step17 吸い取られた街
step17
ホテル・マグノリア。1階のホールに並べられた長机の上でシャンデリアが輝いている。椅子に座った数人の記者たちが無表情でメモを確認していた。
緊張した様子のリンコがマイクスタンドに進み出た。
「本日はよろしくお願いします。では、IBLアジアカップ出場チーム、フジリーグ所属ガストンズへの取材を始めます」
リンコが若い女性記者を指名した。
「昨夜の初戦を逆転勝利で飾りました。今のお気持ちは?」
ガストンズの選手たちは横一列に腰掛けていた。
まずチャックが机上のマイクをつかんだ。
「もちろん最高ね!あと2回勝って、絶対賞金をいただくよー!」
女性記者が続ける。
「それと客車で移動されたそうですが、不便はありませんでしたか?」
「あら、不便どころか最高だったわよ」
コジローが不機嫌そうにこたえる。
「揺れすぎて3回も転んだけどね」
記者席から小さな笑いが漏れた。
若い記者がマイクを握った。
「13球粘って出塁したショウタ選手、あの時はどんな思いがあったのでしょうか?」
ショウタは大袈裟に咳払いした。
「まさに魂の打席でした。人生の中でもあれ以上集中したことはありません。最後にはボールの縫い目がはっきりと……」
呆れた顔をしたジョディーがマイクを奪う。
「じゃあ前に飛ばせって話だ、タコが!」
再び記者たちが笑った。
選手たちが次々と質問にこたえる中、ニトロは後方の黒いスーツの男を見つめていた。
──IBL球団に八百長の疑い?
ニトロは、コジローのバーでテーブルに放り投げた新聞を思い出していた。男がしている腕章はあの新聞社のものだった。
リンコに指名された黒スーツの男が口を開いた。
「ガストンズには、一部で八百長疑惑が指摘されています」
選手たちの顔が強張る。場の空気が冷たく変わった。
「昨日の試合でも、不自然な判定があったという声がありますが、それについては?」
ニトロが大きく椅子を引いて立ち上がった。
「ヘイ、あんた何をいってんだ?」
低い声が静まり返った会場を震わせた。
「世間の関心が高い問題です。我々としても……」
腰を上げたボックが口を開いた。
「昨日の試合を見たのか?それでまだそんなこといってるのか?」
男は淡々とこたえる。
「感情論ではなく、疑惑に対する説明責任を果たすべきでは?」
「説明?」
ボックが笑う。
「あんたらにしてやりたいのは説教だけだ」
ダイクも怒りの目を記者に向けた。
「あの記事のおかげで、スナックの女に逃げられたんだぞ」
「そこじゃないと思う」
セイヤがつぶやいた。
黒スーツの記者は冷静だった。
「我々は事実を報じただけです」
選手全員が男を睨みつけた。
「……よろしいでしょうか?」
不意にエルダの声が聞こえた。冷たい笑みを浮かべながらゆっくりと歩み出たエルダは男の前に立つ。
「当ホテルには、お客様を守るという義務がございます」
「私にも記者としての義務があります」
「ええ、そうでしょう。あなたには真実を捻じ曲げる義務がありますわね」
エルダの声は穏やかだった。他の記者たちも気まずそうに視線を逸らした。
エルダは男の目を真っすぐに見た。
「ガストンズの皆さんは、当ホテルの大切なお客様です。さあ、お引き取りください」
黒スーツの男は、苛ついた顔をしてカメラや録音機材を乱暴にしまった。
「あなたたちにも、そのうちわかるでしょう」
出口に向かった男は振り返らずにいった。
◇
ホテルの地下室。ワイン蔵の一番奥の棚にエルダが手をかけた。鈍い音をたてて横滑りした棚の先に、石造りの広い空間が現れた。
赤い絨毯が敷き詰められた部屋には、分厚い一枚板のバーカウンターが据えられていた。オイルランプがソファーセットのタバコの焼け焦げを照らし出す。若者から老人まで、まばらに座った数人の男たちがそれぞれグラスを傾けていた。
「さあ、どうぞお入りください」
エルダに促されるままに、ガストンズの選手たちは部屋の中へ進んだ。
壁を埋めるように写真が収められた額が飾られていた。神輿を海に投げ込む荒々しい祭り、競馬場で歓声を上げる男たち、金管楽器を手にした若者の路上演奏、どれも色褪せていた。
アンガスが写真を指差した。
「これ、ナトリなのか?」
ゆっくりとエルダがうなずく。
「ええ、全部昔のナトリです」
ボックは、ニトロとザイオンと中央のソファーに座った。蝶ネクタイをしたボーイが、ウイスキーセットを運んできた。
「まずは、ボックのホームランに乾杯!」
3人は控えめにグラスを合わせた。
銅製のアイスペールから水滴が流れ落ちる。
「不気味だったな」
ザイオンがいった。
「ヘイ、確かにあの球場の雰囲気はヤバかった」
ニトロは自分のグラスに酒を注ぎ足した。
「いや、違うんだ」
ザイオンは首を振った。
ボックは、最後の打席で見た主審の横顔を思い浮かべた。
「まあ様子見ってところか。次も何も起きなければいいんだけど」
ボックの言葉に、二人は厳しい顔でうなずいた。
地下室に散らばった地元の人々は、ガストンズを静かに迎え入れていた。
何気なく、カウンター席で飲む男に目をやったボック。
古い記憶。グラスを振って氷を躍らせる癖。
一瞬でボックの顔つきが変わった。
「おい、あんた!」
振り向いた男が固まる。くたびれた作業服姿の男は、学生時代のコーチだった。ドラフト候補だった頃バッティングを指導してくれた男、そして最後の試合中ボックを襲撃した男だった。
胸の奥で小さくなっていた炎が燃え上がる。立ち上がったボックは一気に距離を詰めた。
「何でここにいる?あの時、俺に何をした?」
胸ぐらをつかんで力一杯絞り上げる。静かだった部屋が騒めき立った。
男は疲れ切った顔でいった。
「わからなかったんだ」
「何だと?」
「……あの報道が出た後、俺も切られた」
男はボックの顔を見た。
「本当にすまなかった。お前の人生を変えてしまった。何度も思い出してずっと後悔してる」
ボックの手が少しだけ緩んだ。
「誰に命令されたんだ?」
「監督だ。だけど、奴も上に指示されたんだろう」
男の目は真っ赤になっていた。
ボックの肩に手を置く後ろ姿。ザイオンだった。もう片方の肩に、ニトロが手を置いた。
男は涙を滲ませて壁の写真を見た。
「故郷へ戻った。何もかもすっかり変わってた。それで理解した」
近づいたエルダが、ボックに深く頭を下げた。それから、そっと小さな額を手渡した。満員の野球場。立ち上がった観客たちが、笑い、怒鳴り、酒瓶をかかげている。心配して集まってきたガストンズの選手たちも、その写真を覗き込んだ。
「昔のナトリは、もっと騒がしい街でした」
エルダは肩を落として泣いている男を椅子に座らせた。
ジャケットを着た老人が遠くを見る。
「みんな大声でな、やかましい街じゃった。酔っ払いは川に落ちるし、逃げ出した馬は暴れ回るし、子どもは笑えんようないたずらばかりしておった」
「……でも、楽しかったな」
別の老人がゆっくりタバコをふかした。
「火の鳥もいたの?」
チャックがきいた。
エルダは胸に手を当てる。
「ええ、同じような存在はいました。ずいぶん昔に姿を消してしまいましたが」
ショウタが不思議そうにいった。
「だけど、こんなにきれいな街になったじゃないですか」
壁に向かったエルダは、いくつか外してきた写真をテーブルに並べた。
「望んだわけではないんです。ひとつ息苦しくなると、道路が舗装されました。ひとつ窮屈になると、列車が時間通り来るようになりました。いつの間にか誰かの意思で……」
写真を見つめていたザイオンがつぶやいた。
「人間が消えたわけか」
元コーチが涙声でいった。
「あの球場には野球がない。そう、いつの間にか野球が盗まれたんだ」
選手たちは、淡々としたスタンドの反応を思い出した。
「だからあんな観客ばかりだったのか」
ジョディーの言葉にエルダがうなずいた。
「昨日の試合、皆さんは一瞬だけでもスタンドを蘇らせてくれました」
「え、そんなことがあったんですか?」
ショウタが首を傾げた。
「お前が変なバッティングして、客に笑われたってことじゃねえのか?」
ダイクがにやりと笑った。
微笑んだエルダが、すっと背筋を伸ばした。
「だからお願いがあります」
ナトリの人々全員がガストンズを見つめていた。
「優勝してください」
元コーチが立ち上がった。
「取り返しがつかないことをした。こんなことをいう資格がないのはわかってる。だけど頼みたいんだ……」
震える声でいった男は、ボックにすがりついた。
「一晩だけでもいい。野球を取り戻してくれ!」
ボックは目を閉じて考えた。
セキドーム球場。観客たちが上げる歓声や怒号。それを呼び起こせるのは、いつでもガストンズだけだった。
口元を緩めたボックがいった。
「それなら、得意だ」
その横顔を見てニトロが吹き出した。
「ヘイ、すっかり染まっちまったな!」
ザイオンが肩をすくめた。
「ホテル・マグノリアからも賞金をいただかないとな」
地下室に小さな笑いの輪が生まれた。
音楽がアップテンポな曲に変わって、力強いトランペットの音が響き渡った。選手たちもナトリの人々も、入り混じって酒を酌み交わし始めた。
客たちが帰った地下室で、片付けをしているエルダ。
突然、小さな警報音が鳴る。
「みんな、急いで」
険しい表情のエルダが短く命じた。ボーイたちは食器やグラスをその場に残して、素早く出口へ向かった。




