表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
無能な三代目当主は二つの貌を持つ。 ―13歳の少女執事だけが、それを知っている。  作者: カクナノゾム


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
10/23

押しかけ初日

 ――半年前の話を、しよう。

 私がまだ、何も知らなかったころの話だ。


「初めまして、ご主人様。本日よりアシュレイ家の筆頭執事を拝命いたしました、クロエ・アルジェントと申します」


 大理石のエントランスホールに、声が響いた。

 お仕着せは特注の燕尾服。髪は一糸乱れず、手袋は純白、お辞儀の角度は十五度。姿勢、呼吸、声の張り。どれをとっても、祖父に叩き込まれたとおりの、完璧な仕上がりだったと自負している。


 祖父は、言っていた。

 ――アシュレイのご当主は、儂が生涯でただ一人、心から仕えたいと思った御方だ。御子息であらせられる現当主は、若い頃は随分と落胆させられたものだが、今は違う。


 ――使えるに値するお方だ。


 あの厳格な祖父が、だ。裏社会の交渉術から対魔導戦闘まで、あらゆる技を修めた伝説の執事が、死の床でさえ「良い主だった」と笑った、その人。

 いったいどれほどの傑物なのか。私は胸を高鳴らせて、階段の上を見上げ――


「……ふわぁあ。なんだい、騒々しい。まだ昼じゃないか」


 ――高鳴った胸が、音を立てて凍った。


 階段の上に現れたのは、寝間着姿の、大きな中年男だった。上背はあるのに、背を重たげに丸めて、一段ごとに古い階段を軋ませて降りてくる。伸びた無精髭。


 ぼさぼさの、こめかみに白の混じった髪。はだけた胸元からは酒瓶の首が覗き、歩くたび、ツンと酒精と、その奥にかすかな煙草の匂いが漂ってくる。


「ん? 誰だい、君は。迷子なら警察を――」


「現在時刻は午後一時です」


 声が、自分でも驚くほど平坦になった。


「昼じゃないか、ではありません。とっくに昼です。そして私は迷子ではなく、先代執事セバスチャン・アルジェントの孫にして後任、クロエ・アルジェントです」


「げっ」


 げっ、と言った。この男、いま、げっと言った。


「爺さん、孫は呼ぶなとあれほど……あー、悪いね、お嬢ちゃん。お引き取り願えるかな。うちに執事はもういらないんだ」


「祖父との契約書がございます。アルジェント家は代々――」


「ほら、これ、馬車代。釣りはいいから」


「多すぎます。馬車で大陸を三周できます」


「じゃあ三周してきな。景色がいいぞ、西回りは」


「……ご主人様」


「なんだい」


「私はいま、生まれて初めて、人を張り倒したいという衝動と戦っております」


「執事がそれ言う!?」


 ――これが、私と主の出会いである。


 祖父。天国の祖父。あなたが生涯を捧げた主とは、本当に、このお方で間違いないのですか。棺の中から一度だけ出てきて、ご説明いただきたい。


 その日から、私の「更生計画」が始まった。


 朝は日の出とともに起こす。


「ご主人様、朝です」


「ここに朝は来ない。当家は永世中立の夜だ」


「国際法にそのような夜はありません。起きてください」


 起きない。


 酒瓶は見つけ次第没収する。


「ご主人様。書棚の辞書が、中身だけ酒瓶でした」


「ほう。学のある酒だな」


「没収します」


「待て、それは知識だ。飲む知識だ」


 どこからか無限に湧く。


 執務室の書類は整理して差し上げる。三日で元の混沌に還る。会社の重役会議に送り出す。居眠りして帰ってくる。


「ご主人様。本日の重役会議、また閣下がお眠りになったと伺いましたが」


「いやあ、あの会議室の椅子、出来がよくてなあ」


「椅子のせいにしないでください」


「じゃあ議題のせいだな。数字ばっかりで」


「あなたの会社の決算です!!」


「だから寝たんだ。悪い数字なら起きてた」


「良い決算なら寝ていいという理屈がどこにあるのですか!」


「安心して寝られる会社って、いい会社だと思わないか」


「思いますが!! 総帥が言ってはいけません!!」


 張り合いが、ないわけではなかった。

 この人は怒らないのだ。私がどれだけ辛辣な小言をぶつけても、屋敷を「大魔法で改装いたします」と脅しても、へらへらと受け流すだけで、一度も声を荒らげない。追い出そうとするくせに、夕食の席は毎晩、当然のように二人ぶん用意させる。矛盾した人だった。


 ――そして、妙なことが、いくつかあった。


 どれだけ酒瓶が転がっていても、この人が酔い潰れている姿を、朝以外に見たことがない。

 どれだけだらけていても、掌と指には、剣士のような固い胝がある。

 そして週に幾晩か、屋敷のどこを探しても、主の姿が消える夜がある。


 朝になると、何食わぬ顔でソファに転がっている。ときどき、消毒液の匂いをさせて。


「……昨夜は、どちらに」


「ん? 飲み歩き」


「どちらの店で」


「覚えてないなあ。二日酔いで」


「お戻りは何時ごろでしたか」


「さあなあ。時計も二日酔いで」


「時計は飲みません」


「うちのは飲むんだ。ほら、辞書も飲むし」


「あれはあなたが辞書に酒を隠して――話を逸らさないでください」


 嘘だ、と直感が言った。

 執事の直感ではない。アルジェントの直感だ。祖父に叩き込まれた観察眼が、こんなにも間近で、毎日、警鐘を鳴らし続けている。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ