step16 静かなスタンド
step16
キャラメルの箱のような同じ家が並ぶ夜の住宅街。そこだけ木々が生い茂る一帯に、ホテル・マグノリアは佇んでいた。暖色のライトに浮かび上がるレンガ造りの洋館には、幾重にもツタが絡んでいる。
ホールで荷物を降ろすガストンズの選手たちの前に、上品なワンピースを着た女性が現れた。
「ナトリの街へようこそ。当ホテルの主人、エルダです」
「あらっ、きれいなご婦人ね」
コジローが両手を合わせた。
バッグを放り出したニトロが駆け寄る。
「ど、どうも、キャプテンのニトロです!」
にやにやと握手を求める姿に、ジョディーが冷たい目を向けた。
「皆さんのことは、おば様からよく聞いています。必要なことがあれば、何なりといってくださいね」
「おば様だってよ」
後ろの方で笑いを堪えるダイクの肩をペイジが突っついた。
「ママやオーナーのこと、知ってるんですか?」
革張りのソファーをうっとりと撫でながら、ショウタがきいた。
「ええ、両親がお二人の古い友人なんです。私も何度かセキを訪れたことがあります」
エルダは飾り棚のところまで歩いていって、小さな額縁を外した。
「悲しいことがありましたね。それでも、セキにはナトリのようになってほしくありません」
そっと差し出した油絵にはセキドーム球場が描かれていた。
前に出たボックがいう。
「それなら、俺たちの事情も知ってるってことですか?」
エルダの引き締まった表情が飾り棚のガラスに映った。
「ええ、おば様とはよく連絡をとっていますので」
ボックはエルダを真っすぐに見た。
「面倒に巻き込むかもしれない」
選手たち全員が息を飲んだ。
エルダは、にっこりと微笑んでこたえた。
「ええ、何なりと」
夜の街をガストンズの選手たちが歩いている。空に伸びるビル、等間隔に並んだ街灯、人が通って店も開いているのに笑い声ひとつ聞こえない。
「それにしても、きれいな街だな」
ニトロがビルの広告を見上げた。
「やめろ、田舎者だってバレるだろ!」
そういうジョディーも、きょろきょろとしている。
向かいから来た子犬がアンガスの足元にじゃれついた。
「おお、どうしたお前!」
慌てるアンガスに一礼した飼い主が、リードを引いて立ち去った。笑っているジョディーにアンガスがいった。
「おい、見たか?今の犬、服を着てたぞ」
「そんなのナトリじゃ当たり前ですよ」
ショウタは、すました顔をしてみせた。
「とにかく腹が減った。早く食い物屋を探そうぜ」
そういって鼻をひくつかせたダイクが首を傾げた。
「おかしいぜ。この街、匂いがしねえ」
「あんた、重油と煙で鼻がバカになったんじゃないのか?」
ハヤタが憐れむようにいった。
ザイオンは厳しい表情で街を観察していた。向かいから歩いてきた男が、すれ違いざま一瞬こちらを睨んだ。その刺すような目つきにザイオンは思わず振り返った。
大きな居酒屋の前で全員が足を止めた。
「いらっしゃいませ!」
明るい店内で、若い男が爽やかな声でいった。
選手たちは窓際のテーブルに案内された。
「ヘイ!まずは初戦に向けて乾杯しよう」
ジョッキを持ったニトロが立ち上がった。
「音頭は……コジロー、頼む!」
コジローは座ったまま、不機嫌そうに頬杖をついていた。
「まずは、無事に着いてよかったわ。でもね、何なのよあの客車は!何であんなに揺れるわけ?夜中にトイレでひっくり返ったわよ!まあいいわ、後は特になし。乾杯!」
「乾杯!」
静かな音楽と、時折他の客が上げる小さな笑い声が聞こえる。テーブルの上の料理は、どれもサンプルのように華やかに彩られていた。
「何か……どれも同じ味」
箸をくわえたセイヤがボックにいった。
「アスナロ亭の偉大さがわかっただろ?」
ボックは声を潜めた。
「おい、兄ちゃん!」
アンガスの大声に、若い店員がびくっと身体を縮ませた。
「ご注文でしょうか?」
「何でもいいから、もっと強い酒を持ってきてくれ」
「少々お待ちください」
厨房の奥へ引っ込んだ青年が、しばらくして戻ってくる。
「申し訳ありませんが、この時間にお出しできるのはビールだけです」
突っかかろうとするアンガスの肩をザイオンがつかんだ。
「そうか、すまなかった」
「つまんねえな、まったく」
ジョディーも口を尖らせる。
ニトロが二人に向かって指を鳴らした。
「ヘイ、ホテルに戻ったら飲み直そうぜ!たんまり『龍殺し』を持ってきてる」
店の奥にいた別の店員が、安心したように受話器を戻した。
◇
昼過ぎ、ガストンズの選手たちを乗せたバスは、イズミボールパークへ向かっていた。整備された側道から見た球場は青い外観で、周囲は広い公園だった。丘の上から陸橋が延びていて、球場のメインゲートにつながっている。
練習を終えてベンチに入った選手たちは、いつもよりずっと静かだった。タカハシが分厚い手帳をめくる前で、各々が身体をほぐしたり道具のチェックをしていると、満員の場内にアナウンスが流れた。
──ただ今から、第14回WBL主催、IBLアジアカップ第1戦カントウリーグ所属セントラルラムズ対フジリーグ所属ガストンズの試合を開催いたします
最新型のパークビジョンに、WBLのロゴが大きく映し出される。続いてWBLの歴史からクジの買い方、キャンペーン、関連企業のⅭⅯが長々と流れた。
5回表。0対0。ラムズの攻撃。ノーアウトからフォアボールとヒットで一塁三塁。
アンガスは苛立っていた。ビジョンに拍手を促すアニメーションが映し出され、歓声を模した電子音が流れる。ショウタがタイムをとってマウンドへ向かった。内野陣も集まってくる。
「なあ、やっぱり変だな。こんな客は初めてだ」
ジョディーがスタンドを見回した。左右の外野スタンドには、同じ数だけ金管楽器を吹く応援団がいて、ただ正確に演奏を繰り返している。満員の観衆からは、小さな手拍子だけが聞こえた。
「あいつら賭けてるんだよな?なのに八百長疑惑のチームに野次ひとつ飛ばさねえなんて」
腕組みしたダイクがいった。
「なあ、それより今はこのピンチをどうするかだ」
ボックが汗だくのアンガスの背中を叩いた。
「サードランナーは足もあります。ここは1点覚悟で深めに守りましょう」
ショウタの言葉に全員がうなずいた。
次のバッターが打席に入った。
ショウタのサインは外角に落ちるスライダー。アンガスは首を振る。内角低めのスプリットにサインを変える。アンガスはまた首を横に振る。ショウタはマスク越しにアンガスの顔を見つめた。アンガスは、燃えるような目をしてセットポジションをとっている。ため息をついたショウタは、ど真ん中にミットを構えた。
アンガスは声に出していう。
「逃げるわけにはいかねえ」
初球。プレートを踏みしめて力一杯右腕を振り下ろした。打者のバットがコンパクトな軌道を描く。真ん中に投じられたストレートは、センター前に打ち返された。
1点入った上に、まだランナーは一塁二塁。次の打者にもストレートを打たれた。タカハシは動かない。その次の打者もアンガスの直球を弾き返した。
スコアは0対4に変わった。
ベンチにミットを投げつけたショウタが、怒鳴り声を上げた。
「何してるんですか!大事な試合なんですよ?」
隅に座ったアンガスが顔を上げずにいった。
「すまない。いろいろ思い出して、頭にきて、むきになって……」
肩を震わせるアンガスにタオルをかけたのはニトロだった。
「ヘイ、それならいいじゃないか。何か問題あるか?」
「でもニトロさん、あそこでダブルプレーがとれてれば……」
ショウタに向かってボックがいう。
「なあ、むきにならないアンガスなんか見たいか?」
はっとしたショウタの後ろで、アンガスが立ち上がった。
「いいや、こいつのいうことは正しいぜ。本当に悪かった」
コジローがアームを伸ばして、アンガスの帽子を後ろ向きにした。選手たちが笑い出す。
「肩がぶっ壊れるまで投げろよ。後は任せろってんだ、ったく」
そうつぶやいたハヤタがブルペンへ向かった。
9回裏。2対5でラムズのリード。
先頭打者のダイクは、セカンドライナーでアウト。
続くバッターはショウタだった。
「絶対に出ます!」
右打席に向かうショウタがベンチに向かって叫んだ。
相手は左腕のクローザーだった。
「プレイ!」
初球はストレートが外角に外れた。ビジョンに167キロと球速が表示される。淡々と構える投手を見たショウタは、バットを短く持ち直した。
次の球は、内角に食い込んでくるスライダー。窮屈にスイングしたバットから、バックネットにボールが飛ぶ。
3球目。内角にストレート。身体を開いて必死に合わせる。
4球目。真ん中低めに大きなカーブ。突っ込むのを堪えてカット。
5球目。内角高めにストレートが外れる。
スタンドから、どよめきが起きる。
「おい、なんだあいつ!」
手を叩きながら笑っているジョディーにタカハシがいった。
「あれは、ノザキ打法だね」
「真似してる。大嫌いなのに」
セイヤがつぶやいた。
そして13球目。フォアボールを選んだショウタはダグアウトに向かって拳を上げた。全員が呆れたように力なく手を叩いた。
チャックは大きくジャンプしてから左打席に入った。リズミカルにバットを揺らしながら鼻歌を歌っている。
初球のストレート。いきなりチャックのバットが動いた。大木に斧を落とすようなスイングで、ボールを地面に叩きつけた。人工芝のグラウンドが打球を高く跳ね返す。素手で捕ったショートが一塁へ投げたが間に合わない。チャックはベンチに向かって陽気に手を振った。
「あら、いい男じゃないの。優しいボールをお願い。か・な・ら・ず・よ!」
右打席に入ったコジローは、ピッチャーに向かって投げキッスした。露骨に嫌な顔をしたピッチャーがサインに首を振る。
コジローの口元が緩んだ。
「単純ね」
初球。投じられたのは力強いストレートだった。アウトステップしたコジローのバットがきれいに流し打つ。打球は計ったようにライトの前に落ちた。
悔しそうなピッチャーに向かってコジローが声をかける。
「セキに来たら、うちのお店に寄ってねん!」
ビジョンに映ったその様子を見て、スタンドのあちこちから小さな笑いが起きた。
1アウト満塁。
ネクストバッターズサークルで膝を着いていたボックは、立ち上がって大きく背中を反らせた。
ふいに金属を叩くような音が2回聞こえた。試合を止めた主審が何もいわずに審判室に入っていく。
「気持ちが悪いね」
ダグアウトでタカハシが心配そうにつぶやいた。
しばらくして戻ってきた審判。その横顔をボックが睨みつけた。
「プレイ!」
初球は外角に外れるスライダー。
「おい、何かしようとしてるのか?」
ボックは投手に顔を向けたまま口を開いた。キャッチャーはこたえない。
2球目のストレートが低めに決まる。
「なあ、楽しくやろうぜ。次は石でも投げるのか?」
苛立ったキャッチャーが低い声でいった。
「うるさい奴だな。ガキの球遊びじゃないんだぞ」
3球目のストレートが外角に外れる。
構え直したボックがいう。
「俺はな、最近気付いたんだよ。ガキの球遊びを大人が真剣にやるから面白いんじゃないかって」
4球目のスライダーが、吸い込まれるように真ん中に入ってくる。ボックの肩が動く。乾いた音を残してボールが飛んでいく。白球の行方を追うボックの目に、セキでのデビュー戦で放った打球が重なった。炎の翼を広げて真っすぐに突っ込んでくるFB。クチバシが開いた瞬間に幻影が消えて、ボールはバックスクリーンを直撃した。
6対5。ガストンズのサヨナラ勝ち。
ダイヤモンドを回ってきたボックを選手たちが取り囲む。アンガスが抱きついてきた。チャックは何度も飛び跳ねる。そっと近づいてきたニトロが、バケツの水をボックに浴びせて大笑いした。
「僕は……」
うつむいて立っていたショウタの肩をボックが抱き寄せた。
「何もいうなよ。何もだ」
ショウタは何度もうなずいて涙を拭った。
ライトスタンド、バックネット裏、レフト内野席、あちこちで控えめな歓声が湧いていた。ガストンズの選手たちは、帽子をとって思い切り手を振った。




