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無能な三代目当主は二つの貌を持つ。 ―13歳の少女執事だけが、それを知っている。  作者: カクナノゾム


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檻の中の四十一番

 港湾区の倉庫街は、ゴルモアの臓腑だ。

 表の顔は貿易の要。裏の顔は、この街へ流れ込むあらゆる「商品」の集積地だった。魔導薬も、禁制の呪具も――そして、人間も。


 その臓腑の奥へ、ひとりの小さな影が潜り込んでいく。

 下働きの小僧に変装したクロエ・アルジェントは、帳簿箱を抱え、第七倉庫の裏口を音もなく抜けた。変装術も潜入術も、祖父セバスチャンの教えの基礎科目だ。


 十三歳の子供が出入りしても誰も気に留めぬ場所というものが、世の中にはある。そして、そういう場所にこそ、地獄はあるのだった。


『――クロエ。無理はするな。配置の確認だけでいい』


「承知しております」


『いいか、確認だけだ』


「承知しております、と申し上げました」


『二回言わせるやつは、大抵やらかす』


「あなたの経験則ですか」


『……レンの、だ』


「なら、心して」


 耳の奥で、主の声がした。

 今夜の少女は管制卓ではなく、現場にいる。

 南の倉から持ち帰った台帳は、仕入れ元の名を吐いた。『快楽の』ドミニク。裏社会の中堅元締め、表の顔は魔導薬の卸である。


 中継ぎの倉をひとつ天火に潰されて以来、この男は巣穴の警戒を極限まで引き上げていた。アジトは対魔導結界が幾重にも張り巡らされ、機械梟では中を覗けない。ゆえに――この街でただ一人それを掻い潜れる者が、自ら忍び込むほかなかった。


 倉庫の奥。積み上げられた木箱の陰に、それはあった。

 鉄格子の、檻である。


 最初、少女はそれを獣の檻だと思った。思おうと、したのかもしれない。


 中に、子供がいた。七人。いちばん小さい子は、五つか六つ。皆一様に薄い服を着せられ、首には数字を書いた木札を提げている。三十四番。三十五番。三十六番――。


 息が、一瞬止まった。

 番号だ、とクロエは思う。名前を、番号に書き換えられている。人間を、荷に書き換えるための番号に。


『クロエ?』


「……問題、ありません。続けます」


 声が揺れなかったことを、少女は天国の祖父に感謝した。


 檻のいちばん手前に、彼女と同じ年頃の少女がいた。癖のある赤毛に、そばかす。

 木札の数字は四十一番。少女は他の子たちを背に庇うように格子の前へ座り、通りかかる見張りを、じっと睨みつけている。怯えて泣くでも、助けを乞うでもなく。ただ、睨んで、いた。


「――おうおう、四十一番。まぁた客を睨んでやがる」


 見張りの男が、格子を蹴った。


「お前は器量がいいから高く売れるってのによぉ。その目ぇどうにかしねえと、旦那に舌ぁ抜かれちまうぜ?」


「抜けば」


 赤毛の少女が、低く応じた。


「舌がなくても、噛みつくくらいはできる」


「……はっ。言うじゃねえか。歯も抜くか?」


「抜けば。額でも、いける」


「クソガキが……!」


 蹴られる。少女は転がり、それでも起き上がって、また同じ場所に座り直した。他の子たちを背にする、同じ場所に。


「姉ちゃん……」


 背中の奥で、小さな子が洟を啜った。赤毛の少女は振り向かず、格子を睨んだまま、後ろ手にその子の指を、きゅっと握った。


「泣くな。泣くと、喉が渇く。……水、もったいないだろ」


 クロエは帳簿箱を抱えたまま、俯いて、その前を通り過ぎた。通り過ぎながら――白手袋の中で、爪が掌に食い込んでいく。今すぐこの格子を解いてやりたい。祖父の術式なら、錠のひとつやふたつ。


 だが、駄目だ。ここで動けば、七人まとめて盾にされて終わる。分かっている。分かっているのに、指が、勝手に力む。


『クロエ。心拍が上がってる』


「……失礼しました」


『見たものを言え』


 主の声は、静かだった。静かで、底の温度だけが、確かに違っている。


「檻がひとつ。子供が七名。全員、衰弱していますが命に別状はありません。それと――」


 言葉を、選ぼうとした。選べなかった。


「それと、私と同じ年の子が、皆を庇って、見張りを睨んでいます。ずっと、睨んでいます」


 通信の向こうで、短い沈黙があった。


 ――俺の執事と、同い年か。


 管制卓の暗がりで、ヴィンセントは目を閉じる。番号を振られてなお、他人の前に座って睨む子供。その気性の元手が、この稼業でどれほど高くつくかを、この男は誰よりも知っていた。


 気の強い子ほど、折れるときは、根こそぎ折れる。折らせてたまるか、と胸の底が低く鳴る。……だが、それを声には乗せない。乗せれば、現場の執事の心拍が、また跳ねる。


『配置は』


「見張り六。母屋に八。奥の帳場にドミニク本人と、護衛の魔導士が二名。搬出は三日後の夜と聞こえました」


『ん。……戻れ。今夜は下見だ』


「――三日も、待つのですか」


 言ってから、しまった、と少女は唇を噛んだ。作戦上、正しいのは主だ。結界の解析には時間が要る。準備のない強襲は、あの子たちを盾にして終わる。分かっている。分かっているのに、口が先に動いた。

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