↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
16/27

step16 静かなスタンド

step16


 キャラメルの箱のような同じ家が並ぶ夜の住宅街。そこだけ木々が生い茂る一帯に、ホテル・マグノリアは佇んでいた。暖色のライトに浮かび上がるレンガ造りの洋館には、幾重にもツタが絡んでいる。


 ホールで荷物を降ろすガストンズの選手たちの前に、上品なワンピースを着た女性が現れた。

「ナトリの街へようこそ。当ホテルの主人、エルダです」

「あらっ、きれいなご婦人ね」

 コジローが両手を合わせた。

 バッグを放り出したニトロが駆け寄る。

「ど、どうも、キャプテンのニトロです!」

 にやにやと握手を求める姿に、ジョディーが冷たい目を向けた。

「皆さんのことは、おば様からよく聞いています。必要なことがあれば、何なりといってくださいね」

「おば様だってよ」

 後ろの方で笑いを堪えるダイクの肩をペイジが突っついた。


「ママやオーナーのこと、知ってるんですか?」

 革張りのソファーをうっとりと撫でながら、ショウタがきいた。

「ええ、両親がお二人の古い友人なんです。私も何度かセキを訪れたことがあります」

 エルダは飾り棚のところまで歩いていって、小さな額縁を外した。

「悲しいことがありましたね。それでも、セキにはナトリのようになってほしくありません」

 そっと差し出した油絵にはセキドーム球場が描かれていた。

 前に出たボックがいう。

「それなら、俺たちの事情も知ってるってことですか?」 

 エルダの引き締まった表情が飾り棚のガラスに映った。

「ええ、おば様とはよく連絡をとっていますので」

 ボックはエルダを真っすぐに見た。

「面倒に巻き込むかもしれない」

 選手たち全員が息を飲んだ。

 エルダは、にっこりと微笑んでこたえた。

「ええ、何なりと」

 

 夜の街をガストンズの選手たちが歩いている。空に伸びるビル、等間隔に並んだ街灯、人が通って店も開いているのに笑い声ひとつ聞こえない。

「それにしても、きれいな街だな」

 ニトロがビルの広告を見上げた。

「やめろ、田舎者だってバレるだろ!」

 そういうジョディーも、きょろきょろとしている。

 向かいから来た子犬がアンガスの足元にじゃれついた。

「おお、どうしたお前!」

 慌てるアンガスに一礼した飼い主が、リードを引いて立ち去った。笑っているジョディーにアンガスがいった。

「おい、見たか?今の犬、服を着てたぞ」

「そんなのナトリじゃ当たり前ですよ」

 ショウタは、すました顔をしてみせた。

「とにかく腹が減った。早く食い物屋を探そうぜ」

 そういって鼻をひくつかせたダイクが首を傾げた。

「おかしいぜ。この街、匂いがしねえ」

「あんた、重油と煙で鼻がバカになったんじゃないのか?」

 ハヤタが憐れむようにいった。 

 ザイオンは厳しい表情で街を観察していた。向かいから歩いてきた男が、すれ違いざま一瞬こちらを睨んだ。その刺すような目つきにザイオンは思わず振り返った。

 大きな居酒屋の前で全員が足を止めた。

「いらっしゃいませ!」

 明るい店内で、若い男が爽やかな声でいった。

 選手たちは窓際のテーブルに案内された。

「ヘイ!まずは初戦に向けて乾杯しよう」

 ジョッキを持ったニトロが立ち上がった。

「音頭は……コジロー、頼む!」

 コジローは座ったまま、不機嫌そうに頬杖をついていた。

「まずは、無事に着いてよかったわ。でもね、何なのよあの客車は!何であんなに揺れるわけ?夜中にトイレでひっくり返ったわよ!まあいいわ、後は特になし。乾杯!」

「乾杯!」

 静かな音楽と、時折他の客が上げる小さな笑い声が聞こえる。テーブルの上の料理は、どれもサンプルのように華やかに彩られていた。

「何か……どれも同じ味」

 箸をくわえたセイヤがボックにいった。

「アスナロ亭の偉大さがわかっただろ?」

 ボックは声を潜めた。

「おい、兄ちゃん!」

 アンガスの大声に、若い店員がびくっと身体を縮ませた。

「ご注文でしょうか?」

「何でもいいから、もっと強い酒を持ってきてくれ」

「少々お待ちください」

 厨房の奥へ引っ込んだ青年が、しばらくして戻ってくる。

「申し訳ありませんが、この時間にお出しできるのはビールだけです」

 突っかかろうとするアンガスの肩をザイオンがつかんだ。

「そうか、すまなかった」

「つまんねえな、まったく」

 ジョディーも口を尖らせる。 

 ニトロが二人に向かって指を鳴らした。

「ヘイ、ホテルに戻ったら飲み直そうぜ!たんまり『龍殺し』を持ってきてる」


 店の奥にいた別の店員が、安心したように受話器を戻した。


   ◇


 昼過ぎ、ガストンズの選手たちを乗せたバスは、イズミボールパークへ向かっていた。整備された側道から見た球場は青い外観で、周囲は広い公園だった。丘の上から陸橋が延びていて、球場のメインゲートにつながっている。


 練習を終えてベンチに入った選手たちは、いつもよりずっと静かだった。タカハシが分厚い手帳をめくる前で、各々が身体をほぐしたり道具のチェックをしていると、満員の場内にアナウンスが流れた。

──ただ今から、第14回WBL主催、IBLアジアカップ第1戦カントウリーグ所属セントラルラムズ対フジリーグ所属ガストンズの試合を開催いたします

 最新型のパークビジョンに、WBLのロゴが大きく映し出される。続いてWBLの歴史からクジの買い方、キャンペーン、関連企業のⅭⅯが長々と流れた。


 5回表。0対0。ラムズの攻撃。ノーアウトからフォアボールとヒットで一塁三塁。

 アンガスは苛立っていた。ビジョンに拍手を促すアニメーションが映し出され、歓声を模した電子音が流れる。ショウタがタイムをとってマウンドへ向かった。内野陣も集まってくる。

「なあ、やっぱり変だな。こんな客は初めてだ」

 ジョディーがスタンドを見回した。左右の外野スタンドには、同じ数だけ金管楽器を吹く応援団がいて、ただ正確に演奏を繰り返している。満員の観衆からは、小さな手拍子だけが聞こえた。

「あいつら賭けてるんだよな?なのに八百長疑惑のチームに野次ひとつ飛ばさねえなんて」

 腕組みしたダイクがいった。

「なあ、それより今はこのピンチをどうするかだ」

 ボックが汗だくのアンガスの背中を叩いた。

「サードランナーは足もあります。ここは1点覚悟で深めに守りましょう」

 ショウタの言葉に全員がうなずいた。


 次のバッターが打席に入った。

 ショウタのサインは外角に落ちるスライダー。アンガスは首を振る。内角低めのスプリットにサインを変える。アンガスはまた首を横に振る。ショウタはマスク越しにアンガスの顔を見つめた。アンガスは、燃えるような目をしてセットポジションをとっている。ため息をついたショウタは、ど真ん中にミットを構えた。

 アンガスは声に出していう。

「逃げるわけにはいかねえ」

 初球。プレートを踏みしめて力一杯右腕を振り下ろした。打者のバットがコンパクトな軌道を描く。真ん中に投じられたストレートは、センター前に打ち返された。

 1点入った上に、まだランナーは一塁二塁。次の打者にもストレートを打たれた。タカハシは動かない。その次の打者もアンガスの直球を弾き返した。


 スコアは0対4に変わった。

 ベンチにミットを投げつけたショウタが、怒鳴り声を上げた。

「何してるんですか!大事な試合なんですよ?」

 隅に座ったアンガスが顔を上げずにいった。

「すまない。いろいろ思い出して、頭にきて、むきになって……」

 肩を震わせるアンガスにタオルをかけたのはニトロだった。

「ヘイ、それならいいじゃないか。何か問題あるか?」

「でもニトロさん、あそこでダブルプレーがとれてれば……」

 ショウタに向かってボックがいう。

「なあ、むきにならないアンガスなんか見たいか?」

 はっとしたショウタの後ろで、アンガスが立ち上がった。

「いいや、こいつのいうことは正しいぜ。本当に悪かった」

 コジローがアームを伸ばして、アンガスの帽子を後ろ向きにした。選手たちが笑い出す。

「肩がぶっ壊れるまで投げろよ。後は任せろってんだ、ったく」

 そうつぶやいたハヤタがブルペンへ向かった。


 9回裏。2対5でラムズのリード。

 先頭打者のダイクは、セカンドライナーでアウト。

 続くバッターはショウタだった。

「絶対に出ます!」

 右打席に向かうショウタがベンチに向かって叫んだ。

 相手は左腕のクローザーだった。

「プレイ!」

 初球はストレートが外角に外れた。ビジョンに167キロと球速が表示される。淡々と構える投手を見たショウタは、バットを短く持ち直した。

 次の球は、内角に食い込んでくるスライダー。窮屈にスイングしたバットから、バックネットにボールが飛ぶ。

 3球目。内角にストレート。身体を開いて必死に合わせる。

 4球目。真ん中低めに大きなカーブ。突っ込むのを堪えてカット。

 5球目。内角高めにストレートが外れる。

 スタンドから、どよめきが起きる。

「おい、なんだあいつ!」

 手を叩きながら笑っているジョディーにタカハシがいった。

「あれは、ノザキ打法だね」

「真似してる。大嫌いなのに」

 セイヤがつぶやいた。

 そして13球目。フォアボールを選んだショウタはダグアウトに向かって拳を上げた。全員が呆れたように力なく手を叩いた。


 チャックは大きくジャンプしてから左打席に入った。リズミカルにバットを揺らしながら鼻歌を歌っている。

 初球のストレート。いきなりチャックのバットが動いた。大木に斧を落とすようなスイングで、ボールを地面に叩きつけた。人工芝のグラウンドが打球を高く跳ね返す。素手で捕ったショートが一塁へ投げたが間に合わない。チャックはベンチに向かって陽気に手を振った。


「あら、いい男じゃないの。優しいボールをお願い。か・な・ら・ず・よ!」

 右打席に入ったコジローは、ピッチャーに向かって投げキッスした。露骨に嫌な顔をしたピッチャーがサインに首を振る。

 コジローの口元が緩んだ。

「単純ね」

 初球。投じられたのは力強いストレートだった。アウトステップしたコジローのバットがきれいに流し打つ。打球は計ったようにライトの前に落ちた。

 悔しそうなピッチャーに向かってコジローが声をかける。

「セキに来たら、うちのお店に寄ってねん!」

 ビジョンに映ったその様子を見て、スタンドのあちこちから小さな笑いが起きた。


 1アウト満塁。

 ネクストバッターズサークルで膝を着いていたボックは、立ち上がって大きく背中を反らせた。

 ふいに金属を叩くような音が2回聞こえた。試合を止めた主審が何もいわずに審判室に入っていく。

「気持ちが悪いね」

 ダグアウトでタカハシが心配そうにつぶやいた。

 しばらくして戻ってきた審判。その横顔をボックが睨みつけた。

「プレイ!」

 初球は外角に外れるスライダー。

「おい、何かしようとしてるのか?」

 ボックは投手に顔を向けたまま口を開いた。キャッチャーはこたえない。

 2球目のストレートが低めに決まる。

「なあ、楽しくやろうぜ。次は石でも投げるのか?」

 苛立ったキャッチャーが低い声でいった。

「うるさい奴だな。ガキの球遊びじゃないんだぞ」

 3球目のストレートが外角に外れる。

 構え直したボックがいう。

「俺はな、最近気付いたんだよ。ガキの球遊びを大人が真剣にやるから面白いんじゃないかって」

 4球目のスライダーが、吸い込まれるように真ん中に入ってくる。ボックの肩が動く。乾いた音を残してボールが飛んでいく。白球の行方を追うボックの目に、セキでのデビュー戦で放った打球が重なった。炎の翼を広げて真っすぐに突っ込んでくるFB。クチバシが開いた瞬間に幻影が消えて、ボールはバックスクリーンを直撃した。


 6対5。ガストンズのサヨナラ勝ち。

 ダイヤモンドを回ってきたボックを選手たちが取り囲む。アンガスが抱きついてきた。チャックは何度も飛び跳ねる。そっと近づいてきたニトロが、バケツの水をボックに浴びせて大笑いした。

「僕は……」

 うつむいて立っていたショウタの肩をボックが抱き寄せた。

「何もいうなよ。何もだ」

 ショウタは何度もうなずいて涙を拭った。

 ライトスタンド、バックネット裏、レフト内野席、あちこちで控えめな歓声が湧いていた。ガストンズの選手たちは、帽子をとって思い切り手を振った。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。