた観客たちが映った。
7回表。4対3。
マウンドでハヤタが汗を拭っている。
ワンアウト、ランナー二塁。代打が告げられて、細身の打者が左打席に入った。その顔を見たボックが、急いでタイムをとってマウンドへ向かった。
「名前は違うがあいつはWBLの……」
「ああ、やっぱりそうか。いつか中継で見たことがある」
「バントが上手い奴だけど、それだけじゃないかもしれない」
「派手にぶつけちまうか?」
グラブでバッターを指してハヤタが笑った。
少しためらってからボックがいう。
「任せるよ。とにかく気をつけてくれ」
ファーストへ戻っていくボックの背中にハヤタがつぶやく。
「そんなわけにもいかねえよな、ったく」
プレイがかかった。
初球。サイドスローから投じられたストレートが外角に決まる。
「ストラーック!」
紙コップを片手にモニターを見ながら、クルーンが笑う。
「はい、お待ちかね〝わざとらしいエラー〟いきまーす!」
2球目。外角低めにスライダーが外れた。
3球目。ハヤタの指先からボールが離れる寸前、打者がバントの構えを作った。
「任せろ!」
ダッシュしたボックが、真っすぐ転がってくるボールをつかんでサードに送球する。
捕球したニトロがタッチにいく。完全にアウトのタイミング。だが走者はスピードを緩めない。高く上げた靴底がニトロの膝をとらえる。体勢を崩したニトロのグラブから、ボールが転がり落ちた。
「セーフ!」
ランナーは何事もなかったように立ち上がった。ニトロは倒れたままだった。レフトの守備位置からコジローが走ってくる。
「守備妨害でしょ?あんた目の前で見たでしょ?」
塁審は何もこたえない。
ボックとコジローでニトロを立たせると、左膝の辺りのユニフォームが真っ赤に染まっていた。
「ヘイ、やられちまったかな……」
言葉に力がない。両脇を支えられながら足を踏み出した巨体が、ぐにゃりと傾く。細かく震える顔に汗が浮いていた。
「いいから!いいから戻るわよ」
コジローが声を荒げた。
「すまない……もっと気をつけておくべきだったぜ」
小さく騒めく場内。バックネット裏に座った女たちが、聞こえるように嫌味をたれる。
「大袈裟でしょ、ねえ?やっぱり評判通りね」
ボックが睨みつけると、女たちは気まずそうに顔を背けた。
7回裏。4対4。ガストンズのベンチは静かだった。前を向く一人ひとりの顔に怒りが満ちている。
「あの……喧嘩する?」
うつむいたセイヤがぽつりといった。
「いい考えかもしれないねー」
タカハシが分厚いノートを閉じた。
「いいや、ダメだ」
ボックは二人に向き直る。
「勝たなきゃならない」
先頭打者のチャックは、いつもより高くジャンプして打席に入った。
「少しは怖がれよ、あいつ」
ジョディーがつぶやいた。
初球。詰まった打球が転がった。ショートが突っ込んで送球するが、チャックは身体を反らしてベースを駆け抜けた。
「セーフ!」
「イェイ!」
チャックは軽快にステップを踏んだ。
セイヤが黒いバットを担いで左打席に入る。
「あのバカ、ニトロのバットだぜ」
ダイクが苦い顔をした。
初球。セイヤが内角の速球を強振した。すっぽ抜けたバットが、ガストンズのダグアウトに向かって飛んでくる。全員が慌てて頭を低くすると、バットがウォータータンクに突き刺さった。
「……危ねえ奴」
そっと頭を上げたペイジがつぶやいた。セイヤは、相手投手に向かってにっこり笑いながらピースした。
打席に向かうボックは、一塁のセイヤと二塁のチャックに座るように合図した。二人はそれぞれベースの上に胡坐をかいた。球場のあちこちからどよめきが起きる。投手は腰に手を当ててボックを睨んだ。
初球。アウトコースにカーブが決まる。
「ストラーック!」
構え直したボックがいう。
「どこまで知ってる?」
捕手は外角にミットを置いた。
「何のことだ?」
2球目のカーブが外れる。捕手の返球がボックの耳をかすめる。大きく避けたボックを見て、捕手が嘲るように笑った。
3球目。内角のストレート。空振りしたボックのバットが、キャッチャーの目の前を通る。
ボックがまた口を開く。
「ビビったか?お前らは負ける」
ちらりとボックを見た捕手の目がマスクの奥で笑った。
「視点によってはな」
4球目のカーブが外角に入ってきた。ボックは鋭くバットを振り抜く。ショートの頭上を越えた打球が、レフト線に向かって急激に曲がっていく。左翼手はサードを回ったセイヤを確認すると、ゆっくりとセカンドに送球した。
2点タイムリーツーベース。塁上のボックにスタンドから小さな声援が飛んだ。
9回表。最後の打者のバットがペイジの速球に空を切った。試合は、6対4でガストンズの勝利に終わった。
「ゲーーームセット!」
マスクを外して立ち上がったショウタの背後で、そっと主審が動いた。逆手に持った小さな注射器を目の前の腰に突き刺して、素早く引き抜く。ショウタは一瞬振り返るが、そのままマウンドへ向かってペイジとハイタッチを交わした。
選手たちは疲れ切った顔で帰り支度していた。
最初に気付いたのはセイヤだった。
「どうした、ショウタ?」
ダグアウトの前で、ショウタがぺたんと座り込んでいた。
「ハハハッ……動かないんだよ。何でだろう、力が入らないんだ」
何度立とうとしても腰から下が動かない。
「どうしたんだ、おい!」
駆け寄ったボックが、ショウタの肩を揺すった。
「どうしたんでしょう?ダメかもしれません、僕……」
涙で一杯になったショウタの目に、整然と出口に向かう観客たちの姿が映った。
◇
貴賓室のテラス席から、クルーンとカナイがショウタの周りに集まる選手たちを見下ろしている。
缶ビールを開けて乾杯する二人。
「さすがだな。キャッチャーもきちんと壊した」
カナイはテーブルにビールを置いて、内ポケットから錠剤の瓶を取り出した。
「まあ、こんなところでしょ。後は計画通りによろしく」
クルーンがカナイの肩を叩く。
「唯一の捕手が使えなくなって、奴らはどうするかね。決勝は棄権って線も考えられるな」
カナイは錠剤を噛み砕いてビールで飲み下した。
「ところで前から気になってたんだけどさ、それ何のお薬なの?」
カナイは苦い顔をして瓶を渡した。
「健康的に痩せる薬だとさ。女房に飲まされてる」
クルーンは瓶のラベルを見た。
「これ高そうだね。カナイちゃん愛されてるんだなー。こっちは寂しい独り身よ」
「いわせてもらえば自由で羨ましいよ。結局、どっちもどっちなんだろうが」
「それいうのって、絶対幸せな人なんだよねー」
クルーンは2本目の缶を開けた。
「それでクルーン君は奴らが来ると思うか?」
「どっちでもいいんだけどね。まあ彼らなら頑張ってボロ負けしてくれるでしょ。実力も最低の八百長チームとして、セキの街でもしっかり嫌われてもらわないとね」
クルーンは、誰もいなくなったフィールドをまた見下ろした。
ホテル・マグノリア地下室。出口に向かって歩いていく街の人々の背中。テレビの前で、泣き疲れたリンコを抱きしめるエルダ。遠くを睨むその目にも、うっすら涙が浮かんでいた。




