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無能な三代目当主は二つの貌を持つ。 ―13歳の少女執事だけが、それを知っている。  作者: カクナノゾム


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わが友、

「な――ぐあっ!? な、なんだ、これは……!?」


 ガルムの目に、初めて、正真正銘の狼狽が浮かんだ。何も見えない。何も飛んでこない。

 それでも、何かが身体を貫通しながら、辺りを飛び回っていることだけは、事実が示している。


「ぐはッ!」


 ほどなくガルムの身体は四肢の腱を断たれ地に伏した。


「不可視の攻撃は、別にお前の専売特許じゃない」


 男の声は、静かだった。


「インビジブルナイフ。魔力を流し込むことで、周りの風景と同化する刃だ。……お前の音と、理屈は同じだよ。見えなきゃ、そこにないのと、勘違いしちまう」


 言い聞かせるように呟く。ガルムの心を折るために。


「刃自体にも、細工がある。投げた瞬間、超振動を刻む。防ごうが、受け止めようが、関係ねえ。触れた側から、抵抗なく貫通するだけだ」


「レガシー……クラスの……魔道……具かよ、ちっ……」


 ただし、この切り札を使用するには莫大な魔力を必要とする。一度の戦闘で使えるのはせいぜい三回。だがそんなことを口にする必要はなかった。


「掃除屋はな、後片付けまでが仕事なんだよ」


「て、めえ……何が、そんなに……」


 ――カラン、と。


 インビジブルナイフが、込められた魔力を使い切り乾いた音とともに地面に落ちる。


「――天の火は消えない」


 男の声、だが、その一言だけは、廃墟の隅々にまで、はっきりと響いた。


「この俺がいる限りな」


 血を流して膝をつくガルムの義手へ、再び放たれたワイヤーが、絡みついた。抵抗する力は、もう、残っていなかった。


「レナード・アルジェント。わが友よ」


 ヴィンセントは、静かに言った。八年間、誰にも聞かせなかった、たったひとりぶんの点呼を。


「読み上げる名前は、今夜は、ひとつでいい」


 ワイヤーが刃と化し、太い首を切断した。


 ――ごとり、と生首が地面に落ちる。


 悲鳴も、上がらなかった。廃墟の石が、溢れ出す血潮を吸い込んで、静寂だけが残る。


  § § §


 瓦礫の上、ガルムの首から落ちた鎖が、じゃらりと、乾いた音を立てた。


 ヴィンセントは、崩れ落ちるように、その場に膝をついた。震える指で鎖を辿り、擦り切れたボタンだけを、そっと拾い上げる。


 小さな、なんの変哲もないボタンだった。

 だが、その手の中で、八年間止まっていた何かが、ようやく動き出した。


「……レン」


 声が、震えた。


「悪かったな。……こんなとこに、ずっと、置き去りにして」


 ぽつり、と、頬に何かが当たった。

 見上げれば、垂れ込めていた雲が、とうとう堪えきれなくなったように、雨を落とし始めていた。ひと粒、またひと粒。やがて、瓦礫の上に、静かな雨音が満ちていく。


 肩が、震え出す。最初は小さく、やがて、大きく。八年間、誰にも見せなかった慟哭が、大男の体から、堰を切ったように溢れ出していく。


「……これは、雨だ」


 濡れた顔のまま、ヴィンセントは、そう呟いた。誰に言い訳するでもなく、ただ、自分自身に言い聞かせるように。


「これは……雨だからな」


「悪かった……悪かったよ、レン……お前が繋いでくれた命を、俺は、ずっと、こんな使い方しかできなくて……」


 声にならない声で、何度も、何度も、名前を呼びながら。子供のように、大きな体を丸めて。四十二年生きてきた男が、この瞬間だけは、たった一人の少年に戻っていた。


 クロエは、その背中に、そっと近づいた。近づいて、何も言わず、隣に、静かに座った。


 ――父の、最後の欠片。

 小さなボタンを見つめるうち、少女の目にも、熱いものが、じわりとこみ上げてきた。八年前、顔もろくに覚えていなかった父。


 任務記録の文字と、写真の中の笑顔でしか、知らなかった父。その人が、確かにここで、この人を庇って、笑って死んだのだと、今、はっきりと、体の芯で分かった。


 分かってしまうと、もう、堪えられなかった。


「……お父様」


 ボタンに向けて、そう呼んだ。声が、掠れた。


 涙が、頬を伝った。止めようとしたのに、止まらなかった。祖父の教えを、生涯で二度目に、盛大に破った夜だった。一度目は、半年前の椅子に座った夜。二度目は、今、この瓦礫の上で。


「……う……うぅ……あ……あああああっ!」


 号泣。

 答えは、返ってこない。当たり前だ。八年前に死んだ人だ。それでも、言わずにはいられなかった。言葉にすることでしか、繋げられない何かが、そこにはあった。


 ヴィンセントは、涙に濡れた顔のまま、少女の頭に、震える手を乗せた。いつものように、ぽん、と軽くではなく、ただ、そっと、重さを預けるように。


「……泣くな……どうしていいかわからん」


「ぎゅって……してください。お父さんがするみたいに」


 ヴィンセントの手が、一瞬、宙で止まった。

 父親が、娘を抱く仕方など、知らない。教わったこともない。ただ、目の前で、小さな体が、雨と涙にまみれて震えている。それだけが、今、確かなことだった。


 大きな両腕が、ゆっくりと、少女の背中に回った。壊れ物を扱うように、それでいて、二度と離さないというように、そっと、しかし確かに、抱き寄せる。


 クロエは、その胸に顔を埋めた。雨に濡れたコートから、消毒液と、汗と、微かな血の匂いがした。八年間、この人が一人で嗅ぎ続けてきた匂いだ。


「……こう、か」


 主の声が、不器用に、掠れた。

 クロエは、その胸にすがりついたまま、さらに強く、腕に力を込める。


 その体は思ったよりもずっと暖かかったのを、彼女は後々まで思い出すのだった。

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