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無能な三代目当主は二つの貌を持つ。 ―13歳の少女執事だけが、それを知っている。  作者: カクナノゾム


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十九の名前

 そして黒衣は、帳場への廊下に向き直った。


「ご主人様。最奥の障壁式ですが」


『ん』


「解析、完了しております。……三日前から、ずっと」


『だろうな』


「驚いてくださっても、よろしいのですよ」


『三日前から驚いてるよ。ずっとな』


 面の奥で、笑った気配がした。


『管制、頼む』


「はい。――良い狩りを」


 障壁が、少女の術式で内側から裏返る。

 帳場の扉が、開いた。


 葉巻の煙。散らばる金貨。帳簿の山。そして肥えた男が、二人の魔導士に守られて、悠々とワインを傾けていた。『快楽の』ドミニク。十九人の子供を「仕入れ」、番号を振った男である。


「……あん? 誰だ、てめ――」


 護衛の魔導士が杖を上げた。詠唱は、始まりすらしなかった。天井から落ちた不可視の刃が一人目の肩口を縫い、振り向いた二人目の膝をワイヤーが刈る。骨と腱の断たれる湿った音がして、二つの体が金貨の海へ沈んだ。二秒。それで帳場に立っている者は、黒衣の男ただ一人となる。


「ひ……ひぃっ……!?」


 ドミニクが椅子ごと後ずさった。


『ドミニク』


 主が、一歩、進む。


『ネリ。十二歳。ハンナ。九歳。ルカ。六歳。ミオ。八歳。ヨエル。十歳。ターラ。七歳。ピノ。六歳――』


「な、なんだぁ? なんの呪文だそりゃあ!?」


 呪文。

 この外道は、それを呪文と呼んだ。


 ――呪文、ときたか。

 面の下で、ヴィンセントの胸の底が、静かに、冷たく凍った。名前を呪文としか聞けない耳。この男の世界には、はじめから名前などというものが存在しないのだ。


 存在しないから、奪った自覚もない。奪った自覚がないから、詫びる余地もない。ならば、こちらにも、手心を加える余地はない。


『お前が売った子供の、名前だ』


「は……はァ!? し、知るかよそんなもん! 商品に名前なんかつけねえだろうが!!」


「て、てめえ、何者だ!? どこの組の差し金だ!? 金か!? 女か!? 言い値で払うぞ!?」


『ブリムストーン』


「……ひ……っ」


『それだけ知っていれば、地獄の門番に伝えられる』


「ま、待て、待て待て待て!! なあ、商売だろ、これは、ただの商売で――」


『ネリ。十二歳』


 主は、繰り返した。


『商売なら、なぜ舌を抜くと脅した。……なぜ、あの子の水を減らした』


「し、知らねえ! 現場のことは見張りが――」


『帳簿には、お前の字で書いてある。「四十一番、減水三日、躾」……とな』


「…………ッ」


『躾、か。名前をつけないものに、躾だけはするんだな』


 ワイヤーが、鳴った。


 クロエは水晶球から、目を逸らさなかった。

 裁きの間、管制卓の自分にできることは、それだけだから。この人がひとりで背負う夜を、せめて、ひとりにしないことだけだから。画面の中で、天火が一人ぶんずつ、名を取り戻していく。番号に書き換えられた七人と、ここにいない十二人の名を。


 ――やがて、帳場は静かになった。


『……回収班に繋げ。子供たちの保護を最優先。それから帳簿だ。取引相手の台帳ごと、押さえる』


「手配済みです。……お疲れさまでした、ご主人様」


『ん』


 短い返事のあと、通信の向こうで、主が小さく息を吐くのが聞こえた。

 十九の名前ぶんの、長い長い息だった。そのうち八つが、二度と朝を食えぬ名であることを、この男は、たった今、また一人で数えなおしたのである。


 クロエは、聞こえないふりをして、次の指示のために、そっと回線を繋ぎ替えた。


 子供たちの「迎え」は、手筈どおりに来た。

 アシュレイ・カンパニー傘下の救済院の馬車だ。表向きは、匿名の篤志家の施設ということになっていた。院長は口の堅い、腕のいい元治癒師で、その給金は主のポケットマネーから出ている。


 もちろん、世間は誰ひとり知らない。知らないように、この男が二十年、手を尽くしてきたからだ。


 クロエは物陰から、子供たちが毛布にくるまれて運ばれていくのを見届けた。


「さ、あったかい馬車よ。スープもあるからね」


「……姉ちゃん、先、乗りな。ちっこいのから」


「あんたが一番ぼろぼろじゃないの」


「平気。あたしは、頑丈だから」


 その、最後の一人。赤毛のネリが、馬車に乗る寸前で足を止め、倉庫の屋根を振り仰いだ。


 そこに、黒衣の影があった。

 雨の中、様子を見届けに残っていた主が、一瞬だけ、霧の切れ間に晒される。


「ひっ――」


 ネリの顔が、恐怖に強張った。

 三分間、目と耳を塞いでいても、幼い勘は察してしまったのだろう。帳場から戻らなかった男たちのことも。この黒ずくめが「何を」する者なのかも。


「く、来るな……化け物ぉ……っ!!」


 あれだけ見張りを睨みつけた気丈な子が、腰を抜かし、泣きながら後ずさる。院長が慌てて抱き上げ、馬車の中へと運び込んだ。

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