step15 月下の旅路
step15
早朝の操車場。陽射しを反射する線路に沿って、ボックが歩いてくる。
メモと見比べながら本線から支線へ進んで、さらに切り替えポイントの先へと向かった。2本の線路は、行き止まりで大きな建物の中へ続いていた。
ボックは建物を見上げた。三角屋根の軒にはツバメの巣の跡がある。白い壁板はめくれ上がってペンキが剥げていた。
少し遅れてニトロがやってきた。
「おはよう」
ボックが声をかけると、ニトロはいきなり大きな身体を折り曲げて頭を下げた。
「この前は、情けないことをいって悪かった。もう大丈夫だ」
ニトロはゆっくりと頭を上げて、笑顔で拳を握った。
ほっとしたボックは、その拳に自分の拳をぶつける。
「よかった。あんたが頼りだ」
「ありがとう、ボック。俺はもう不安になんか耳を貸さない」
ニトロの目に力強さが戻っていた。
そこに、酒臭い息を吐きながらアンガスが合流した。
3人は座り込んで、アジアカップのことを話し合っていた。
遠くからハチが羽ばたくような音が近づいてきた。
「よう、おはようさん!」
「おはようございます!」
朝もやの先から、おもちゃのように小さな機関車に乗ったダイクとリンコが手を振った。二人とも作業服にヘルメット姿だった。
荷台から丸めたロープを降ろし終えたダイクがいった。
「さあ、始めるか」
ダイクは腰につけた鍵の束を手にとった。3人は立ち上がって、肩を回して背中を伸ばした。
扉の前は敷石が見えないほど草が伸びていた。ダイクは大きな南京錠に鍵を差す。ボックたちは、引き戸の取っ手に太いロープを結んだ。
「さあ、せーのでいくぞ!せーの!」
ボックとアンガス、ニトロとダイクが左右にわかれてロープを引いた。扉は重い。軋みながら細かい凹凸に乗り上げて、なかなか動かない。全員が顔を真っ赤にして体重をかける。扉は少しずつ動いて、ついに完全に開いた。
4人が息を切らしてへたり込んでいると、機関車を運転するリンコが軽く頭を下げて、そのまま建物の中へ入っていった。
──ゴゴン!
重い音が地面を揺らした。寝転んでいたボックが入口を見ると、リンコの機関車が戻ってくる。そして、その後ろからワイヤーに引かれた巨大な客車が現れた。
「何だ、このでかいのは!」
慌てて起き上がったボックを見て、他の3人が笑い声を上げた。くすんだオレンジ色のボディーに緑色の「Gastons」のロゴ。客車は線路の継ぎ目で大きな音をたてて止まった。
「これでトウホクにいくのか?」
ボックは驚きを隠せない。
「ああ、何年ぶりかな。ガストンズ専用の一等車だぜ」
ニトロは自慢げに指を鳴らした。
「おい、何が一等車だよ。気を付けろよボック、えげつなく揺れるからな」
アンガスは、しかめ面をしてみせた。
「慣れてるよ。俺のトレーラーも乗り心地が悪かったから。おまけに、いつだって一人だったし……」
ボックの肩にニトロがそっと手を置いた。
「ヘイ、今度は賑やかになるさ」
アンガスは客車に近づいて寄りかかった。
「ああ。まあまあ長旅になるぜ」
ハンマーを手にしたダイクが声を張る。
「俺は点検を始めるから、中の掃除を頼む!明日の夕方には出発だ!」
3人は大きくうなずいた。
◇
WBL管理局。局長室。リーンとクルーンが局長席の前に立っている。
「この度は、参加チームの変更を認めていただきありがとうございました」
二人が深々と頭を下げた。
「デムーロ局長のおかげで、当初の計画通りいきそうです」
リーンは不器用に愛想笑いを浮かべた。
デムーロが眼鏡を外して濁った目を二人に向けた。
「チームはこれでいいとして、例の火の鳥捕獲の見通しは?」
即答するリーン。
「はい、その件につきましては主席調査官からご報告いたします」
ぎょっとしたクルーンは横を見るが、リーンは目を合わせようとしない。
「あ、はい。現在はどこかに潜伏しているとの報告が入っています。街の住民が非協力的でして、まあ苦戦しているようですが、えー、遠からず捕獲できる予定です」
太い眉を寄せてデムーロが黙り込んだ。クルーンの額から汗が流れ落ちる。
「わかった。人も金も必要なだけ使ってかまわん。アレは大災害の解析には欠くことができない重要なピースだ」
リーンが早口で割り込む。
「了解しました。私の責任のもと、セキの正常化と並行して取り組みます」
「抜かりなく」
デムーロはそういって立ち上がった。
廊下を歩く二人。
「部長、これでアジアカップに人員を回せますね」
クルーンが機嫌よくいった。
「誰がそんな指示をしましたか?」
リーンは早足で歩く。
「これは失礼しました」
「命令です。試合の工作用に人員を確保してください」
「了解しました」
クルーンは、おどけたように笑ってからリーンの背中を睨みつけた。
◇
夕日に照らされたディーゼル機関車が、敷石の上に大きな影を落とす。力強いエンジンの鼓動に合わせて、煤けた排気口が不規則に煙を吐き出していた。
機関車の後ろには、木材を満載した数十両の貨車がつながれていた。
「オーライ!」
「もう少し!」
作業員たちの手で、最後尾にガストンズの客車が連結された。
操車場には、数え切れないほど街の人々が集まっていた。アスナロ亭の一家、伊勢屋の夫婦、ギン婆さん、マッケンジーもその群衆の中にいる。
ガストンズの選手たちは、荷物を積み終えて客車の横に固まっていた。
「それじゃあ、ホテルのことは頼んだよ」
ガストンママがリンコに封筒を渡した。
「はい」
受け取ったリンコの手は震えている。
「平気さ、後はエルダに任せな。あの娘は信用できる」
ママはその手を強く握りしめた。
「おーい、ニトロはいるかい?」
走り寄ったニトロに、オーナーが紙の箱を手渡した。ニトロは丁寧に蓋をとる。中身は球場のセンターポールに掲げられていた球団旗だった。
「汚れてないな」
ニトロが旗をじっと見つめる。
「私が洗っておいたんだ。あっちでも使ってくれ」
「……はい!」
ニトロは目を閉じてうなずいた。
拡声器を手にしたママが、パレットで作った壇に上がった。
「あー、あー!聞こえるかい?忙しい時間なのに、こんなに集まって……どいつもこいつも暇だね。別に戦争にいくわけじゃないんだから」
最前列にいた子どもたちが大声できいた。
「みんなでFBを探しにいくの?」
ママは、少し困ったようにこたえる。
「野球の試合にいくだけさ。知っての通り、球場が燃えちまった。八百長の噂はたつし、このところ、おかしなことばかり起こってる。まったく気にくわないね。とにかく、この子たちは憂さ晴らしにいくのさ。それで、たんまり金を稼いで戻ってくるんだ」
黙って聞いていた人々が騒めき始める。それから小さな拍手が起こって、さらに歓声が湧いた。
その様子を見たママは大きくうなずいた。
「セキの街の意地ってやつさ。さあ、せっかく来たんだ。そこにいる坊やたちの尻を蹴とばしていっておくれ!」
「頑張ってこいよ!」
「負けて帰ってくんじゃねーぞ!」
人々に囲まれた選手たち。あちこちから伸びる手が、頭や肩を叩いた。
「勝ってくれ!全財産賭けるぜ!」
そう叫んだマッケンジーの頬を、婚約者になった女が思い切りつねった。
「ワシもいく!」
暴れるギン婆さんを周りの人たちが羽交い絞めにしている。
「旨いもの作って待ってるぞ!」
マナを肩車したアスナロ亭のマスターが大声で叫んだ。
「写真を撮りましょう!」
大きなカメラを抱えた写真屋の指示で、ガストンズの選手たちが客車の前に並んだ。手すりにぶら下がるチャック、ぎこちなく笑うザイオン、肩を組むボックとニトロ、レンズから顔を背けるジョディー、その頭に指で角を作るアンガス、ウィンクするコジロー、ピースサインのショウタとセイヤ……それぞれのポーズが決まったところで声がかかる。
「はい、チーズ!」
ラベンダー色の空の下、汽笛が山々にこだました。客車に乗り込む選手一人ひとりに、ママが火打石で小さな火花を飛ばした。
ディーゼル機関車がゆっくりと動き出した。
──ガッセ、ガッセ、ガッセ!ハイハイ!
誰からともなく声が湧いた。
──ガッセ、ガッセ、ガッセ!ハイハイ!
遠くに客車が消えるまで、街の人々の合唱は続いた。
満月の優しい光を浴びて、海沿いの線路を列車が走る。
客車の最後尾のデッキに、手すりにもたれかかるボックがいた。ビール瓶を片手にぼんやりと景色を眺めている。
後ろでドアが開く音がした。現れたリンコはボックの姿に驚いたものの、横にきて同じように手すりにもたれた。
「みんな、もう寝たのか?」
「はい、もうぐっすりみたいですよ」
ボックはビールを一口飲んだ。
「ボックさん、眠れないんですか?」
「そっちこそ眠れないのか?」
二人は目を合わせて小さく笑った。
列車が緩いカーブに差しかかった。巻き込んだ風がリンコのポニーテールを揺らす。
「あの……ボックってあだ名ですよね?」
「ああ、魚市場のチームにいた時つけられた」
長い沈黙。レールの継ぎ目を乗り越える音だけが聞こえる。
「不安です」
遠くを見たままリンコがいった。
「これからどうなっちゃうのか、トウホクでもセキに戻ってからも……」
「ああ、不安だな。俺も不安だよ」
ボックは静かにこたえた。
「私は……ボックさんの10倍不安です」
リンコは少し頬を膨らませてボックを見た。
「何だよ、それは。10倍なんてどうしてわかるんだ?」
ボックは驚いたようにいった。
「もういいです!」
リンコは口を尖らせて手すりに両肘をついた。
列車がたてる音が変わった。二人が顔を上げると、水面に扇形に広がっていく波が見える。
「海の上を走ってる!」
リンコが声を上げた。
「本当だ。洪水か?」
慌てるボックを見てリンコが笑う。
「違いますよ。沈下したところに潮が上がってるんでしょう。今夜は満月ですし」
「そ、そうか……」
ボックは落ち着いて景色を見た。もうどこにも陸は見当たらない。翡翠色の大きな月と、空一面に浮かんだ星空を映す凪いだ海。列車が作る波が遠くに消えていく。
「私にもください」
リンコが腕を伸ばす。
ボックは飲みかけの瓶ビールを渡した。
一口飲んだリンコは満足したように笑った。
列車は力強く海を割りながら、トウホクを目指して進んでいく。




