ノックは禁止
オリジナル版の新しい巻の公開が始まりました。
これからも書き続ける励みになりますので、ぜひこちらの作品とオリジナル版の応援もよろしくお願いします。
火花とナエヴィアは夜通し探し続けたが、教えられた洞窟を見つけることすらできなかった。その代わり、新しい洞窟を発見したものの、カエリアンのナリスを探知できなかったため、街へ戻ったほうがいいと判断した。洞窟を出ると、火花はしゃがみ込み、膝に顔を隠した。
ナエヴィアは横目でそれを見て、ため息をついたあと、言った。
「しゃがみ込んでないで、ギルドに戻らないと 。彼の知らせがあるか確かめなきゃ」
一滴、地面に涙が落ちた。続けて二滴、やがて火花は泣き出した。
「もう見つからないよ……きっと、もう死んでる!」
「そんなこと言わないで!」
涙はさらに激しくなり、ナエヴィアは少し後ろに下がった。
(どうやって落ち着かせればいいんだ?)
ナエヴィアはその横にしゃがみ込み、息を吸って言った。
「そんなに心配してたなんて思わなかった。普段は気にしてないように見えるのに」
火花はしゃくり上げながら、手の甲で涙を拭った。
「カエリアンは……いつも、自分のことは心配するなって言うから……だから、そうしただけ」
(うわっ……かなり文字通りに受け取ってたんだな)
ナエヴィアは気まずそうに笑った。
「……そうか」
「……でも、本当は、そうしないのって結構難しいけど……」
一瞬だけ、火花はかすかに笑った。
「でも、少しは楽になる。いつも何をすればいいか分かってるし、全部ちゃんとどうにかできるから」
「へえ、そんなに信頼してるの?」
「うん……カエリアンと一緒にいると、他のことは何も心配しなくていい気がする。だって、いつも全部解決してくれるから」
ナエヴィアは、自分にそこまで心を開いていることに驚いたが、火花は続けた。
「……もしカエリアンが死んだら……私……目的が……なくなる」
その言葉はナエヴィアの頭の中で響いた。
(目的を失う……? 観念体だった頃、私はまさにそれを感じていた。カエリアンを助けることを人生の目的にしようとまで思ったけど、カエリアンはその考えを拒否した。もしあの間違った決断をしていたら、自分がどうなっていたのか分からない。まだ学ぶべきことはたくさんある……無事だといいけど)
ナエヴィアは立ち上がり、笑顔を浮かべた。
「さあ、行こう! カエリアンは大丈夫だよ。ギルドに戻ろう」
「……どうしてそう思うの?」
「自分で言ってたでしょ。あいつはいつも何をすればいいか分かってるし、全部ちゃんとどうにかできる。だから、きっと大丈夫」
火花は小さくうなずいて立ち上がった。しかし、ナエヴィアは心の中で呟いた。
(私もあんなふうに簡単に信じられればいいのに……)
***
カエリアンはギルドへ向かって歩きながら、自分を治療してくれたあのアンバリアンのルビーが夜の女だったという事実を、どうしても頭から追い出せなかった。
(……どうしてもっと早く気づかなかったんだろう……。自分がどう感じるべきなのか分からない。でも、本当はそんなこと重要じゃないし、もう二度と会わないと思う。それに、あの人がどう生きようと僕には関係ない。……でも、なぜかいろんな疑問が浮かんでくる)
ギルドに着くと、そこにはグラエスがいた。
「ああ、戻ったんだね。君の仲間たち、昨日から君を探していたよ」
「僕を? ありがとうございます。もう戻ったって伝えてください」
カエリアンは洞窟の危険について、洞窟内のガスや生息する生き物、アルファ、それに新しい入り口のことをグラエスに伝えた。轟音のコウモリの話を聞くと、グラエスは自分の椅子を強くつかんだ。
「くそっ! 最後にあれが確認されたのは、たしか百年くらい前だったはずだ。ははっ、それがどういう意味か分かるか?」
「生け捕りにできてたら、大金になってたってことですか?」
グラエスは両手をカウンターにつき、身を乗り出した。
「いや、たぶんそれが最後の一匹だったんだ。つまり、君があの怪物たちを絶滅させた冒険者だと見なしていいってことさ。スレイヤーランクを貰えるかもしれないね!」
カエリアンはグラエスに近づいた。
「声を落としてください。目立ちたくないんです。それに、そのランクはかなり厄介そうなので」
「ん? 誰かに借金でもあるのかい?」
「まあ……そんなところです」
グラエスは身を起こし、ため息をつきながら硬貨の入った袋をカウンターに置いた。
「まあ……それなら仕方ない。ほら、洞窟のアルファ討伐には本来なら別の報酬が出るんだが 、残念ながら契約はあいつを見つけるだけだったんだ。それでも少しくらいならボーナスを出せる。大した額じゃないけどね」
カエリアンは部屋に戻り、寝台に倒れ込むと、腕で顔を覆った。
(まだ1200エスカを集めるにはほど遠い。魔法を万全に使えない状態で働くのは、今までより大変になるだろう。他の方法も考えないと)
そのとき、ナエヴィアと火花が慌ただしく扉から飛び込んできた。二人はそろって叫んだ。
「カエル!」
二人は笑顔のまま寝台まで駆け寄り、火花は勢いよく飛び乗って強く抱きついた。一方、ナエヴィアは寝台に手をついて、近くで顔を見て、怪我がないか確かめるだけだった。
火花が言った。
「生きててよかった!」
続けてナエヴィアが言った。
「心配していたのよ! どこにいたの?」
カエリアンは火花の抱擁から抜け出そうとしたが、うまくいかなかった。
「洞窟がすごく広くて……ええと、迷っただけだ。でも、大丈夫だよ」
火花はさらに強く抱きしめながら言った。
「生きてるって、最初から疑ってなかったもん……! 」
カエリアンの匂いを二度嗅ぐと、その顔は笑みから恐ろしいほど真剣なものへと変わった。
「どうして女の香水の匂いがするの……?」
ナエヴィアはそれを聞いて驚き、さらに近寄って匂いを嗅いだ。
「えっ……本当だ……香水の匂いがする。しかも、いくつもの香水が混ざってる」
火花は歯を食いしばった。
「何してたの?」
カエリアンは火花を引きはがし、そのまま寝台に腰を下ろした。
「ここまで来る途中で香水屋の前を通ってね。女の人だと思われて、無理やり入れられたんだ」
火花は首をかしげた。
「うーん、本当に?」
「もちろん……」
ナエヴィアは目を細めた。
「かなり高級な香水の匂いがするわ。あれを試供品で配るとは思えない」
カエリアンは平静を保ったが、嘘が破れそうだった。
「エデラルは物資が豊富な街なんだ。それくらい驚くことじゃないだろ」
ナエヴィアは眉をひそめ、指を唇に当てた。
「まあ……あり得るかも」
遺産がカエリアンにだけ話しかけた。
(どうして本当のことを言わなかったの?)
(娼館で二晩過ごしたなんて言えるわけないだろ。どうせ変な目で見られる。……それに、恥ずかしすぎる)
(もっともな理由だね)
火花とナエヴィアが協力してカエリアンを見つけ出したのを見て、ひとつの考えが頭に浮かんだ。それは、良くも悪くもなり得る案だった。
「なあ……パーティを組むのはどう思う?」
火花が目を見開いた。
「でも……もうパーティじゃないの?」
「そうだけど、ギルドでのパーティのことだよ」
「何が違うの?」
ナエヴィアが答えた。
「パーティには、場合によっては特典があるの。それに、報酬も分けずに一か所にまとめられるわ」
カエリアンは火花の頭に手のひらを置いた。
「どうだい、火花。冒険者になってみたい?」
「退屈な仕事をするの?」
「いや」
「よし!」
火花はもう一度カエリアンに抱きついた。その一方で、ナエヴィアは考えた。
(カエリアンがパーティを組みたがるなんて不思議ね。前は私を任務に同行させようともしなかったのに、今はパーティを作ろうとしている。何か考えがあるのかしら……。まあいいわ。私がこのパーティに貢献するチャンスだもの。全力を尽くす)
カエリアンはナエヴィアを見た。
「賛成かい?」
ナエヴィアは両手を合わせて微笑んだ。
「もちろん!」
その日のうちに、カエリアンは火花をギルドに「火花」という名だけで登録した。ただし、火花が銀ランクに上がるまでは銀ランクの依頼を一緒に受けられないため、カエリアンは彼女でも問題なくこなせる銀ランクの依頼を探した。
その依頼は簡単だった。裕福な一家のちょっとした外出に付き添う護衛だった。
戻ると、カエリアンは彼女に尋ねた。
「依頼は終わった?」
火花は手を背中の後ろに回して笑った。
「うん……うん……」
ナエヴィアは目を細めた。
「全然自信なさそうね」
「その……」
依頼主の命令を聞かなかったせいで解雇され、別の依頼を受けることになった。その内容は、ドラゴンの卵を盗んでギルドに持ち帰ることだった。
しばらくして戻ってきた火花は言った。
「卵、盗んだよ!」
カエリアンは笑った。
「よし、どこにあるんだ?」
「何が?」
「卵だよ」
「ああ、ここ!」
火花は自分の腹を指さした。ナエヴィアは信じられないというように聞いた。
「まさか……卵を食べたの?」
「うん、お腹がすごく空いてたから、食べちゃった!」
カエリアンとナエヴィアはこめかみに手を当てながらため息をついた。カエリアンが尋ねた。
「少なくとも、おいしかった?」
ナエヴィアは横目で見ながら、吹き出しそうになるのをこらえた。
***
エデラルに来てから三週間が過ぎ、ナエヴィアとカエリアンはいくつかの依頼を一緒にこなしていた。一方、火花は馬鹿な失敗をせずに銀ランクの依頼を終わらせようと頑張っていた。
ナエヴィアは何日かメイと出かけ、ただ話したり何かを飲んだりして過ごしていた。時には黄金地区へ買い物にも足を延ばした。メイにはいつも同じ服ばかり着ているのだから、新しい服を買ったほうがいいと勧められた。ナエヴィアは新しい服を選ぶのにかなり時間をかけたが、最終的には灰色のスカート風ショートパンツにベスト、新しいブーツ、それに指なし手袋という格好を選んだ。
一方、カエリアンはレッジョルンの蔵書を読んで日々を過ごしていた。椅子に座り、机の上に足を乗せている。
(レッジョルンの蔵書から何冊か読んだけど、どうやらエロ小説ってわけでもなかった。まあ、少なくとも全部がそうってわけじゃない。恋愛小説に近いものもあって、特別すごいわけじゃないけど、たまに読むぶんにはかなり楽しめる……興味深いのは、セックスが物語に自然に溶け込んでいて、ファンサービスっぽく感じないことだ。もしあの言葉が、自分の思っている意味だったならだけど)
本を胸の上に置き、両腕を伸ばした。
(一方で、あまり出来のよくないものもある。どういうわけか魔法みたいに、いや、本当に魔法で、登場する女はみんな主人公に惚れていくんだ。ちゃんとした恋愛としてできているなら気にならないんだけど、筋に穴があるし、どうしてそういう関係になるのか理解できないものもある。問題が僕にあるのか、小説のほうにあるのかわからない)
遺産が言った。
(君のほうだよ。私はあれ、好きだった。ガディ(Ghady)とトリンド(Trind)はお似合いだ)
(ガディは世界で一番従順な女だし、トリンドは自惚れ屋だ。それに兄妹なんだから、くっつくわけがない)
(カエル、今何を見たの?)
背後から声がした。
「こんなところで何してるんだ?」
カエリアンは驚いて椅子から落ち、見上げると、レッジョルンがしゃがみこんで本を拾っていた。
カエリアンはすぐに口を開く。
「あ、あ……勝手に入ってしまってすみません。本当はちゃんと許可を……」
レッジョルンはそれを遮るように言った。
「答えろ……」
(殺される……)
「……『交差する糸』はどうだった?」
カエリアンは一分ほど固まった。
「えっ……すみません?」
「読んだんだろ?」
カエリアンはどうにか身を起こした。
「は、はい、読みました」
「どうだった?」
「ええと……ヴルダー(Vulder)とアッゲ(Agge)はいい関係だと思います。最初は深く憎み合っているのに、話が進むにつれて友達になって、最後には恋人になる流れが自然でした。ただ、アッゲがヴルダーを選ぶのをためらわなければもっとよかったと思います。そのせいで、最後のほうはあまり好きなキャラじゃなくなりました」
「…………………………好きじゃなかったって、普通に言ってくれればよかったのに…………………………」
「好きでした。けど、どうして恋に落ちたのかは本当にわかりませんでした」
レッジョルンは手を差し出し、カエリアンが立ち上がるのを手伝った。
「……恋に理由なんて、いつも必要なわけじゃない。それに、読むもの全部にそうするのか?」
「はい……たぶんそうです。勝手に図書室を使ってしまって、申し訳ありません」
「ああ、気にするな。ほかにもこの本を楽しんでくれる人がいるとわかって嬉しい。いつでも来ていい」
「本当ですか?」
「ああ。ただ、読んだ本ごとに感想を聞かせてくれると嬉しい。お互いの意見が一致するか見てみたいからな」
「ええ……はい、いいですね」
(くそ……読書会なんて予定になかった。でも少なくとも、ここに入ったからってレッジョルンは怒らなかった。待て……グラエスはどこだ? 入口を見張っているはずだったのに)
グラエスは、カエリアンが中にいるのをすっかり忘れ、レッジョルンを何事もなかったかのように通してしまった。
***
数時間後、火花が興奮した様子で部屋に飛び込んできた。
「カエル! カエル! 見て!」
腕を上げ、冒険者ブレスレットに銀の飾りがついているのを見せると、カエリアンはそれを見て言った。
「それ、誰かから盗んだんじゃないだろうな」
「私を誰だと思ってるの!?……まあ、前回はうまくいかなかったけどさ」
カエリアンは笑った。
「まあ、これで完全に銀ランクのチームだ……そういえば、チーム名を決めないと」
火花はフードを外し、締めつけで赤くなった耳をさすった。
「え? よく聞こえなかった。もうこのローブ嫌だよ。フードで耳が押されすぎるんだもん。こんなの続けてたら、そのうち変な形になりそう」
(耳か……たぶん、いい考えが浮かんだ。でも、協力してもらわないとな)
日が暮れかけたころ、カエリアンはピンク地区へ向かった。『ピンク角館』の前で足を止める。
(休憩中であってくれ……まあ……働いていなければいいんだが)
中に入ると、店内は男女でいっぱいで、酒を飲みながら話していた。カエリアンは受付へ向かったが、そこには人間族の老女がいた。
老女は本から目を上げてカエリアンを見るなり、眉をひそめた。
「何の用だい」
「ル-ルビーに話があって……」
「へえ……話?」
「……はい……」
「……本気かい……」
「……はい……」
「本当に?」
(そろそろ我慢の限界だ)
老女は爪で机を叩いた。
「……当然だね。料金を払ってもらわないと」
そのとき、カサンドラが階段を下りてきた。
「カエリアン?」
老女は机に寄りかかった。
「知り合いかい? ルビーに会いたいって言ってるけど」
「通してください、フィンダルさん。客じゃありません」
「金も払わずに商品に触れさせるわけにはいかないよ」
(商品……? ルビーのことか?)
カサンドラが近づき、カエリアンの髪をくしゃくしゃにした。
「ああ、安心してください。本当に無害ですから」
「ふん、あんたがそう言うならね」
(このババア、もう嫌いだ)
(ずいぶんな言い方だな……まあ、気持ちはわかる)
カサンドラがカエリアンの耳元でささやいた。
「ふふ、そんなに遠慮しなくていいのよ。ルビーなら部屋にいるわ。入る時はノックしちゃだめよ? 着替えてるかもしれないから」
「……それって、もしかして……あ」
(なるほど)
(大人並みの知性があるわりには、ずいぶん初心なんだね、坊や)
(それがそんなに楽しいのか?)
(楽しくないって言ったら嘘になるわね)
カエリアンは階段を上がって三階へ向かった。いくつかの部屋には、男たちが女やアンバリアンと一緒に入っていくのが見える。ルビーとカサンドラの部屋に着き、扉を閉めると、ルビーの部屋の前で足を止めた。
(何て言えばいい? あの話を切り出すべきか……それに、ルビーの仕事に思うところがないと言えば嘘になる)
部屋の中では、ルビーが机に座り、手燭の明かりに照らされながら薬草の本を読んでいた。
扉が二度ノックされ、ルビーはすぐに振り返った。
(誰かがノックしてる……? 珍しいな)
立ち上がって扉を開けようとしたが、その前に小さく息を吐いた。
(まさか……!)
扉が完全に開く前に、ルビーは笑顔で言った。
「カエリアン!」
カエリアンはすぐに身をこわばらせた。
「や、やあ……どうして、開ける前から僕だってわかったんだ?」
戸口にもたれ、腕を組んだ。
「自分の食べ物が近くに来ればわかるものよ」
カエリアンは歯を食いしばったが、ルビーは笑った。
「冗談よ。ここでわざわざノックしそうなのなんて、一人しか思いつかなかったもの」
ルビーは体を起こし、髪を耳にかけた。
「……正直、戻ってきてくれて嬉しい。ま、また来てくれるとは思ってなかったから」
カエリアンはルビーの目をまっすぐ見て言った。
「どうして来ないと思ったんだ?」
ルビーの胸が一瞬だけ高鳴り、目を細めて優しく笑った。
「べ、別に……入っていかない?」
遺産が言った。
(へえ、あの子があんな言い方するなんてね)




