据え膳と氷姫
「箱の大きさは」
「え……?」
「その荷馬車の箱だ。酒樽くらいか。それとも、簞笥くらいか」
「……簞笥、くらいだって。なんで、そんなこと」
「ん」
――またか。
ヴィンセントは、腹の底が冷えていくのを感じる。またぞろ、番号を欲しがる連中が動いている。市の帰り。ふっつり。港。簞笥ほどの箱。――繋がる。嫌なほど、きれいに繋がりやがる。
昨夜吊るしたあの豚は、しょせん買い手のひとりだ。買い手を狩ったところで、仕入れる者がいるかぎり、檻は空かない。──だが、その先にいる「頭」の顔だけは、まだ、誰にも言わない。確信が刃になるまでは、鞘の中だ。
主は懐から銀貨を掴み出し、節くれだった大きな手で、女の細い手を包むように握らせた。今度は、笑わなかった。
「必ず、家に灯りを点けとけ。夜は、消すな」
「灯り……?」
「子供ってのは、灯りを目印に帰るもんだ」
「……帰って、くるのかい」
「掃除屋に、心当たりがある。任せとけ」
「そうじ、や……?」
「ゴルモアの夜間清掃業。……昔からある稼業だよ」
――ああ。この人は、もう嗅ぎ当てている。
番号で呼ばれ始めた子供たちが、この街のどこで箱に詰められているのかを。そうクロエが胸の内で確信したとき──
しなを作った女が、主の膝に、ぽすんと腰を落とした。
娼館の女だった。紅い唇が、主の無精髭に触れそうな距離まで寄った。
「旦那ぁ、久しぶりぃ。今夜、上に来てくれる? あたし、ずっと待ってたのよぉ」
「おうおう、そう急かすな。据え膳は冷めてからが乙って言うだろ」
「言わないわよそんなの!」
「言うんだよ、通の間ではな」
「どこの通よ!」
「主に俺の間で」
「一人じゃないの、それ!」
主が、へらへらと鼻の下を伸ばす。
つい今しがた、子を攫われた母に「灯りを消すな」と告げた、その同じ喉で。──男の中では、この二つは矛盾しない。悲しみを数えた口で、次の瞬間には軽口を叩く。
そうやって釣り合いを取らねば、この稼業は八年も続かない。重いものばかり抱えていたら、とっくに霧の底へ沈んでいる。だから、笑う。へらへらと、しまりなく。
……それが、この女たちにとっても、いっとき息のつける相手であることも、まあ、都合のいい言い訳のうちだ。
――が。
クロエ・アルジェント、十三歳の内側で、何かが、ぎゅうと音を立てた。
……なんだ、あの、だらしのない顔は。
気づけば少女は、白手袋の指を固く組んでいた。爪が掌に食い込む。理由は、ない。強いて挙げるなら、業務効率の問題だった。ここで油を売られては午餐会に遅れる。そう、これは時間の問題だ。
断じて、それ以外の、名前のつかない何かではない。──と、彼女は懸命に自分へ言い聞かせた。言い聞かせるほどに、頬の裏が、じわりと熱くなっていくのが、我ながら業腹だった。
「ご主人様」
その声は、我ながら、氷のように尖った。
「据え膳が冷める前に、午餐会が冷めます。お立ちください」
「お、おう……? まだ時間は」
「ありません。道が混みます」
「この街で馬車が混むのは夕方だろ」
「本日は特別に混みます。雪が降りますので。私の見立てでは」
「執事の見立てに天気予報まで入ってたか? それにこの季節に雪だぁ?」
「入っております。本日の灰路地は、これより急速に冷え込みます。……雪が振りますので」
「……もう冷えてる気がするなあ、なんでかなあ」
女がびくりと少女を見て、そそくさと膝から退いた。主は困ったように頭を掻く。
「……こわ。うちの執事、氷でできてんのか」
「氷で結構です。あなたの据え膳を冷やすには、ちょうどよろしいかと」
ひゅう、と口笛が飛んだ。酒場のどこかから。
主は銀貨をもう一枚カウンターに置き、女の手にそっと握らせた。
「悪いな。今日は氷に連れ戻される。取っとけ」
「……旦那って、ほんと、変な金持ちよね」
「よく言われる」
女の顔から作り笑いが消えて、ただの、疲れた娘の顔になった。彼女もまた、この人の「相談事」の一人なのかもしれない。そう思い至って、クロエは自分の尖った声が、急に恥ずかしくなった。頬の裏が、じわりと熱い。
……いや。恥ずかしくなど、ない。執事たる者、感情を面に出してはならぬのだ。
「行くぞ、氷姫」
「クロエ、と申します」
「知ってる。ベーコン、夜は多めな」
「――却下です」
「昼の交渉では一枚半まで行ったろ」
「あれは朝食の交渉です。夕食は白紙からです」
「じゃあ三枚からだな」
「白紙と申し上げました! 積み増してどうするのですか!」
路地を出る大きな背中を、酒場じゅうの「またな旦那」が追いかけてくる。
下町の英雄。気の良い旦那。膿を数える聞き役。そして、女にでれでれの、しょうもない中年。
全部、この男の顔だ。全部が嘘で、全部が本当である。




