表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
無能な三代目当主は二つの貌を持つ。 ―13歳の少女執事だけが、それを知っている。  作者: カクナノゾム


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
24/24

灯りの点いた日

「……こうです」


 少女は、コートの背を、両手できつく握りしめた。堰を切ったように、また、声が漏れる。


 二人は、雨の中、そのまま、しばらく動かなかった。廃墟の瓦礫の上で、大きな影が、小さな影を、包み込むように、覆っていた。


「あなたも、泣いておいでですよ」


「これはただの雨だ」


「嘘です」


「うるせえ。四十二にもなって、みっともねえのは、分かってる」


「みっともなく、ありません」


「じゃあ、なんだ」


「――人間らしいです。誰よりも」


 雨は、いつしか、小降りになっていた。厚い雲が、ゆっくりと割れていく。

 その隙間から、新月の夜には見えるはずだった満天の星が、ようやく顔を出した。廃墟の瓦礫の上に、静かな光が降り注ぐ。


 二人は、しばらく、そうしていた。星明かりの下で、ひとりの死者を、ようやく本当の意味で悼むために。


 翌日、というか、同日の午後一時。

 ゴルモアの空に、雲はなかった。昨夜の廃墟の記憶が嘘のような、間の抜けた青さである。


 救済院の中庭に、子供たちの声が響いていた。


「旦那ぁ! こっち来て!」


「肩車、肩車!」


「わたしが先だって言ったのに!!」


「順番だ、順番。……いてて、髪引っ張るな」


 ヴィンセントは、両肩に子供を二人乗せ、さらに片腕にもう一人ぶら下げられたまま、砂場の真ん中で立ち往生していた。無精髭は相変わらずだが、目の下の隈は、心なしか、昨日より薄い。


「旦那、腕相撲!!」


「今、両手も両肩も塞がってるだろうが」


「じゃあ後で!!」


「後で忘れてくれると助かる」


「忘れないもーん!!」


 院長が、洗濯物を山ほど抱えたまま、その脇を通り過ぎていく。


「相変わらずですね、あの穀潰しは」


「ええ、本当に」


 クロエは、回廊の柱に寄りかかりながら、その光景を見ていた。院長の言葉に、小さく笑って頷く。


「毎回、あれだけ揉みくちゃにされて、よく懲りないものです」


「懲りてないわけじゃないと思いますよ。……ただ、来るのをやめる気は、これっぽっちもなさそうです」


「よくお分かりで」


「半年、お仕えしておりますので」


「あら、氷姫」


 声のした方を見ると、赤毛の少女が、洗濯籠を抱えて立っていた。ネリだった。以前より、少し背が伸びたように見える。


「元気にしてる?」


「おかげさまで。……あんたも、顔色、良くなったね」


「そう見えるか」


「見える。あの化け物の連れにしちゃ、ずいぶん人間くさい顔してる」


 クロエは、少しだけ、意外そうな顔をした。


「化け物、とは、もう思っていないのか」


「思ってねえよ、とっくに」


 ネリは、砂場の惨状を、顎でしゃくった。ヴィンセントは今、三人がかりで押し倒され、砂まみれになっている。


「……だって、また来たじゃないか。子供の遊び相手なんかしにさ。化け物は、そんなことしない」


「そう、だろうか」


「するわけないだろ、普通。……あんたは、知らないのか」


「いや」


 クロエは、少しだけ、目を伏せた。


「知っている。誰よりも」


 昨夜、あの人は、廃墟の闇の中で、子供のように泣いていた。今日は、この陽だまりの中で、子供たちに、また別の意味で泣かされている。


 同じ人だ。全部、同じ、この人だ。


「クロエ、来い!! 助けろ!!」


 砂まみれの主が、こちらへ向けて、情けない声を上げた。


「あなたが撒いた種です。ご自分で刈り取ってください」


「鬼か!! うちの執事は鬼か!!」


「氷でできてるって、前に旦那が言ってたぜ」


 子供たちが、どっと笑う。ヴィンセントは、笑いながら砂だらけの頭を振って、それでも、子供たちを振り払おうとはしなかった。振り払う気があるようには、とても見えなかった。


 ――どれだけ掃除しても、な。

 子供たちの重みを両肩に感じながら、男は、ふと、笑顔の下で、そんなことを思う。ドミニクを片付けても、また誰かが同じ商売を始める。ガルムを片付けても、また別の狂犬が、どこかから湧いて出るのだろう。人の心から悪だけを抜き取る術式なんて、どこにもない。


 俺のやってることに、いったい何の意味がある。

 この街は、明日もまた、腐っているだろうに。


 その答えを探すように、ヴィンセントは、目の前で笑い転げている子供たちの顔を、ひとつずつ見た。……分からない。分からないが、今、この砂まみれの重みだけは、確かに本物だ。それだけは、誰にも奪えない。


「氷姫も混ざれよ!!」


 ネリが、洗濯籠を置いて、砂場へ駆けていった。


 クロエは、その背を見送り、しばらく、そのまま動かなかった。

 白手袋の内側で、指先が、まだ、昨夜の音叉の感触を覚えている。喉には、赤黒い痕が、うっすらと残っている。それでも、痛みより先に、胸の奥が、じんわりと温かかった。


 ――言いつけを破って、良かった。


 そう思ってしまう自分を、少女は、もう咎めなかった。祖父の教えその一を、また少しだけ、都合よく曲げる。執事たる者、感情を面に出してはならない。だが、これくらいは、業務時間外ということにしても、罰は当たらないだろう。


 クロエは、白手袋を、片方ずつ、ゆっくりと外した。丁寧に畳んで、回廊の柱に置く。


「……業務時間外、ということで」


 誰にともなく呟いて、少女は、陽だまりの中へ、素手のまま、足を踏み出した。


「クロエ、こっちだ!! 早くしろ!!」


「――今、参ります」


 砂場に膝をついた瞬間、三人の子供に、いっせいに飛びつかれた。悲鳴とも歓声ともつかない声が、中庭に響く。


 ゴルモアは、今日も、腐っている。法は死に、正義は値札つきで売られ、明日には、また新しい悪党が、どこかの裏路地で生まれるのだろう。この街が丸ごと綺麗になる日は、たぶん、永遠に来ない。


 それでも今、この中庭にだけは、灯りが点いていた。

 誰も見張らず、誰も裁かず、ただ、笑い声だけが満ちる、小さな昼の灯りが。


 あの人は父の友だった。そして父の仇を討ってくれた。泣いている私を、抱きしめてくれた。

 あの人は自分のことを英雄ではないという。きっとそれは真実なのだろう。――でも。


 これは背徳と罪悪の街ゴルモアに生きる、一人の少女と彼女の英雄の物語である。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ